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zoom RSS 8学制の変革

<<   作成日時 : 2018/09/20 10:51   >>

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私は東大に入った。父は信じられないようだったが、ことのほか喜んでくれた。

私はまだ勿論学生だから、戦後おきた教育制度の変化に翻弄されたのを先ずおもいだします。私の学年は4年生か5年生で旧制高校の受験が可能でしたが、両方落ちたので、1年浪人して入学、1年で廃止されたので、新制東大に受験、合格し、新制東大を4年で卒業という、変則な履歴になりました。
終戦後の日本の教育方針は戦争が終わる数年まえには決まっていたようです。終戦後即ちに、禁止されたのは「教育勅語」を読むことで、毎朝生徒がとなえていた「朕思うに,皇宗皇宗国をはじめることーー」に代表される国家主義的教育が禁止され、個人主義教育に変わりました。学校制度は国民学校6年同高等科2年で、都合義務教育は8年間だったのが、今の6・3あわせて9年間が義務教育に成り、これが小学校6年と中学校3年にわけて行なわれました。高等学校は旧制が廃止され、新制ができました。3年です。

この学制改革は昭和24年から行われ、新制高校が生まれ旧制高校が廃止され、同時に,大学は3年から4年になりました。短期大学といわれた2年間の大学が生まれ、これは主に栄養・被服などの専門学校が整備され、大学となったものです。この変化は大学を高等教育というより教養の充実に重点をおくGHQの方針の一つでした。同時に従来の国立高等師範学校や尋常師範学校は高等専門学校と旧制高校とともに普通の新制大学になり、東京商科大学(一ツ橋大)大阪商科大学(大阪大学)も普通の大学になりました。私立の東京六大学や東都六大学が私立大学となったほかに新たに上智、ICUなど数校の大学がうまれました。

これらの変化は主にアメリカの教育制度に準拠したもので、GHQは一県一大学の国立大学の設置に固執したようで、埼玉大学の設立などが良い例です。これは見かけ上旧制浦和高校が大学となったようですが、この設立以前に、旧制浦和の教官は東大の教官になっていたので大変不自然な形で埼玉大学は出来たのです。
旧来の日本の教育制度がヨーロッパに準拠していて、大学は研究が中心だったのが、一部教養を背負うことになったたので、帝国大学には大きな戸惑いが生まれようです。

新制の高校は新制の大学と関係なく作られたので、当然中学から高校へは入試がおこなわれ、可也の選別が行われていますが、後述の旧制高校入試と比べ遥かに楽です。従来は帝国大学の定員が旧制高校の定員と一致していたので旧制高校から大学へは殆ど選別がなく、簡単な入試ではいれた代わりに、旧制中学から旧制高校への入試は激しく、競争率が10倍以上になったのが普通で、旧制高校による違いより、旧制高校への入学の可否が大きく、旧制中学生を圧迫しました。入学できない人は私立の大学に進みました。これにも可也の競争があるのが普通でした。つまり受験が18歳で行われたので、18歳の選別といえそうです。後述する現在の欧州での12歳の選別に相当するといえそうです。

日本と米国が平和条約を結び、占領軍がいなくなった1950年以降もこの制度は継続し、以後制度上の変化はありません。(大学院制度の変化だけが例外です。)


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