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zoom RSS テーマ「喘息」のブログ記事

みんなの「喘息」ブログ

タイトル 日 時
喘息(81)気候と咳
私の喘息は今ない。でも肺気腫の所為か、咳がよくでる。この数日気温の上下が激しく其の所為かタンのでる咳で夜中も起こされる。目が冷めるから4時でも起きて、パソコンをする。 可部先生は気候と喘息は関係ないとおっしゃったが、咳は別。尾形先生の指導で、咳が止まらないならプレドニンをのんでみたら。一日3回、一回2錠、3日間という処方。少し効果があるらしい。(2017,5,16) ...続きを見る

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2017/05/16 05:58
喘息(80)−2週間の主治医(森野英里子先生)
http://www.jichi.ac.jp/hospital/rinsyoukansen/photo6.jpg 2004年のことです。私は家内とイギリス旅行を計画し、2月13日に切符を買ってしまいました。出発が6月2日帰国は24日です。ところが前年度から週2度程度発熱を屡繰り返していて、血糖値もγ―AICが9近くあったので、異常の原因をしるため国際医療センターで内分泌でかかっていた葛谷先生に検査入院をお願いし、許可をえて、それを尾形先生に伝えたところ、先生は悲観的で、「どうせ何にもわかんない... ...続きを見る

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2017/05/09 05:19
(喘息79)主治医3(尾形先生)
(喘息79)主治医3(尾形先生) <昭和64年(1960年)、60歳で停年退職、20歳から通い続けていた本郷通学は、熱海に職場を替えましたが、可部線先生とのお付き合いは若干続きました。64歳の時だったと思います。1か月に一度の診断の所謂町医者にもどっていました。そんな時期に「肺炎」にかかり、入院したのです。退院後、国立国際医療センターに通うのが肉体的に無理だと判断し、第3の主治医探しを始めました。その間数人の先生にお世話になりましたが、数年後に出会ったのが複十字病院(結核研究所)・呼吸器の尾形英雄先生でした。思えば当時先生は医師... ...続きを見る

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2017/05/07 05:35
喘息(78)主治医(可部先生)
喘息(78)主治医(可部先生) 可部先生は当時喘息治療医として著名だったそうで、その処方は全国の医者が一目おいていたようでした。どんな薬を使われていたか、手元に今は残していないのは、残念です。 参考になる記録が、先生の2番目の一般書「ぜんそく最新の治療法と暮らし方」にあるので、写してみます。 携帯用吸入薬(メジヘラーD,アロテック、サルタノール、メプチンエアー、テオフィリン)ほかに7種あったそうですが、。前記4つは頂いた記憶があります。 気管支拡張薬・予防薬は(テオドール、リサベン、ベネトリン、テオフィリン)ほかに10種... ...続きを見る

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2017/05/01 06:26
喘息(77)主治医(村田先生)
喘息(77)主治医(村田先生) 前回「喘息ブログ(76)」を書いたのは去年2016年5月29日でしたから、1年ぶりです。今喘息は殆ど出ませんが、警戒は怠りません。もう87歳、生まれつき蒲柳の質なのによく、これまで生きられたと思います。いつもお医者に通っていますし、後遺症である肺気腫で、今は身体障碍者の3級をいただき、歩行時には液体酸素を毎分3リットル吸っているのですが。そのため毎月一度清瀬の複十字病院にかよっています。 肺炎の危険を背負っているので、この1年間風邪さえ引かずに過ごせたのは上出来といえるでしょう。主治医であ... ...続きを見る

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2017/04/23 14:14
喘息76 新国立オペラ「ローエングリーン」と酸素ボンベの運搬
酸素補給用のボンベが日常用具となって、もう5年も経った。5月2日、肺炎で入院し、肺の酸素要求が多くなったそうである。入院以前に生憎新国立オペラの「ローエングリーン」の切符を買ってあったので、大量の酸素をかかえての、往復となった。2Lボンベが1本では不足ということがわかり、予備を1本家内に引いていってもおらった。それでもこの4時間オペラを往復3時間かかる自宅から聞きににいくのは酸素不足、3幕目はあきらめざるをえないことになった。更に言えば自宅ー清瀬駅10分と練馬ー劇場30分にタクシーを使い、1万円... ...続きを見る

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2016/05/29 10:58
酸素使用(喘息75)
2016年5月肺炎入院 2日(月)復十字病院入院 11日(水)退院 ...続きを見る

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2016/05/21 09:55
喘息(74)お年玉
喘息(74)お年玉 昨年末入院したとき、リハビリの女性と老人の風邪対策について話したことがあった。話題の中心は風邪の菌。子供は風邪の塊。接触はくれぐれも避けるとのこと。 お正月恒例の新年会は親戚30人が椿山荘に集まったが,無事終了。遅れた9日、大阪の孫も加わり、東京のも参加し、我が家に一泊。最後はジージのお年玉で二人が飛びついてきた。接触を避けていたジージもついつい、可愛さに気が緩んだ。別れたのは月曜、一つあいた水曜日。ジージは一日中、床に伏した。37度は越えなかった体温だったが、かなりの体調不良。木曜も同様。し... ...続きを見る

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2016/01/18 12:01
喘息 (73)今月2 回目の肺炎
12月17日明け方から目覚めが悪かったが、それほどにも思わなかったのに発熱。まだ3日に退院したばかりなのに、複十字病院に連れて行かれ、入院させられた。主治医となる森本先生の言によると、逆流性が顕著で。肺炎。嚥下性は見られなかったが、食堂に太い部分が見られ、そこに溜まった食事残渣が逆流したのではないか、という。逆流性肺炎という言葉は2003年3月、イギリスへ行く直前に、国立国際センターで仮定の言葉として篠田先生から聞いたが、それが10年目の今医師から病名として告げられた。10年の歳月の意味を改めて... ...続きを見る

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2015/12/30 17:00
喘息(72)4回目の肺炎
病院の待合室で風邪を移されることもあるのだろうか? 「今年は肺炎をしないですみそうだね」と家内と話していたのは1か月前のことだったと想うが、11月17日(火)に定例の複十字病院での診察をうけ、好天気に浮かれて清瀬駅まで20分かけ歩いた。その夜風呂へ入る気をなくした。日追うごとに咳が酷くなり、土曜は病院へ行こうかとおもったが、土、日、月は病院がまともに活動してない日。見送っているうちに8度を少し越えた熱が6度だいにさがった。病院が正常に動き出した火曜に緊急に診察を頼んだら、迷っていた女医さんに「... ...続きを見る

