テーマ:クラシック

ブルックナーの朴訥(3)交響曲・帰依

ブルックナが生まれ育ったのは19世紀後半です。ヴェルデイやワグナーの時代。特にワーグナーの知名度が上がり始め、ブルックナーは彼に心酔し始めていました。第三交響曲はワーグナーに捧げられているので、「ワグナー」の別名があるほどです。 ベートーヴェンが交響曲で名声を確立していたので、交響曲の代名詞になっていましたが、シューベルトは歌曲王…
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ブルックナーの朴訥(2)ベートーヴェンの影響

ワーグナーの世界はブルックナーに大きな影響を生涯与え続けますが、交響曲の実際の創作に対して,より直接的な作用を及ぼし、実際に作品のなかに痕跡を残し続けたのはむしろベートーヴェンであったと言われています。(音友、「人と作品。ブルックナー」p31) キーツラーのよるレッスンのなかでベートーヴェンのソナタが教材に使われたとは前に述べ…
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ブルックナーの朴訥(1)シューベルトとの類似性

この2ヶ月ブルックーナーだけを聞いた。彼が特に好きだった時期は一度もないし、わざわざ聞きに行った記憶があるのは15年前のギュンター・ヴァントの第九だけだが、それなのに、いつの間にか沢山のLPとCDが溜まっていた.。暇でもあるし、それらを聞いてみた。しかし聞き始めてから、ここ数ヶ月他の作曲家を全く聞く気がしない。こんな経験はないから、…
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新国立オペラのドン・ジョバンニ

まあ、満足でした。3年前、この演出[アサガロフ]でやられたそうですが、私は初めて。上等な劇場で予想外の安い良い席Bでみた感想です。主役がなかなかの実力でしたが、脇役もテナーを除いて良かったせいでしょう。 まず演出、予想した通り日本に合わせたもので保守的、舞台機能をフルに使った地獄落ちは圧巻でした。3階のLは殆んど2階で、突き出たところ…
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パーセル。セミオペラ(アーノンクール26)

オペラの誕生はイタリア・オペラについてはよく知られていますが、イギリス・オペラについては殆ど関心がありません。言葉と音楽が結びつくのだから、国語ごとに違って当然です。英語の場合マスクが土台というのは私もしりませんでした。 乞食オペラの名でしられている野卑な音楽劇やイギリス、民衆音楽からとった旋律がつかわれたバラド・オペラの名でしられた…
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アーサー王〈アーノンクール25〉

ア―ノンクールがパーセルに愛着を抱いていることは前回述べました。アーノンクールは「アーサー王」いう劇音楽を2004年ザルツブルグ音楽祭という晴れの舞台で公演しています。其のDVDを私はみました。解説書がないのではじめ理解に苦しみました。何度も見て少し理解できました。元来、これはマスクです。イギリスで17世紀のセミオペラで、演劇ですが、部…
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ダイドーとイーネス〈アーノンクール24)

アーノンクールは古楽,特にバロックから音楽生活をスタートしました。そこにオペラが入っていたのは当然です。オペラの原点はバロックにあるのですから。 オペラはモンテヴェルデイにはじまりますが、アーノンールは彼をもっとあとに取り上げます。1980年ころです。そのまえ1970年ころにパーセルをとりあげています。パーセルの「ダイドーとイーネス」…
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「ウリッセの帰還」(アーノンクール22)

                      ボネルの ペネロベ ウリッセは、日本で聞きなれた名前ではオデッセイです。ラテン語系とギリシャ語系がギリシャ神の名では我々を悩ませます。日本語系と私がかってにきめた名前を使い、別名を(  )の中に入れます。前回のオデッセ…
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オデッセイ(アーノンクール・21)

オデッセイ(ウリッセ)はギリシャ神話のスーパースターではないでしょうか。美女へレンの略奪、トロイ攻撃での木馬の話、勝利後の帰宅での20年の流浪。 オデッセイを取り扱ったアーノンクールの仕事は、2度のDVDと1度のCDの「ウリッセの帰還」です。これはホーマーの名作オデッセイ物語(オデッセイア)の後半分を取り上げています。私の知ってい…
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アーノンクール(20)「オルフェ」とマントーヴァ

