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zoom RSS 死者との対話(18)向山光昭先生の死と因縁

<<   作成日時 : 2018/11/28 11:45   >>

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先生との出会いは昭和40年頃だったろうか。先生が未だ無名の時代だった。先生の学術論文を読んでその斬新さに打たれた。論文は日本語で私には読みやすいものだったが内容は斬新。当時天然物の研究を私はしていたが、天然物(有機化学)の研究が余りにも経験に依存していたのを不満に思っていたころだった時に、先生の論文にであい、化学反応がある程度論理的に予測できると教えていただいた。有機の研究に絶望していた私には光明だった。私はこの光明を学生に教えたいと思った。先生が当時学習院大学で教えておられたのをしった。幸い学習院には親友玉虫の親父玉虫文一先生がおられた。そこで厚かましく文一先生に向山先生への紹介をお願いした。というのは当時私は東大でも農学部の助教授だから、直接学習院の教授を訪ねるのは厚かまし過ぎると思ったからである。私は親友の親父の大先生に厚かましくわが意を伝えた。玉虫先生は快くわが意を理解し、紹介の労をとってくださった。かくして向山先生を学習院から、農学部ではあるが、東大に引っ張りだすことに成功した。以後多分8年ほど、先生に半年の講義を週一回していただくことに成功した。有機化学の名称だったようにおもう。
聞き手は当初は林産学科の学生だけだったが、やがて理学部化学科の学生が数人加わり、更に数年たつと、理学部が先生の講座(つまり理学部教授になった)をひらくことになった。数年同じ講義が2か所で開かれたが、先生は恐縮した態度で、林産の講義は辞めさせていただきたいとの申し出られた。その話を理学部化学科の研究室でおききしたことは私の自慢話である。初期に講義を聞いた学生にはのちに大会社で出世したものもいる。これも私の自慢である
2018年11月27日の朝日新聞で、先生のご他界の報を知った。91歳。先日9月2日、私は当時の卒業生から88歳のお祝いの会を20人ほどで祝ってもらった。先生の話題はでたが、お会いは勿論できなかった。誤嚥性肺炎というつまらぬことが死因だったそうで、お会い出来たら、誤嚥性肺炎は私の得意の領域だから、私の方から先生に注意できたのに。

数すくない、私の先見性を自慢できる話である。

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