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2015/12/03 15:14
喘息(70) 小さなお家5(戦いから敗戦へ)
喘息(70) 小さなお家5(戦いから敗戦へ) 痛恨の昭和」(岩波)から皇居前で8月16日 昭和20年は空襲ではじまりました。それは突然降ってきたのではなく、当初は数機のB29の来襲でしただけで、爆弾を沢山おとすでもなく、庭に掘ってあった防空壕なるものに空襲の度にはいるなどということもなく布団で寝ていましたが、それでもヒュルヒュルという焼夷弾の音にはいい気持ちではありませんでした。それが3月9日の夜、本格的焼夷弾攻撃が始まったときには流石ねている気持ちにもならず、庭から北東の空が赤く染まるのを眺め、並みの事件ではないと感じました。 母の死... ...続きを見る

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2015/04/17 17:25
喘息69 小さなお家4(中学生時代と学徒動員)
喘息69 小さなお家4(中学生時代と学徒動員)                        入学式1年5組 そんな私は父母の悩みの種だったのでしょう。学校の傍に越したのに、私はいつも家にいました。学年が進むごとに体はわるくなり、5,6年生は欠席ばかり、碑文谷のお家にばかりいました。(5年生は出席180日欠席66日、6年生は出席189日欠席76日)だから中学へ進むのも難しく、父母は悩んだようで、当時は中学へ行かなければ2年間の高等科へ進むのが義務教育でしたから、そのことも頭にあったようでした。それが小学校の担任佐原先生のご尽力もあって私立芝... ...続きを見る

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2015/04/17 09:31
喘息(68)小さなお家3(戦中閑話休題)
喘息(68)小さなお家3(戦中閑話休題) 。                  母の若い日 喘息の少年は今思うと不思議です。あんな苦しい日々が続くかと思うとそれをケロット忘れるような日々があるのです。例えば野球を仕込まれたので、高学年になるころにはかなり上手くっていました。それに勉強も出来たから、「ヨッチン・ダルマ」と呼ばれボス的存在になっていたようです。家の前の横町は幅が数メートル、長さが50メートル以上あったから、悪童の格好のたまり場になり、野球場でした。そこも遊び場です。家から足を伸ばせば50メートルほどで円融寺の黒門があり、く... ...続きを見る

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2015/04/13 03:45
喘息(67)  小さなお家2(深夜のうめき声)
喘息(67)  小さなお家2(深夜のうめき声)           最後の平和 私の健康とは関係なく、時代は暗闇に向かって走り出していて、昭和11年には2、26事変、昭和12年には支那事変が起こり、昭和16年12月には大東亜戦争に突入してしまいました。父の「小さなお家」は滑り込みセーフで建ったといえましょう。 この時代には建売などはなく、家は自分で建てたものでした。今の建売と違うのは土地を借りるということでした。つまり借地代がリミットになって家の大きさが決められたのです。私の家もそうでした。親父としては先ず80坪前後の土地に30坪の家を車... ...続きを見る

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2015/04/04 08:50
喘息(66) 小さなお家1(引越し)
喘息(66) 小さなお家1(引越し)            お家の庭から小学校が見える   私は今(2015年)85歳、東京生まれの東京育ちの喘息持ち老人。4歳(昭和8年1933)のとき「喘息」と診断されたそうですから82年間も喘息とつきあっていますが、まだ普通の生活です。日課は散歩とブログ書き。生きています。 生まれたのは今の目黒線の西小山付近ですが、育ったのは東町84番地(今目黒本町)、昭和12年目黒の碑文谷へ転居しましたが、発病は東町時代ですからこの「小さなお家」の話は碑文谷時代の話です。 そこでの出来事は昭和12年に... ...続きを見る

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2015/03/28 10:10
喘息65 平成14年の記録
平成14年の健康を振り返る。冬風邪なし。4月19日から26日大阪府池田市宿泊。5月11日〜13日長野メトロポリタン・ホテル宿泊、このあと1ヶ月痰がこくなり、赤っぽい色がつく。、5月27日ボトリクス注射、6月1日複十字病院に肺炎のため入院、11日退院6月25日より 訪問看護を週一で受け始める。各週、月一に減らす。8月22日から24日木曽福島おん宿つた屋宿泊、11月8日から16日まで大阪宿泊。以上のような経過で一年が過ぎた。酸素吸入治療を歩行時、睡眠時行った。担当医は複十字病院尾形英雄先生で喘息の... ...続きを見る

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2015/01/05 16:05
喘息発作(64)5年間に三度目の肺炎
私が第一回目の肺炎を起こしたのは平成19年{2007年}4月、風邪が原因でしょうか、 体調不良ということで、複十字病院の主治医のところへ、定期診療以外のときに夕刻伺い、即刻入院を宣告されました。 第二回は昨年平成25年(2013年)12月お客と面談中、喉に栗羊羹の破片を詰まらせ、酷くむせ、その後37,5度が3日続き、4日目に複十字へ緊急診断に行き、肺炎と宣告され入院しました。第三回は今年平成26年{2014年}6月、入院。昼間は散歩をする程度元気だったのですが、夜8時頃から悪寒がし、38,8... ...続きを見る

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2014/06/15 06:38
喘息63(台風の影響)
私は4歳頃から、秋の台風が来ると喘息に悩まされた。年とともにその傾向は薄れてきたが、傾向は今も少しはある。今年は秋の影響が予期せぬところに現れた。台風がきたとき 脳梗塞で痛めた左脚が動かなくなり、歩けないほどになったのである。脳梗塞の症状は他になかったが、すぐ神経内科に行って、MRIをとって貰ったが、異常はなかった。診断も大丈夫とのこと、するとあれは何だったのだろう。どうしても台風のした「いたずら」としか私には考えられない。 30年も昔だが喘息の大家になった同級生と議論したことがあった。... ...続きを見る

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2012/11/24 12:16
喘息(62)買った酸素の役割
眠るとき鼻から、毎分1リットルの酸素をいれていますが、眠っているから呼吸が楽になるかわかりません。それなのに8時間近く、流します。無駄ではないかとおもいますが、主治医に聞くと分けがあります。人の体は休むときは全身の働きが休むので、肺が酸素を取り込むのも休んでしまうそうです。だから血の中の酸素濃度も落ちるそうです。普通の人の血の酸素濃度は98〜99%ですが、私は同じ条件でも91〜2 %しかありません。それが更に落ちたらどうなるでしょうか。当然安全域の90%をきります。だから眠るときには酸素を吸うべ... ...続きを見る

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2012/04/01 09:33
喘息(61)在宅酸素療法
買った空気で生きた半年の報告です。半年前、肺炎と心不全をやり、買った空気でいきることになりました。液体酸素を気化させ、吸って生きるのです。幸い私は動くときだけ、買った酸素を吸えばよいので、手間は常時吸う人と比べ大分楽です。容器の重さは1,5キロ、これで6時間は使えます。 半年たった今、結果は予想以上に良好でした。この間勿論喘息気味の日もありましたが、苦しいほどのことはありません。大抵の日は胸がすっきりしていました。例年9〜11月は喘息になやまされますが、今年は殆んど意識することもありませんでし... ...続きを見る

