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zoom RSS マーラー・第五交響曲

<<   作成日時 : 2018/08/19 06:30   >>

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マーラー5番
好きな曲だ。何故かわからないが、彼の冗長さが感じられない。「運命」とは違うが、締まった感じがする。傑作の匂いがする。
昔LPでレバインの指揮でも感じたが、バーンシュタインでも同じだった。彼らしい煌びやか,オオバ―な表現でもそうだった。
マーラーの曲は言語に頼りたくなるが、この曲は歌がないから、言語から暗示がない。村井翔氏の第五交響曲の部分にはこんな文があった。
「今日の第五交響曲の人気がどの程度、第四楽章のアダージオのお陰なのか、さらにヴィスコンシー監督の映画「ベニスに死す」のおかげなのかわからない。その様式の特徴は次のようにまとめられよう。
(1) このポリフォニックな様式。この線的な対位法は私ですら聞き分けられ、見せられる。金管のバカ騒ぎの下部に絃の高音が縫うように移り替わるのは魅力的だ。意味など思いつかないが。木管が存在感を示しているのもこの曲に厚みを与える。
(2) ここでは他のマーラーのシンホニーのように歌に頼っていないから精緻な交響曲のスタイルが表面化してきて、絶対的な魅力になる。バーンシュタインの指揮姿の多様性が見るものを惹きつける。
(3) そうかと言ってマーラーから歌を切り離すのは無理で。歌の旋律性はどうしても耳につく。ブルックナ―風のコラールが聞こえてくるから、妻アルマの批判の対象になったそうだ。「教会風の面白みのないコラール」はブルックナーより一枚上だという。これはパロデイだという。
(4) そこではカッコーとナイチンゲールがロバを審査員になる。カッコーの下手くそな歌をコラールと聞き、ロバが判定する。「ナイチンゲールもよく歌いもしたがカッコーが見事なコラールを歌い チャーンと拍手を守り通した。 わしの高い知性にピッタリじゃ。」
コラールさえマーラーの第五は半ばパロデイ、半ば本気なのだ。
(5) 第三楽章はスケルツオはベートーヴェンが考えだしたが、それを100年後にこんな複雑な曲に仕立てられるとは、彼を思いつかなかったろう。
(6) 第四楽章はアダージェット。弦楽とハープだけでやられる。金管は他の楽章で騒がしかったがここにはない。通俗的一歩手前である。アルマへの愛の告白というが。
第五楽章は「ロンドフィナレ」生き生きとある。お道化た和音で一旦曲をしめたあと繰り返し色々な楽器で「高い知性への賛美」が繰り返され、棚上げされた「コラール」が堂々と戻ってくる。マーラーはやはりアイロニーの作曲だとわかる

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