テーマ:政治

1戦後;6・3制教育

1945年8月、日本は英米ソ中国との戦争に負け、全面降伏しました。そしてアメリカを中心とした連合国軍隊が9月早々東京など大都市を占領しました。東京の日比谷にはGHQという「総司令部」(指令長官は米軍のマッカーサー)が置かれ、日本の行政機関は彼らの命令に従って動くことになりました。命令とは敗戦国が有無を言わさず戦勝国に従わさせられることで…
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(目次)東大での40年

東大での40年 1戦前   子供(1) 小児喘息と転居      (2) 小学生時代     若さ (3) 中学生時代と学徒動員      (4) 中学上級と浪人(酷い喘息) 2 .戦後      (1) 旧制高校と東大の合格       (2) 旧制高校とストーム      (3) 東大受験と合格 3 大学   …
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自我・連帯(1)(ストーム)と野球

「ストーム」という言葉を憶えてあられる方はもう数少ないだろう。旧制高校はの特殊用語だからだ。1年在学した旧制高校の生活中で、覚えた意味のある自主的教育用語だったように思う。 旧制高校は昭和23年に廃止になった。それは高級官僚が、旧制高校、帝国大学の学歴で高級官僚となり、軍人とともに、日本を破滅に陥れたとアメリカが考えたことに由来する事…
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自我、アジ、連帯(1)旧制高校用語(ストーム)

「ストーム」という言葉を憶えてあられる方はもう数少ないだろう。旧制高校の特殊用語だからだ。1年在学した旧制高校の生活中で、覚えた意味のある自主的教育用語だったように思う。 全寮性だった宿舎に、ある日突然「ストーム」の掛け声で、上級生が現れ、下級生が座らされる。そして「お前は入試に通って偉いと思っているだろうが、お前は並みの凡人だ。お前…
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若者と政治(8)東大紛争3-契約社員の問題

[大学紛争]に入ったとき、私は37歳になっていた。若者の定義は35歳だと思うから、話題は中止すべきだが、未だ独身だったせいか、気分は若者、今回で話に切りがつくのでもう一度同じ話題を続けさせていただく。 38年1月の「安田講堂での機動隊との攻防」が東大紛争の象徴のように思われているので、知られていない話題を続ける。37年には加藤総長代行…
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若者と政治(7)東大紛争2――学内暴力

最高意思決定機関が教授会なら、彼らは一切に責任を負うのが当然です。それは学問研究の自由に始まって、研究領域の制限も拒否できます。東大が今も軍事研究を拒否しているのはそれが根拠です。医師関係のトラブルの処理が混迷したのは、教授会の自治に一部負っているのは確かですが、紛争が激化してくると、決める医学部教授会は混乱し、学生の要望もエスカエレー…
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東大紛争(1)教授会の自治

東大紛争 安田講堂に立て籠もった学生、それを機動隊が攻め落とす。そんなアニメまがいの風景を「東大紛争」という言葉はおもい起こさせるでしょうが、当事者にとってはそんな甘い幻想ではありません。私の個人的思い出は10年かかりの出来事でした。 最初は1968年3月、当時は石だたみだった、安田講堂前の広場を占拠して卒業式を阻止しようとして…
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若者と政治(5)政治への飛躍  (「日本科学者会議」の東大幹事)

当時、研究者と社会人との間の交流を活発にしようという動きがあった。研究者の仕事が社会と孤立しがちだからである。これは社会全般の動きがそうであるが、原爆が社会と隔離されているなど、その例である。われわれの仕事が社会人に分かってもらえないのに、その影響は極めて大きい。 東大の内部紛争は序序に過激になった。それと関わるように1968…
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若者と政治(4)連帯(コーラス、教授懇話会世話人)

連帯という言葉は政治活動から新らたに生まれたらしい。連帯保証人という言葉が世の中に一番知られているが、政治的な同志といった意味にも広く使われだしたのは、60年安保が契機らしい。連帯の新しい意味である。普段、個人主義的な色彩が強い都会人にとって、「連帯感」など希薄だが、それがある瞬間、個人と個人の境がとれて、生まれたのが「連帯」の感じ…
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若者と政治(3)60年安保

私は駒場時代、政治をさけてきた、校門前の「立て看」も無用な落書きだった。それが昭和35年の60年安保の頃、迫りくる余りにもの騒音に、無視できなくなった。昭和31年4月には大学院へ入っていた。それでも32年は殆ど理学系の化学課程へ講義を聴きにいくのに熱中していたから騒ぎは無縁。我々の日々の関心の的だった化学構造が約束事の仮説に過ぎないとい…
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若者と政治(2)占領軍の仕事2(安保への道)

持って育った先入観を客観的にしるのはなかなかむつかしい。我々の世代に限れば、学校の校門を入ると天皇、皇后両陛下の御真影に礼をすることで1日が始まった。それが出発点だったのに、戦後天皇の人間宣言があり、すべての人間に上下がなくなった。では人間の秩序をどう組み立てていくのか。 従ってわれわれは新らたに学ぼうとするのがすべての出発点だっ…
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占領軍の仕事(学制の変革)

われわれは戦争に負けた。若者男子は殺され、女子は売春婦になるかもしれない、と聞かされていた。占領軍は敗戦半月後、日本にやってきた。でも彼らはチョコレートをくれたが危害はくわえなかった。 思えば我々は米国に無知だった。何も米軍について教えられなかったのだ。若者の暮らしは全て戦時の情報に支配されていたのだ。若者の暮らしが政治と無関係で…
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