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2010/11/02 18:36
喘息(60)空気を買って生きる
喘息(60)空気を買って生きる 水と空気は無料とは、よく使う言葉ですが、この頃水を買うのは当たり前になりました。空気が地上なら無料なのは今も続いていますが、75年も続けた喘息患者では、それも不可能になった話です。私の気管支では先端の肺胞が、長年の喘息のため壊れ、酸素が血液に溶ける量が少なくなっている肺気腫ですから、喘息と違います。 今年の四月肺炎を起こし、心不全まで併発してしまい、年齢を考え冷や汗をかきました。幸い2週間で退院を宣告され、この世に戻れることになりましたが、過ぎた一年の不調を思い、またあの人生が続くのかと、退院... ...続きを見る

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2010/06/12 11:45
喘息(59)見てもらえば楽になる(苦の共有)
先週バ-バが孫の面倒を見に行って出合った話しから、70年も前のことを思いだしました。 私は5〜30歳にひどい喘息になやまされ、殊に小学生の頃ははげしく、3〜4日眠れない ときもありました。そんな時、母が徹夜で背中をさすってくれたのを覚えています。そんなことで直る筈はないのですが、不思議に楽になりました。 理子は一歳と二カ月、まだ口は聞けません。風邪をひいてしまったので、バ-バが東京から大阪へ助けにいきました。ママは仕事がやすめないし、保育園も引き受けてくれないので、67歳のバ-バの出番です... ...続きを見る

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2010/01/24 10:38
イヤだな、秋
秋は台風が度々くる。天気図に○台のマークがでると、何時影響がでるか気になる。自分の体にである。私の生涯の伴侶喘息がむくむくと肺から自己主張を始めるのだ。 台風が曲がって日本にむく頃が正念場だ。天気予報より早くその時期はわかる。 少し薬の量を増やす。仕事を減らす。気持ちを落ち着ける。 台風が来てしまうと、平常にもどる。日本に向くときが大事なのだ。 運動会は縁がなかった。遠足も駄目。食べ物が美味しい筈なのに満腹では息が苦しい。 私は秋が大嫌いだ。秋がない国に行きたい。 ...続きを見る

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2007/10/23 12:06
喘息(58)息が足りないよ
新しい経験をしました。息が足りないわけをこの歳になって考えなおしました。 息が苦しいのは体が必要な空気を肺が補給できないからです。普通の人はそんなことを気にしないで暮らしていますが、喘息の人は「息が足りないよ」と叫びたくなるのを経験します。 息が足りないのは、運動をしたときにも起こるけれど、普通は肩で息をして沢山空気を吸えばなおります。喘息の人が喘息にかかっているときは座っているときだって息がたりません。spれは、肺に広がっている気管枝から口に空気が抜けないとき起こるけど、そんな時には気管支... ...続きを見る

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2007/06/27 13:11
喘息(57)風邪と喘息
喘息(57)風邪と喘息 今年の冬、東京は空気が乾いている。喘息の子供さんにはよかったのではないか。 でももう一つの大敵、風邪はどうだろう。息子たちが家を出て、風邪をもちこむ奴がいないから我が家は平和だったが。 風邪が直接喘息を誘発するとも思えないが、気管支が痛めつけられると、息が苦しくなる。肺をやむ喘息患者に良いはずはない。苦しくて、つい気管支拡張剤に手が行く。 私は去年と今年、風邪を徹底的にマークした。もう給料をもらっていないから、自分の我慢だけで、世間に不義理しても、対策が取れる。二つがマークの対象だ。 一... ...続きを見る

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2007/02/17 12:46
喘息(56)「息が苦しい」は結果
喘息は息が苦しい。息が苦しいから喘息ではない。喘息患者はここを良く間違える。 天気が悪くて息が苦しい。喘息が起こってくるしいとつい思う。天気→喘息→苦しいは結びつかないこともあるけれど、喘息患者は頭が喘息で一杯だから、つい結びつけてしまう。天気と喘息の関係が有名だからだ。 年をとると、少し冷静になるから、色々考える。苦しいわけを分析してみる。ヒューと聞こえるかが、第一。次が喉の調子。呼吸で空気の出入りが妨げられていないか、先ずタンが詰まっているか。つまっていたら、水を飲んでみたり、去痰剤を飲... ...続きを見る

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2006/12/21 10:48
喘息(55)タンを固めないノウ・ハウわ?
しつこくタンの話を続けます。タンは息苦しさに関係して一番身近にあるからです。 タンはどうしてでるのか、主治医に聞いたことがあります。気管や気管支が乾かないように粘液がでている、まあちゃんと目的があってでているのだそうです。気管は口を通じて外と結びついているから、粘液が出なければ乾きますね。また口で激しく息をすると喉や気管が乾き、タンの液体を蒸発しますね。これはタンを固めて息の道をふさぐ。だから苦しくなると説明できます。 喉や気管を濡らしておいた方がいいのはこんな説明でも使われています。吸入性... ...続きを見る

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2006/12/04 19:02
喘息(54)喉のタンがとれない。
違った土地へ行って帰国したので、喘息の初期症状がとても気になりました。8泊でしたが、うち2泊はバンコックから車で3時間走って着いたフアヒンで過ごしました。保養地、今いうリゾートだから、空気はバンコックよりづっときれいな筈です。 到着してまもなく気づいたのはタンが出難いということ、一番軽い症状ですが、喉がかすれた感じでした。そういうときは東京でも同じですが、歩く早さがおそいし、すぐ息苦しさを感じるのです。 どうしてこんなに体調が変わったか、考えました。そこは気温はバンコックと変わらないのに、湿... ...続きを見る

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2006/11/23 19:01
喘息(53)バンコックではタンが切れる
今タイのバンコックにいます。体調はよくなかったけど、約束だから子供のところにきました。 タンが切れないのが問題で、東京では、 切ろうとセキがよくでました。そうすると、濃いたんが切れて、息が楽になってはいました。 バンコックにきて丸一日経ちました。目だってセキが減ったのは確かです。朝はタンが喉 にかかっていましたが、咳というほどでもなく、咳払いといったような軽いのをやると、喉が楽になったのです。これはシメタと思ったのは確かです。今は喉は快調です。 タンは喘息の一つとして固まると思っています... ...続きを見る

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2006/11/05 18:38
喘息(52)タンが出る
喘息になるとタンがでるのは、やったことがある人なら知っています。出ると楽になるから歓迎します。でもホントは出ない方がいいようです。 どうしてタンが出るのですか、と先生に聞いたら、普段だって出ているんですよと教えてもらいました。普段そんなことは気がつかないけど、気管支は濡らしておいた方がいいから、そういう仕組みに体がなっているんだそうです。少しづつ、少しづつ口の方に流れたタンは胃に入っているんですって。 体の異常で、液が固まるからタンといって喘息患者は気にするんだそうです。タンで息の一部が気管... ...続きを見る

