善本知孝のブログーOpera-Crasy

アクセスカウンタ

zoom RSS 爺の女性観(2)教え子

<<   作成日時 : 2019/01/11 17:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

東大に女子学生が入学したのは戦後である。旧制の最後に3人入ったのを憶えているが、新制になり、昭和24年に10人,その後少しづつ増え昭和35年には30人になった。3000人のうち30人、1000分の1だから、未だ誤差の範囲だ。そのゴミの一つが私の指導下に入るということになった。「事件」である。
こんなことはその後当たり前になってしまっhたが、あるところで止まってしまったらしい。昭和30年台の出来事は今もって「事件」といえる。
東大の女子学生というと世間は好奇の目で見がちであるが、前述の「女友達」の所で述べたように、美人もいればブーもいるが、世間の目でみると「世間並」と言えるか、むしろ女としては美人がおおい。40年も共に仕事をしている男の目でみるとそうである。
昭和中期の出来事もその一つである。当時私はドクターコースの院生だったから、指導をまかせられた。私はまだ独身だったから、指導に熱が入った。彼女の同級生からは好奇の目で見られたのも当然だった。「彼女のことは僕に聞けばいい」との噂さえあったらしい。
彼女は平均的学生だったが、女性は男性より真面目なのが普通だし、学生という意識は低いから一般的職員との差も少なかったので、職員との仲もとかった。つまり東大女子学生というプライドは見えず、一般職員なみに研究室内で行動していたから、私は強い好意をもっていた。
彼女は職業に就く決心をし、受験し、一つの生産会社に合格した。卒業後を迷っていたから、私がほっとしたのは当然である。

冬に近い季節だった。話があると改めて言い出され、確かお茶の水駅周辺を二人で歩いた。そこで突然言い出した言葉におどろいた。確か「結婚したい」だったか、「好きだ」か、確かそんな言葉を言われ、驚いたのだった。何とかいいわけをして、拒否をにおわせた。それきり話題はきれた。
私は彼女をそれまで女性と感じたことはないし、女性として扱ったこともない。彼女はサッパリした性格で、男性的生格の持ち主だった。

卒業後数年で結婚し、2児の母になった。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
爺の女性観(2)教え子 善本知孝のブログーOpera-Crasy/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる