⑪-3林スタックス社長(弔辞)

対話が成り立つには二人の間に人間的交流が必要です。アーノンクールと私は、告別演奏会のとき、アンコールで私が舞台に近づいたときにだけ、人間的交流があったように、私には思えたので、対話ができたように思えたのですが、それが一方交通だったのは当然で後でしりました。無理に「対話」と名づけたのですが、以後の3つの対話は交流がある、本物の対話です…
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⑪-2 スタックス林社長との交誼

Ⅳ 個人的な話  以上はオーディオ入門がらみの話だが、まあ、これからいわば終着点の話、これがオーデオの全てなのだが、私は一人の人間として林尚武社長に会って、尊敬し、おり、思いもかけなかった出来事にもいくつか出会った。全期間を通しての話だが、「本質的に新しいこと」を追求される彼の姿勢に最も敬服したことだ。研究者でさえ、「本質的に新しい…
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⑪-1クラシック(スタックスオーデイオへの道)

学部の最後の年から育英会の奨学金をもらいましたが、月2千円では小遣い程度です。それが大学院に進むとかなり増額され、少しゆとりが出来たのを幸いに、オーデオ装置を作ってもらいました。院に入った次の年だと思います。大日本塗料(株)の天田さんという、レコード通に常識的なアンプ作成を頼んだのでした。天田さんとの交誼は同じ会社に私の中学の友人西田が…
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(目次)東大での40年

東大での40年 1戦前   子供(1) 小児喘息と転居      (2) 小学生時代     若さ (3) 中学生時代と学徒動員      (4) 中学上級と浪人(酷い喘息) 2 .戦後      (1) 旧制高校と東大の合格       (2) 旧制高校とストーム      (3) 東大受験と合格 3 大学   …
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爺の女性観(3)旅先の女性

大学院の博士課程から助手にかけて、私はよくを旅をした。その度に女性と知っりあいになった。旅は出会い限られたきかいである。 この頃私は学生を連れて千葉演習林に度々いった。そこで女子職員と会う機会が繰り返しあった。Sさんと言った。鴨川の自宅を訪問したこともあった。そんな縁で東京でもあったような気がする。好意を持ったが、それ以上ではないとお…
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爺の女性観(2)教え子

東大に女子学生が入学したのは戦後である。旧制の最後に3人入ったのを憶えているが、新制になり、昭和24年に10人,その後少しづつ増え昭和35年には30人になった。3000人のうち30人、1000分の1だから、未だ誤差の範囲だ。そのゴミの一つが私の指導下に入るということになった。「事件」である。 こんなことはその後当たり前になってしまっh…
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爺の女性感(1)女友達

私は88歳の男。もう数年前男性の機能を失った。その方面の欲望は昔から薄い方と思っている。40歳で結婚するまで女はを知らなかった。その後2児が生まれ、今大阪とデトロイトにいる。 1)15歳頃から女性に簡心を持つようになった。15歳で戦争は終わり、通学が始まった。今も覚えているが毎朝の通勤で必ず会う、女子高校生がいた当時第六高女(今三田高…
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