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2006/11/02 20:54
喘息(51)寒くなると悪いか
毎日気にして送っておられる方が多いでしょう。気候に左右される、しかも秋だけという方は日々がいやになる。こんな歳になってもわかりますが、夜気温が大きく下がる日は悪い。それだけが理由じゃないと思うけど、例えば気象が安定していないときに、夜温度が大きく下がると悪いのは確かなようです。先週那須へいったとき、夜急な冷え込みを経験しました。喉の調子がおかしくなったけど、次の夜はそれほど冷え込まなかったせいか、喉は安定していました。 どんなときに悪いか、わかったところで、それを避ける方法もないから、意味がな... ...続きを見る

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2006/10/22 21:02
喘息発作(50)今年の気候
今年は気候が少し変ではないかしら。喘息気のある人に聞いてみたい。結論から言うと私は調子がいいんだ。今頃、「秋晴れの運動会」という世間の説と反して、例年は晴れが少ない。雨に降られた運動会なんて当たり前。天気が落ち着いてくるのは、11月なんだ。寒くなるけど、11月はいい。 私は10月には予定を入れない。今年も音楽会の切符を買っていない。それなのに今年の天気は東京に限り安定していて11月みたいだ。喘息と天気の関係を調べている人は多いけど、私に言わせれば無駄だね。安定しているのが大事なのだと思う。安定... ...続きを見る

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2006/10/15 20:42
喘息発作(49)いやな季節ですね。[ドービング」ですか
喘息は台風とともに来ます。そして「風とともに去りぬ」です。今年もやっぱりそうでした。 76歳−5歳=71、私は71年も同じことを繰り返しています。よくも正確に台風に反応するかと驚きます。こんな繰り返しは「心臓の鼓動」と「肺の呼吸」くらいです。そういって慰めるしか仕方がありません。愚痴をいうと気分が楽になりますからね。呼吸器の主治医にも「忙しくおなりですね」などと皮肉まじりの挨拶をします。何せ先生の年齢より長いのですから。 此の頃は秋でもそんなに激しくは来ません。喘息の神も老人に遠慮しているの... ...続きを見る

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2006/09/20 20:43
喘息発作(48)
(喘息と子供4)私はまもなく77歳喜寿になる。こんな老人の思い出話など付き合いたくも無い、と思う人もいるのは覚悟してのことです。私の立場はこうだ。喘息発作の治療方法は変わったし、患者は楽になったろう、でも喘息という病気は消えていない。だから喘息とつきあわなけれならない患者は変わらず数も多いだろう。だから生涯70年余付き合った先輩の話も無駄ではなかろう。こんな姿勢だ。私の子供の喘息は私の喘息より遥かに軽かったけれど、私は喘息患者として扱った。私が55歳、子供は小学生でした。わが家は長男が動物が好き... ...続きを見る

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2006/08/14 12:48
喘息発作(47)喘息も年をとるよ
私は55歳の頃を思い出して、書いている。少し面倒だけど、教養になるから読んでね 喘息の起こり方を復習すると、先ず喘息体質の人がいる。その人がホコリや花粉、カビなどアレルゲンを吸うとその人の体に抗体(レアギン抗体)が出来る。これが悪さをするのではない。レアギン抗体が気管支や肺にあるマスト細胞などにくっつく。マスト細胞が変身するわけだ。最初はこれですむが、2度目にホコリが入ってくると、今度はマスト細胞の上で、(つまり特定の細胞の上で)抗原抗体反応を起こし、変身しているマスト細胞の内容物を放出さる。... ...続きを見る

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2006/08/13 14:30
喘息発作(46)
(君は先生より偉い)喘息の君が先生を訪ねる。先生は君より知識が豊富だ。だから喘息一般について議論したら太刀打ちはできない。でも一つだけ君の方が勝てることがある。君の喘息についての知識だ。どんな感じか、今は普通より悪いか。この一か月はどうだったか。それは君の方が良く知っているのだ。それを教えるために先生のところへいく。沢山症状をいって、先生の一般的知識を引き出すのだ。引き出せれば引き出すほど、君は勝つ。先生は沢山の例を頭に思い浮かべながら、君の症状にあった処置をしてくれる。 先生も人間だから機嫌... ...続きを見る

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2006/08/09 18:13
喘息発作(45)
(薬の使い方)具合が悪いと薬をもらいにいく。これが医師の薬の出し方だった。頻繁に薬を使うときかなくなる、それが常識だった。これに反するような考え方で医師が処方するようになったのは私の経験では1980年ころからだったと思う。常備薬的に毎日飲む薬と、頓服として具合が悪いとき飲む薬を渡された。大病院が診察の予約制度をとったこととも関係するだろう。 私は50歳頃までは近所のお医者さん、所謂町医者にかかっていた。発作が起きそうなときに見てもらった。それが親友の医師の勧めで、権威ある病院の権威ある医師にみ... ...続きを見る

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2006/08/06 10:00
喘息発作(44)
子供と喘息(3) 喘息の子供に自分の病気を知らせなかったという話は前回子供と喘息(2)に書きました。では子供を喘息以外のことでどう扱ったかについて話します。喘息は呼吸器だけでなく、神経系を含めた総合的な病気と私は思うから、こういったことが必要です。今は昭和53年から55年つまり、49年生まれの子供が小学校に入るまでの扱い方です。 喘息の子供は感じ易く、鋭敏に反応します。そのことが前提で私は細かい干渉はしないと決めました。しかしこれは接しないということではなく、一緒に遊ぶ時間を最大限にとったし... ...続きを見る

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2006/08/03 13:19
喘息発作(43)
(体調と喘息)喘息という病気は自分が悪くも無いのに、突然やってきて、この世の終わりかと思えるほどの苦しみを与えます。それなの3日もたつと、普通の生活に戻ってしまうから、理不尽、不条理な病気です。だから悪魔のような特殊な病気、自分の体の調子など無関係な病気を思い勝ちだし、私もそう思っていました。しかし年をとってくると日常体調と関係がありそうに思ってきました。 体調という言葉を大人はよく使います。50歳に近くなってからでしょうか。確か40歳代には余り口にしなかったと思います。30歳代ではまだ精神的... ...続きを見る

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2006/07/31 12:01
喘息発作(42)
(中年の喘息) 中年の男性同志が、勿論喘息持ちですが、「今日は調子はどう」と挨拶します。「どうも具合悪くってね」という返事が返ってきても、具合が悪い様子が見えないのが普通です。誰も体をコントロールする技術を身につけているから、傍目にはそれとわからないのです。薬を適宜使うこともありますが、体に合った行動しかしないのが普通です。仕事の責任が重くなってきますから、それに体をあわせるのは難しいけれど、大抵の男性は困難を乗り越えています。 私は選挙で委員長に選ばれたことがありました。辞退するのは誠に格好... ...続きを見る