               加藤浩子{黄金の翼」より借用 「リゴレット」で観光地化したマントーヴァ、これは16世紀の事件とヴェルディは仮定していますが、ここが古来文化的な中心地だったのは、我々は殆んどしりません。例えば、西暦0年、つまりキリスト生誕のころにマントーヴァに生れたのがウエルギリウスは、彼はトロイ戦争以降の歴史「アーレニウ…
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アーノンクール(19)ボネルとの「オルフェ」

1975年にドレーゼの誘いでボネルとアーノンクールはチューリッヒ歌劇場でモンテヴェルディのオペラを上演しました。2人はともに1930年前後の生まれですから45歳前後、野心に満ちた仕事をするにには絶好の年齢です。3部作ともいえる、「オルフェ」「オデッセイの帰還」「ホッペアの戴冠」というモンテヴェルデイの作品に挑戦しました。すべて格式の高い…
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アーノンクール(18)オルフェオ

                           父アポロによるオルフェの救済 オルフェ(オルフォイス)の話は誰も知っていますが、このギリシャ神話はさまざまに変形されています。オペラの台本となっアレッサンドト・ストリッジョの話はとてもロマンチックです。新妻に死なれ恋しさの余り地獄を訪ね(何で地獄か?)地獄の大王フルトーネの奥…
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アーノンクール(17)モーツアルトのオペラ・セリア(下)

            普通の演出 これはモーツアルトが書いた最後のオペラで、しかもセリアです。ティトスは実在の人物。父親ヴェスパシアヌスは有名な暴君ネロの命令でユダヤ人の反乱を鎮圧に出ている時に、皇帝は自殺、彼はライバルを蹴落とし皇帝になりました。…
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アーノンクール(16)モーツアルトのオペラ・セリア(中)・・ミトリダーテ

。                          王の婚約者アスパージャ ポネルがフランス人なのに対し、アーノンクールはオーストリア人。この同時代の天才が一緒に仕事が出来たのは20世紀の幸運の一つでしょう。 75年から死の88年までの仕事に、格式を重んじる、人気のないモーツアルトのセリアが多かったのは偶然とはいえません。ボ…
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藤原歌劇団の「ルチア」(3月5日)

「ランメルモールのルチア」通称「ルチア」ドニゼッティの名作、ドニゼッティはベルデイの一世代前、ベルカント時代の大作曲家です。 藤原歌劇団は二期会とともに東京の2大歌劇団の一つ、年に2~4演目上演しています。新国立歌劇場が月2演目も上演することがあるのと比べると、格段の差があり、更に東京に来る2流の外国歌劇場(毎年2~3回)年1回は来日…
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アーノンクール(15)モーツアルトのオペラセリア(上)・・イドメネオ

                            イダマンテとイーリアス 1995年のザルツブルグ音楽祭での彼の演説を思いだします。 「・・・・モーツアルトはロココ神のアポロ神の姿へと変貌を遂げねばなりませんでした・・・・アポロ神の姿でモーツアルトが音楽祭のポスターを飾りました。・・・・命令により「陰鬱なもの」すなわち祝祭…
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アーノンクール(14)の「コシ・ファン・トッテ」(2)

         ブッシュの 1935 年グラインドボーン 台本と音楽はオペラを作る必需品です。台本を読んで、これを舞台に表現するのが演出家の仕事ですが、演出家は指揮者と相談してスタイルを決めるでしょう。音楽には色々な演奏の仕方があるから指揮者の選択は舞台表現と連動します。「コシ・ファン・トッテ」は20世紀になって、原作のまま上演…
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アーノンクール(13)の「コシ・ファン・トッテ」(1)

  初演時のフェルランド、デスピーナ、アルフォンソ 大変ふざけたオペラで、モーツアルトは[2幕の喜劇的ジングシュピール(歌芝居)]と名づけました。最後から3番目の通称オペラです。超真面目なアーノンクールが取り上げるかと思うような曲です。 荒筋はこうです。 2人の青…
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アーノンクール(11)の「ドン・ジョバンニ」

