善本知孝のブログーOpera-Crasy

アクセスカウンタ

zoom RSS 喘息(66) 小さなお家1(引越し)

<<   作成日時 : 2015/03/28 10:10   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

画像
           お家の庭から小学校が見える
 
私は今(2015年)85歳、東京生まれの東京育ちの喘息持ち老人。4歳(昭和8年1933)のとき「喘息」と診断されたそうですから82年間も喘息とつきあっていますが、まだ普通の生活です。日課は散歩とブログ書き。生きています。
生まれたのは今の目黒線の西小山付近ですが、育ったのは東町84番地(今目黒本町)、昭和12年目黒の碑文谷へ転居しましたが、発病は東町時代ですからこの「小さなお家」の話は碑文谷時代の話です。
そこでの出来事は昭和12年に始まりましたが、内容が最近アカデミー賞をとった映画「小さなお家」(以下映画「お家」と略す)にとても似ているので、映画での出来事を思い出しながら私の喘息話を「家」「家族」との関係で、読んでいただければと思います。

生まれは昭和5年1月ですから、小学校の入学は昭和11年です。小学校は碑(イシブミ)小学校ですが、東町の住まいは区域外、所謂寄留入学でした。昭和12年に碑文谷に家を建てる予定だったので親父はこんな処置をしたのでしょう。
映画「お家」では昭和10年東京の郊外に建てた家での出来事でしたから、ほぼ似た頃です。これが県外から上京したサラリーマン男性の当事の平均的夢と見ていいでしょう。母は下町の御徒町育ち、父は山口県出です。
目黒線(当事目蒲線)の武蔵小山駅から10〜15分歩かねばなりませんが、近くには国宝の円融寺や湧水を持つ清水公園、立会川の水源碑文谷公園もあり、静かな新興住宅地でした。
「私の喘息に少しでも空気のきれいなところ」と両親が選んだ場所でもあったのでしょう。80坪に30坪の平屋だて。
学校へは歩いて数分でしたから、喘息も少しよくなったようでした。引越しは2年生のとき、それが3年生になると逆戻り、前より酷くなったようにさえ思えました。
小学校の通信簿(当時そう呼んだ)が残っていますが、それから「1年生から4年生までの出欠」を写します。

1年生239出(9欠)2年生245出(4欠)3年生213出(34欠)4年生197出(51欠)

3年生で反転し悪くなったのは「新築家屋」のせいとは誰も思うことで、まず家の方位が疑われて、神主が来てのお払い、次が占い師の登場で「大黒柱の位置が悪いとのご託宣」(当事の建て方では大黒柱などない)、そして最後が建築材料の吟味、当時すでに木材アレルギーを言う人がいたようでしたからでしょう。家の柱は柾目の通りが悪くても国産ヒノキ材、天井板はスギ板でしたから申し分はなかったのですが、米スギ喘息が当事知られていたので、博学の大工に目をつけられました。今思うと日本のスギと米スギは学問的には別の種類で米スギにはプリカチン酸があり、それがアレルギー反応を起こすから、喘息を疑われる資格はあったものの、日本スギにはプリカチン酸はない。私のお家はとんだ疑いをかけられたものです。ましてスギ天井板は厚さ0.5ミリ以下だから、木とはいえないほど少量、あらぬ疑いです。つまり喘息は感染性の病気ではないのです。

映画「お家」の内装は私の家とは違ってかなり洋風でしたから、こんな疑いは起こりようにありませんが、喘息の代わりに小児麻痺にかかるという悲劇が赤んぼに起こり、優しい女中が日々のマッサージのため都心に通うのが筋立ての一つになっています。この感染性の病気に似た時期にかかった親友がいるので、小児麻痺が当事大変な悲劇だったのがよくわかります。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
喘息(66) 小さなお家1(引越し) 善本知孝のブログーOpera-Crasy/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる