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善本知孝のブログーOpera-Crasy

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善本知孝のブログーOpera-Crasy
ブログ紹介
善本知孝のブログです。オペラの話、クラシック音楽だけでなく、木のはなし、きのこの話が話題の中心で、大学教授時代から、今までの生活記録もとりあげています.人生の終わりが近づいているのを感じる昨今、4歳で始まった喘息と付き合いながら長かった83年とくに東大入学以降を音楽とともに振り返ります。話を本当のことにしたかったので実名を書いたものもおおいですが、これは当人の許可を得ず私の判断で行いました。もし誰かを着けた傷つけたらお許し下さい。
オフィシアル ホームページはこちらにあります。
http://tom-yoshimoto.com/index.html

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タイトル 日 時
微生物(キノコ)の見えない世界(1992〜94、パワフル健康食品(株))
(この講演の内容は小冊子として著作になっていますが、印刷していません。講演会で話した概要を紹介します。) 1、は食物としてのきのこで、1,1はきのこの味の話です。キノコの味が強くなったのは、主としてたんぱく質が 多くなったことにかんけいしています。しかしシイタケの味はこれとは無関係です。普通「うまみ」と関係しているのは「あじのもと」を思い出しますが、化学成分でいうとグルタミンというたんぱく質でうまみが強いのはうまみが強いのはマッシュルームで682マイクロモル・グラムもありますが普通のきのこは... ...続きを見る

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

2018/07/11 10:28
霊芝の破砕(1991年のパワフル健康食品(株)での講演会)
霊芝は神の与えたキノコです。中国4000年の知恵で、私が初めて見たのは社長の父上が作られた傑作でした。これをどういう方法で当時人が体に入れていたでしょうか。土瓶で熱水で煮てエキスとして、飲んでいたとききました。社長はエキスの量が余りにも少ないので、勿体ないと、当時まだ大学を辞めたかどうかの頃相談に見えたのを憶えています。 その時のことは今でも覚えています。木材からエキスを取る方法です。木材を煮るというのはパルプ製造という技術で日常的につかわれていましたから、木を煮る前の工夫はいろいろありました... ...続きを見る

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2018/07/11 09:48
(2)戦後の変革(2016年パワフル健康食品での講演)下
この制度はアメリカが決めたものです。ところが、従来日本の教育制度は明治時代にヨーロッパを参考につくられたものでした。不幸の根源があったように私には思えます。両者には根本的違いがあるように私は思うからです。違いの最大のものはアメリカの大学教育は「教養」中心だったのにヨーロッパの大学教育は「抽象的理解」が中心だったことです。 ...続きを見る

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2018/07/11 09:47
少年時代と戦争下(2015パワフル健康食品(株)での講演)
6 東大受験 これは昭和24年(1943年9、戦後の話です。 義母と弟妹との拗れに明け暮れした昭和20年台のことだ。父はいい父になっていた。私は受験に明け暮れしていた。昭和24年、国会が拗れ、新制大学の発足が遅れ、入試が7月にずれ込んだ。3日間の入試だった。3日目、私は喘息発作を起こしてしまった。勿論深夜だ。家中が心配するなか夜明けが進んでいった。勿論父も「欠席やむを得ない」とし思っていたに違い。意地っ張りだった私は、断固受験の道を選んだ。父は眠らず、食わずのわが子を止めた。私は東大本郷に向... ...続きを見る

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2018/07/11 09:44
(2)戦後の変革(2016年パワフル健康食品での講演)上
敗戦時私はまだ学生でしたから、戦後おきた教育制度の変化に翻弄されたのを先ずおもいだします。私の学年は4年生か5年生で旧制高校の受験が可能でしたが、両方落ちたので、1年浪人して入学、1年で廃止されたので、新制東大に受験、合格し、新制東大を4年で卒業という、変則な履歴になりました。 終戦後の日本の教育方針は戦争が終わる数年まえには決まっていたようです。終戦後即ちに、禁止されたのは「教育勅語」を読むことで、毎朝生徒がとなえていた「朕思うに,皇宗皇宗国をはじめることーー」に代表される国家主義的教育が... ...続きを見る

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2018/07/11 09:43
(1)少年時代と戦争(上)(2015年パワフル健康食品(株)での講演)
1、転居 初めて私の喘息に親が気づいたのは、4歳のころと聞いています。そこで小学校に入るとき、空気のいい家への引っ越しを親は考えたようで、本来なら駅から5分の向原小学校へはいるのに、15分の碑小学校へ入れる決心をし、その間当時あった寄留制度をつかって、知人の家に住んでいることにし、一方、碑小学校の近くに家を建てはじめました。完成は支那事変が起きた昭和12年でした。2年生の夏でした。転居は喘息にいい、と当時はいわれていたけど、私の喘息はよくなりませんでした。そこで神頼みがはじまりました。先ず転居... ...続きを見る

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2018/07/11 09:41
ベームの「フィデリオ」映画
ベームは1971年に他界したそうだから、この映画の制作年1970年は最後の年に当たる。名匠の名作「フィデリオ」は正に「白鳥の歌」で今まで存在を私が知らなかったのが恥ずかしい。オケはベルリン・ドイツオペラ・オケ。ギネス・ジョーンズ(レオノーレ)ジェームス・キング(フローレスタン)ヨーゼフグラインドル(ロッコ)。 映画なので、カラーのアップが少し気になるが、美しい。昔のLDローター指揮の白黒の世界が夢の世界の出来事のように思える。両者の歌手は殆ど似ているのもグラインドルは重なるし、レオノール役は似... ...続きを見る

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2018/07/01 11:04

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