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2006/07/28 11:05
喘息発作(41)
(子供と喘息−2)喘息体質は遺伝すると昔も今も言われています。でも20人に1人は喘息と男子についていわれてみると、遺伝じゃなくても親子両方に喘息がでる確率はかなりある筈です。 私は体質は遺伝すると思っています。喘息をもっている人は雰囲気でわかるものです。色が青白いとか、繊細だとか、そういった外見にある特色でわかるのです。長男は生まれてからまもなく喘息にはならないなと感じなしたが、次男はどうかと案じていたら、1歳半のとき喘息発作をおこしました。このことは前に書いた筈です。 前回の話題のように、... ...続きを見る

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2006/07/23 11:00
喘息発作(40)
(子供と喘息ー1)子供を育てることは人生をやり返すのと似ている。嬰児の時代は覚えていないが、2歳頃からおぼろげな記憶が体にしみこんこんでいるように感じる。勿論脳での記憶はづっと後で、4歳以後だろう。祖母は3歳のときに死んだと記録にあるが、私は祖母を体に感じている。それは今も残る。脳以外での記憶を信じますか。 結婚をすると、体重が増えるのはよく聞くが、私も同じだった。5キロは増えた。結婚するとホルモンに変化が生まれるのだろうし、ご飯を規則的に食べるのだろう。しかしこれは喘息には影響がなかったよう... ...続きを見る

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2006/07/20 12:17
喘息発作(39)
(結婚で喘息は消えるか)私は40歳で結婚しました。 結婚が契機で体が変わるというのはよく聞く話です。だから喘息への影響も期待できないわけではありません。でも私はそんな期待を一切持たなかったし、喘息がうずいているうちに結婚の決心をするのは少し気がひけさえしました。しかし喘息発作は殆んどなく、日常でヒューヒューが聞こえる程度でたから、状態は正常な生活に耐えられると自分では判断しました。 勿論、自分の状況をはっきり言って、相手を探しました。比較的に早く結論は出ました。結婚後のことは色々心配はしてい... ...続きを見る

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2006/07/17 17:46
喘息発作(38)
(喘息治療と環境汚染)メプチンの話が出たついでに地球環境汚染に喘息患者が関わっている話を一つ。メプチンは振ってみるとわかるが、薬が溶けている。圧力がかかっているのは使い終わってペンチでアナをあけると、急激にガスがでるのでわかる。薬の急速なガス化が必要だ。そのためにはフロンを薬と一緒に入れておかねばならない。フロンはご存知オゾン層の破壊物質。だから喘息患者が苦しくてシューとやると、その分だけフロンは上昇してオゾン層を破壊し、結果として有害紫外線が地球に降り注ぐ。私は地球環境の破壊をしているわけだ。... ...続きを見る

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2006/07/08 21:56
喘息発作(37)
(喘息と吸入薬)喘息治療で画期的な薬はいくつかある。長年つきあっていて、シューとやる気管支拡張剤はその一つである。昭和45年頃ではなかったか?正確な記憶はないが、新兵器が喘息患者の武器になった。昔メジヘラー今メプチン、どちらも同じで、狭くなった気管支を拡張し,息をしやすくする。これは今もご厄介になっている。 確かに楽になるから、ついつい何が原因でも息苦しいと手がポケットにいってしまうほどの魅力的薬、だが心臓に悪い影響があるそうで、二週間に一本しか絶対に医者は処方しない。 ところが調子が悪いか... ...続きを見る

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2006/07/07 20:56
喘息発作(36)
(引越しは喘息に効果がないか)転地の話を数回前に書いた。転地が喘息治療のひとつと考えられたときがあった話である。私は37歳のとき、目黒から北多摩に引越した。可なりの遠距離移動である。 昭和42年である。当時は未だ公団が威張っていたから、抽選でマンションの1区画を買わせていただいた。当然家は新築だから、ダニはいない。だからハウスダストは当分気にしなくていい。また当時はそれ程ホルマリンを住宅に使わなかったから、今でいうシックハウス症候群などというのは起こらない。それなのにやはり体調は思わしくないこ... ...続きを見る

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2006/07/06 21:28
喘息発作(35)
(喘息と知恵)子供のときは、苦しいから苦しい、と駄々をこねるけど、そういっても楽にならないのが大人になるとわかる。30から35歳といえば子供の一人でもいて当然の歳になっても、私は一人もの。ときには発作がおこる。この時代、薬としてステロイドが使われることが多くなった。コーチソン、プレドニンなどの名で知られる。当時は薬害の方が喧伝されて、ムーンフェイス(顔が丸くなる)とか湿疹とか、色々なことが副作用として言われたし、今も事情は同じである。ただ許容量が違う。当時は1日0,5ミリの錠剤を更に4分割して飲... ...続きを見る

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2006/07/05 22:13
喘息発作(34)
(転地)住んでいる場所を変えるのを転地と言います。昔は転地が喘息治療にいいと言われました。今はどうでしょうか。当時何故転地が良いか、余り理屈はなかったようです。気圧だとか、気温だとかが変わるとよくなると思われていたようで、東京だったら、熱海だとか湘南だとか、空気のよいところ、暖かい所が話題に上がりました。湘南だって今とは違ったのですよ。茅ヶ崎に結核の保養所があったこともありました。 ハウスダストが主因の子供が多いということがわかって、それに接すると抗体が体にできる。これが次に同じ抗原にさらされ... ...続きを見る

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2006/07/03 21:46
喘息発作(33)
(漢方の話)西洋科学の方法は医薬として認められる上で必ず使われます。色々な根拠が必要ですが、とりわけ大事なのはプラシボといわれる検査です。例えば喘息患者を選んで、ある薬候補と、うどん粉のような効果のないものとを別々に飲ませて、効果が認められるのが薬の大事な証拠です。 患者の体質などは考えていない筈です。 漢方の場合、患者を仕分けします。この分け方が独特の理論に根拠をおいています。体質で仕分け、例えばA,B,C、同じ症状の喘息患者でもAとBとCで違う処方をします。人の体質を考えることはいいこと... ...続きを見る

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2006/06/30 13:55
喘息発作(32)
(自分の世界を変えると体も変わる)もう一つ、精神がらみ、医者が関係しない喘息対策。若者に参考になるかもわからないからね。 私は親父が死んだとき大学院の博士課程にいた。当時は60年安保という政治問題で国全体がゆれた。今の日米関係の基礎が出来るかどうか、で国がゆれたのだ。大学も同じ。私は学生以外の人と接する機会がふえた。親父が死んで、経済的に問題が起きているのにと思う人が多いだろうが、人生というのはこんなもの。難しい問題は手をつないでやってくる。 私は政治の渦に巻き込まれているうちに、そこでの親... ...続きを見る