             理想の女性を求めて、ロマン派のジョヴァンニ この世界遺産ともいえるオペラは、始まりはわかり難い事件です。主役ドンナ・アンナがドン・ジョバンニに深夜寝室に忍び込まれ、逃げる彼を追いかけるのが場面です。ではその前、アンナの部屋で二人はどうしていたか。それを見る者は思ってしまうのが自然です。オペラが10分…
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大野和士の「トリスタン」

                ワーグナーが見た「トリスタンとイゾルデ」(1865) この長大な曲が日本人の手で演奏されたことは嬉しい話です。2時開演,8時閉演でした。休憩が2回各45分あったにしても、4時間半の上演です。 大野さんはオペラの分野では、世界の10の指に数えられないかも知れませんが、次の10人には確実に数えられる人です…
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アーノンクール(10)の「フィガロの結婚」(その2)

アーノンクールのDVDは二つでています。96年のチューリッヒと06年のザルツブルグですが、抜群に異様です。前者は普通のオペラで、変化無しと見間違いがちですが、可なり異常で、後者では異様さが鮮明に現れています。一言でいうと、音楽に合わせて歌手は平服で演技をしている感じです。舞台は均一、つまり変化がなく、使われているのは伯爵邸の廊下か階段の…
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アーノンクール(9)の{フィガロの結婚}

             スザンナを誘惑する伯爵 アーノンクールは1995年のザルツブルグ音楽祭の冒頭に演説をし、こう概略定義しています。「独裁性は芸術をわがものとせずには居られません。というのも、芸術は批判の余地なき言語だからです。---…
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アーノンクール(7)カラヤンの相続人(その2)

2人の間の「私闘」について、新聞記事は多い。こんな話が伝わったこともあった。 「何人かの指揮者じゃミュジック・ショウをおどるだけんのディレッタントです。かれらは音楽的にも道義的にも問題ですオリジナルのスコア知らないし、知ろうと努力することもしません。そしてベートーヴェンの交響曲があやまった楽器編成で演奏されていても一向にお構いなしです…
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アーノンクール(6)カラヤンの相続人

アーノンクールの誕生は1929年、カラヤンは1908年ですから、2人は競争相手ではありません。しかし1989年のカラヤンの死まで、アーノンクールがカラヤンの勢力権の外側で仕事をしていました。彼の死後、仕事が勢力圏の中に拡大したので、死後「カラヤンの後継者」と呼ばれたのも不自然ではありません。 カラヤンは1950年台から1980年台の後…
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アーノンクール(5)のシューマン第四交響曲

聞いていて、こんな幸せな気持ちになる曲は数少ないでしょう。第一交響曲は「春」と名づけられていますが、その後に作ったこの曲は「春」以上にわき出でる喜びに満ちた力強い曲であるのが、アーノンクールの演奏からよくわかります。 この曲はシューマンがクララ・ウイークと結婚した翌年の1941年5月(これは第一交響曲完成の数ヶ月後に当る)に稿を起こし…
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アーノンクール(4)の「四季」

彼はバロックが得意だからヴィヴァルディを録音していると思い、捜してみまいしたが存外ありません。幸い「四季」はありました。聞いてみて驚きました。聞きなれた「四季」とは全く違います。 「四季」は昔から有名ですが、第二次大戦後、カール・ミュンヒンガーが世に広めたと思います。1955頃のことです。日本でも演奏しました。LPとして名声を高めたの…
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アーノンクール(3)のブランデンブルグ

本文                  ケーテン城 アーノンクールは貴族である。客席から見上げる彼の姿に、片鱗が感じられる。本当に貴族だそうだが、彼の生き様がよき貴族の精神を映し出している。妥協はなく、納得したら、他人の思惑を気にしないで実行する姿勢である。 私は彼のLPを3枚持っていた。名盤と聞いたから買ったが、さほどの感…
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