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2006/06/27 21:58
喘息発作(31)
(喘息と精神)難しい話だけど、若い人には参考になるかもしれない。 両親の死なんて大事件だね。私は16歳と30歳でであった。母と父だ。両方とも葬儀のあと喘息発作がでた。父のときは、それ以後激しい発作は消え、40年たつ。 精神的に自立したことと関係があると私は思っている。父親にオンブしたり、反発したりという精神活動がなくなったせいだろう。勿論頑張るという自分の決意もある。いずれにしても、台風がくるなどという、神経性の話とは次元が違う。 喘息という病は大変複雑だという証拠だ。医者が何と言おうと自... ...続きを見る

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2006/06/23 20:52
喘息発作(30)
(頑張らなくちゃ)私は長男です。父は小工場を経営していました。24〜5歳の私の将来を父はどう考えていたか、わかりません。喘息がひどく、お医者にかかってばかりいたから、お金を随分使った筈です。当時は国民健康保険制度が未発達で、制限も多く、私の主治医は嫌って、保険医にならなかったから、全額現金で払いました。でも文句を聞いたことはありません。 喘息の子を持った親はさぞかし将来に希望がもてなかったでしょう。昭和20年代は仕事もありませんでした。私は幸いよい大学の大学院にいましたが、それでも体の弱い子に... ...続きを見る

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2006/06/22 18:09
喘息発作(29)
(喘息と仲良くなる)誰でもいやなことがある。避けられないいやなことがある。例えば背が小さい。目が細い。治せないことだから諦めるしかない。 今日電話が私にかかってきました。30年来の知己でsろそろ50歳です。25歳の頃から精神に障害がおき、今も悩まされていて、今日は不愉快なことがあったのを、訴えてきました。障害でどうしようもないのに、他人の無理解で傷つけられた、という話です。私は30分ほど話を聞きました。それしか手伝えないのです。 喘息持ちも同じです。好い日もあれば悪い日もある。自分の障害(喘... ...続きを見る

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2006/06/21 20:33
喘息発作(28)
(喘息で死ぬ)息苦しくて死ぬ、死ぬと叫んだことはありますが、医者に叱咤激励されたのは「喘息で窒息死した人はいない」、という言葉でした。本当にそうかわかりませんが、苦しいわりに、私が子供の頃は死なない病気でした。でも30歳になるころ、周りをみたら、喘息の仲間はみな死んでいました。私の親友もその一人、われわれは苦しみを共にする友でした。彼は20歳過ぎに喘息以外の病気で体調を壊して、転地療養をしました。そして呼吸器とは無縁の病気で数年後死んだのでした。聞いてみると、喘息は引き金でしかなく、別の病気で死... ...続きを見る

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2006/06/19 21:16
喘息発作(27)
(実力と発作) 息苦しい子供を見ていると、彼は自分の力が発揮できていない、と思うのが普通です。そうでしょうか。もし走れと言われれば喘息中の子供は走れません。でも学力試験をやれと言われたら、実力はでるものです。私は長い間の体験でそれを知っていました。 発作中は気が散らないのです。不思議ですが、そうです。だから実力以上のものさえ出る可能性があります。 決定的な事件は大学入試のときにおきました。超難関校でしたが、試験は3日間、第一日を無事終え、その夜発作を起こしました。夜中殆んど眠らなかったけれど... ...続きを見る

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2006/06/18 20:21
喘息発作(26)」
(入試と戦争と喘息)株で損をする、株を持つ人の条件は同じ、違えばインサイダー取引になるけれど、それは運というものと諦められます。戦争中はみんな同じ過ごし方だったら、戦後の混乱を乗り切れたり、乗り切れなかったり、結果は違っても運だったと諦められます。ところが戦争中は二つの過ごし方があった。動員で工場にいたか、軍人になるため、予備学校に行ったかです。これで戦後の運命が変わってしまった。軍人候補は勉強をしていたけど、工場勤務は何にもしなかった。だから8月15日に始まった戦後はハンデがあった。軍人組が有... ...続きを見る

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2006/06/16 20:39
喘息発作(25)
(勉強再開と発作) 戦争に負けたというのは学生は本来の仕事にもどれということ。校舎はないけど、貸してくれる学校がでてきました。私たちは堂々とその学校に通学を始めました。麻布中学でした。 天皇が敗戦宣言をして我々は納得したのですが、8月15日の前、5日くらいは我々子供の間でも論争がありました。負けを認めるべきだとか、米軍が上陸して殺されるまで(玉砕グループ)頑張るべきとか、本当に今の高一の生徒が言い合ったのですよ。日本の中枢がもめていたのがどこからか世間に漏れてきたのでしょう。 私は後者でし... ...続きを見る

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2006/06/15 11:28
喘息発作(24)
(敗戦と発作) 急激な変化が周りで起こると、精神的なショックで喘息の状態が変わるという角度で、ここ数回喘息をみてきました。強制疎開のゴミも工場勤務への対応でも、そして母の死でさえ、その頃は私の体の調子を崩せず、私の喘息は治ったのかもしれないと、思ったほどでした。 敗戦は中学4年(当時は5年制)の夏に起きました。8月15日です。でも実際は5月頃から負けていたのです。アメリカの空爆で私が勤めていた東京・池上の工場は焼けまし学校も3月に焼けてしまっていたから、いくところがなくなったわけです。どうし... ...続きを見る

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2006/06/14 10:37
喘息発作(23)
(喘息発作と母の死) 中学3年の終わり、1月に母が死にました。これまで書いたように私の喘息を一番苦にしていた母です。朝「お母さん行ってきます」と声をかけて工場へ行ったのが最後でした。会社から直ぐ呼びかえされました。突然ですから、勿論、悲しみに暮れました。何も考えられなかったのは当然です。こんなショックですから、治まっていた喘息が再発するのを父は心配したでしょうが、そうではありませんでした。 父の死までこのあと15年ありますが、15年後は喘息が活性化していました。そのときはもう30歳、長男の自... ...続きを見る

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2006/06/13 21:59
喘息発作(22)
(喘息と勉強)勉強をすると、喘息がおこりやすい、などと大人が言ったら、子供は喜ぶでしょう。そうかどうか考えてみます。 大体喘息というのは軽いときはわかりにくいから、聴診器できいてもらわないと、決められないと思っていいでしょう。喘息発作を何回か起こした人なら、発作がでなくとも、自分は喘息患者だとは誰でも思って普通だから、喘息が軽くおきているかいつも不安です。それが大事につながるかもしれないからです。 中学の2〜3年は小康状態だったと言えるでしょう。不安を感じながら発作が殆んどでなかったからです... ...続きを見る

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2006/06/09 21:00
喘息発作(21)
中学2年は日米戦争が始まって2年目、そろそろ我々にさえ、動員がかかり始めた年でした。動員というのは国家総動員法という法律で、国がかってに国民の生活を変えることができるため行われたのです。我々の最初の動員は線路脇民家の撤去作業でした。家を壊すのです。家があると爆撃で燃えて、線路が使えなくなるというのが理由だったと思っています。我々は今の大井町から大森の間の東京から右手の家を毎日壊しました。殆んど動員の大学生だけの指導で、中学生が実行したのです。今のクレーンやブルトーザーなどないから、木槌と釘抜きで... ...続きを見る

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2006/06/07 18:58
喘息発作(20)
私だって喘息にかからなくなったことがあった、というのは、昔を思い出しての実感です。それで思い出すことがあるんです。中学2年の中間試験のことです。3学期制で1,2学期は長いから中間に一度試験があります。 結果の発表は先ず保護者が呼ばれて、行われるのです。いやらしいですね。母の体調がよく、珍しく出かけてくれました。私は余り期待もせずに家にいましたが、母が珍しく気色ばんで帰ってきました。 「教室で、名前を呼ばれるのを待っていたの。成績順でしょう。どうせ後の方だから、と覚悟していたけど、待っても待っ... ...続きを見る

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2006/06/04 21:12
喘息発作(19)
よく小児喘息は治ると聞きます。これは経験から本当だと私は信じています。だから喘息の子供をもつお母さんは安心していい。これは体質が変るときが喘息の出入りでもあるという一般論の一つと思っていい。出産して喘息が出たとか、閉経時になおったとか言う話と共通していると思います。男の子ではそんな変化が目に見えてないから、何時直るか解かり難いでしょうが。 私の場合、変声期が中学の1〜2年に起きたのを憶えています。性への関心は小学5〜6年に芽生えています。 喘息の変化は何時起きたか。前に述べたように、小学6年... ...続きを見る

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2006/06/02 11:49
喘息発作(18)
日米戦争中が始まってからの喘息小僧の暮らしはどうだったか。喘息は続いて起きて、中学を休む暮らしは変らなかった。体育はやれないことが多く、加えて軍事教練という時間が増えたから、一層困った。先生の間にも私の健康の話は伝わっていて、名前をもじって、「喘息のゼンポン」などというあだ名をつけられた。でも病気が公表されていたから、難しい年齢に入りかけた割りに、いじめをうけたり、屈折した気持ちにはならなかったようだ。 年頃の子供の性への関心はどうだったか。時間的な関係はよく憶えていないが、悪い中学生仲間にそ... ...続きを見る

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2006/05/30 10:09
喘息17
私の記憶の範囲で、昭和15〜6年の喘息治療はこんなものだった。勿論ステロイドは無い。気管支拡張はエフェデリン、アドレナリンに頼った。副作用があるのを承知で医者は使った。私の主治医は極力避けたのは前に述べたとおりである。 此の頃、日本はアメリカに戦争をしかけた(16年12月)。中国との戦争は12年7月7日に始めた。だから物はない。今輸入がなくなったら、日本は存在しないが、当時だって事情はかわらなかったろう。だから病人は栄養以前の医薬さえ乏しくなった。 小学校の卒業は昭和17年3月である。この頃... ...続きを見る

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2006/05/25 11:10
喘息16
(医者の民間療法)私の小学生時代は国民健康保険がなかったから、医者は自由に診療方法を決められた。だから特技のようなもの、民間療法に近いものもやれたといえる。保険制度があると、認定されない方法は医療といえなくなるような気になる。また医薬でない薬を使うのも控えることになる。これはいいことか、私には疑問だ。作用が強くないのを上手に使うのも医療の一方法ではないか。 この種の医療をいくつか憶えている。 1)有名なのは減感作療法。風邪のワクチン注射のように原因となる毒素を少しづつ注射して、体をかえていく... ...続きを見る

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2006/05/23 17:54
喘息15
(4)民間療法には精神面を直す考えはつきものです。例えば東京巣鴨の刺抜き地蔵へいって、願をかける。お百度を踏む(これは社に毎日百回往復する)。祈祷してあるもの、私の場合ヘチマを土に埋めて、短いお祈りの言葉を100回繰り返す。そんなのを母親がやってくれたのを憶えています。 そのなかで、当時珍しいと思ったのが「霊気療法」と呼ぶものです。手かざしとも呼ばれましたが、父親が教わってきて、私の患部に手をかざしてくれました。これは私の気持ちを落ち着ける効果はあったものの、他は不明。今思うと当時岡田茂吉が創... ...続きを見る

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2006/05/19 23:12
喘息(14)
民間療法の続編です。 (3)転地  喘息学校というのが当時もありました。その学校を海辺より、林間に作ったのが特徴です。何故林間か。私の経験では海岸へ夏行くと調子がよいことが多かったのですが、喘息には何故か林間学校が多かったようです。20年程前、トーキンという人の「フィトンチド」についての本を読んだとき理由が少しわかった気がしました。「フィトンチッド」は近頃森林のガスとして評判がありますが、あれを始めて主張したのはソ連のトーキンという学者です。彼は1937年に彼の考えを発表していました。そして、... ...続きを見る

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2006/05/19 17:46
喘息13
何時の頃もお医者の治療だけでは満足できない気持ちが患者にはあります。まして子供の病気ともなれば藁でも掴みたい気持ちに親がなるのは自然です。私は小学校上級生程度だったから親のいうままに素直に治療を受けただけでした。今も同じでしょうから、何かの役に立つかと思い、1935年〜40年の喘息の民間療法を数回にわたって紹介します。 1)乾布摩擦 これは今でも行われているでしょう。健康全般に役立つでしょうが、喘息の子供には格別のようです。喘息は呼吸器の病気ですが、アレルギー反応の病気でもあります。皮膚を鍛え... ...続きを見る

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2006/05/18 12:03
喘息12
小学5年生の頃である。その日も一日苦しかった。廊下を通して秋の夕暮れを布団の上からながめていた。夜になっても勿論眠れない。座ったまま、目の前に高く積まれた布団に時々頭をつけて、お母さんに背中をさすってもらった。 うとうとしたらしい。夜明けも近いようだった。お母さんはもういなかった。まだ苦しい。喘息は深夜2〜3時が苦しく、空が明るくなると希望がでてくる。そのときふと思ったことがある。 「いつか、お母さんもお父さんもいなくなるときがある。そんなとき僕はどうしているのだろう」 そう思ったことを、... ...続きを見る

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2006/05/17 21:18
喘息11
私は喘息小僧だった。でも子供のときは親が気にするほどに滅入ってはいない。少なくとも小学4年頃まではそうだった。 今から思えば親は気になってしょうがなかったようだ。特に母親は弱い子供の将来を考え、楽しみを作る努力をしてくれていたようだ。当時はピアノは高値だったが、オルガンは買えたから、家にあった。それで歌を教えたり、一本指で弾いたりさせたのだろう。当人は同時に野球も好きだったから、仲間を集めてチームをつくり、投手をやっていた。 仲間はどう私を思っていたか?野球小僧か、歌の上手な仲間か? 4年... ...続きを見る

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2006/05/15 12:24
喘息10
喘息の原因は先生や本が教えてくれるけれど、原因を除去することは普通の暮らしでは大抵不可能です。私は子供のとき、神経質に除去する努力をしたけれど、成功しませんでした。それより、自分の体を改造して、原因に対し鈍感になる工夫の方が効果がありそうだ、と気づいたことでした。乾布摩擦は一つの例です。皮膚を鍛えるのは何時の場合もよいようです。お灸などもやったけど、私には余り効かなかった。マッサージも続けたが、1年では駄目のようでした。体を変えるというのは簡単ではないけど、喘息の場合積極的な治療法だと思います。... ...続きを見る

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2006/05/12 18:14
喘息9
喘息は家庭のホコリで起こるとよくいいます。ダニや犬の毛などが家の中にあって、それが呼吸器を刺激する。するとそれに反応する蛋白質が体の中にできて、一連の反応で発作がでる、というのです。ウルシに出会うとカブレルのとよく似ています。体内にダニに反応する蛋白質ができたら、潜在的喘息患者になると思っていいようです。日本人男性の5%ぐらいはそうなっているけど、喘息になるのはその5分の1なんてきいています。それが嘘かホントか知らなくても動物など蛋白質を出すものが良くないし、大抵の喘息はハウスダストという家庭の... ...続きを見る

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2006/05/11 21:05
喘息8
お医者のことだけど、昔の先生は常に患者より偉いと思っていたから、自分の考えを押し付けた。私が子供のとき、お世話になった村田先生は「喘息じゃ、心臓さえしっかりしていれば、死なない」といって、発作が起こっても、なかなか喘息用の注射をしてくれなかった。強心剤だけを注射して帰った。これでも少しは楽になる。でもまた苦しくなるから、呼びに行く。4時間後でもきてくれた。そしてちょっぴり、喘息用の注射をしてくれた。 10年近くお世話になったが、あとで思ったことだが、これが良かったのではないか。成長期の子供に、... ...続きを見る

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2006/05/10 20:40
喘息7
喘息発作が起きたらどうする?苦しいのにほおっておくなんて残酷だから、お医者は注射をする。気管支が狭くなって苦しいのだから、広くすればいい。確かに一時は楽になるよ。でも数時間は持たない。また注射、こんなことを繰り返して、体にいいはずはないけど、喘息が自然に落ち着くまでそうするしかない。私の子供の頃はそうだったし、今も基本的には同じだろう。 出来ることはある。喘息をひどくしないことだ。出鼻をくじく。喘息に勢いをつけさせない。私はこれしか積極的な対策は無いと思う。 こんなことを言うとお医者にしから... ...続きを見る

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2006/05/09 20:48
喘息6
喘息の子は顔が青白いかというとそうでもない。発作がないときは普通の子と変らない。私の初めての発作はお祭りのとき、山車にのるため,足袋を履いたとき、と聞いている。これがホンとか、疑うけれど、お祭りのある9月は後々まで調子が悪かったから、多分ホンとでしょう。それに運動会が出来たのは小学校1年のときだけだから、ともかく秋は悪い。 悪いからといって、喘息のない日は普通の子供のように野球をやった。野球をやった日の夜、発作を起こす。昼間自重していればいい、と怒られるけれど、長い経験でそんなことはない。発作... ...続きを見る

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2006/05/08 17:36
喘息5
小さいとき発作が起きたらどうしたか。いまでも憶えているのは、寝床に座って、両腕で体をささえ、呼吸を整えること、口を細くして息を長くはきだす。両親が代りばんこに背中を上からしたにさすってくれた。息にあわせてさするよう頼んだ。結局コレで時間をかせぐ。3日もすれば楽になってくる。ひどいときには眠れないけど。お医者も此の頃はステロイドを使うが、所詮治す薬はないから、上の方法がベストと思う。 ともかく、これで70年も生きたのだ。よかったことを思いだすのがこの文を書く由縁。 ...続きを見る

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2006/05/07 20:40
喘息4
喘息の子供の話をしました。喘息であるのを知らせないで育てたと言う話です。小学校6年生の頃には隠しておけなくなり、話ましたが、幸いなことに、その頃から発作は殆んどなくなりました。今も元気です。 私の話ですが、喘息が起きたのは5歳の頃と聞いています。年を追うごとに激しくなり、小学校の5〜6年は最高だったと思います。、通信簿にある欠席日数は1年(9日)2年(4日)3年(34日)4年(51日)5年(66日)6年(76日)、これは180日前後の授業日数の3分の1を越えているから落第の筈ですが、乙が体操だ... ...続きを見る

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2006/05/04 12:16
喘息3
何故子供が眠っているとき、「シュー」とやるかって?そう、喘息は神経性な病という面もあるからだ。苦しいと思っていると、本とに苦しくなる。天気が悪くて、発作が起こらないか、と思っていると、本とに発作が起こることがある。だから幼い子供には知らせない方がいい。自分が喘息だってことを、出来たら知らせない方がいい。知ってたってよくなるわけじゃないから。周囲の人が対策をとってやっていればいい。 ...続きを見る

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2006/05/03 18:59
喘息(2)
嫌な天気だ。昨日は27度あったのに、今日は20度にもならない。おまけに雨が降っている。こんな日に喘息持ちの子供は泣かされる。お医者さんに聞いても何故か言ってくれない。でも先生はこんな日が発作を起こしやすいのを知っている。でも子供はわからない。「どうして、どうして僕だけ苦しいの!って。」 雨より、気温より、気圧のせいだって私は思う。低気圧は喘息を起こすと私は思う。低い方へ気圧が変るのが悪いし、安定しないのはもっと悪い。「南太平洋上に発生した台風が北北東に進路を変え、日本本土を襲う恐れが出てきまし... ...続きを見る

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2006/05/02 18:16
喘息
私は喘息。5歳のときから、と親に聞いた。今は何歳・それは秘密だ。でも還暦を遥かに越えている。 ずっと喘息。親は16歳と26歳のときに死んだから、一人で喘息と付き合った。今は奥方も子供もいるけど、相談相手にはならない。医者だって、喘息経験は私よりづっと短い。でも相談はしている。 昔の喘息は小学校が終わると大抵なおったけど、私のは直らなかった。戦争の所為だと思っている。喘息の友達はみんな死んだけど、私だけは生き残った。どうしてか、わからない。 でも定年まで仕事が出来たし、社会的にもまあまあだと... ...続きを見る

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2006/05/01 09:30

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