テーマ:クラシックへの道

昭和一桁のオーデイオ(86)イーボ・ポゴレリッチ

天才は時代に何人かでるものです。彼をきいたのは2005年と2007年1月の2回ですが、今までのショパンと関係ないピアノを聞かせました。出鱈目という人がいても不思議でないほど変わった演奏でした。両方ともサントリーホールの前から7番目できいたけど、音が聞こえないほどのピアにシモが何箇所かありました。それで、耳の穴をほじくって耳を傾けたのです…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(94)旅と音楽6「フィガロの結婚」

2005年正月、音楽ツアーに初めて参加しました。ダイナーズの企画によるものです。ザルツブルグとウイーンに行くのですが、ウイーン国立歌劇場で小沢の指揮がみられるのが狙いです。            ウイーンはアルプスの北で、南のイタリアとは離れていますが、モーツアルトの時代、イタリアで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(93)旅と音楽5(英国と「トリスタン」スコットランド民謡)

2004年は3年おいて、またイギリスを訪ねました。直前に入院したので、何の準備もなしの訪英です。勿論ビルとルミの世話になりました。ポルトガルのリスボンにあるサンヴィセンデ岬のランズエンドという地がランズエンドの地名で有名ですが、イギリスにもランズエンドがありました。その「地の果て」へいく途中プリマスまでビル夫妻と同宿し、我々ふたりだけが…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(92)旅と音楽4(ロシアと「ショスタコ第7」「戦争と平和」

2003年は普通のツアーで、家内とロシアを10日間ほどの旅をしました。殆どがサント・ペテルスブルグでしたが、一泊だけキジ島周辺のペトロザボーツクに泊まりました。サント・ぺテルスブルグへは週1回の直行便でした。プーチンが就任して間もない頃で、まだロシアは貧困から抜け出ていませんでした。 サント・ペテルスブルグがヴェネチアのように人口都市…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(91)旅と音楽3(北欧と「ハムレット」「ペールギュント」)

2002年の旅は、50年来の友人蓮江夫妻との北欧旅行でした。                   クロンボ城               計画を一切彼に任せたので、常識的でない北欧旅行となりました。デンマークまで飛んでコペンハーゲンで数泊、その後ノールウエイまで、足をのばし、オスロ、ベルゲンで各数泊しました。10日余の旅ですが、普通の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(90)旅と音楽2(セビリアとフィガロ、カルメン)

1971年にはスペインを6人で旅しました。知人の中田夫妻とスペイン人2人と一緒でした。                 訪ねたスペイン人の邸宅 スペイン人二人はホセさんとエルヘーニヨさんです。彼らの案内に全てまかせました。バルセロナと北部が政治的に不安定だったので、南の一周になりました。マドリッド、コルトヴァ、セビリア、グラナダです。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(89)2000年の旅と音楽(英国と「ファルスタッフ」2)

私が「ファルスタッフ」の生を見たのはサイトウキネン2003の1回だけですが、DVDは5種もっています。サイトウキネンで見た舞台は樹木は殆どなく、木の床が一面に広がり、左奥に小屋があるだけのセットでしたが、これは例外で、多くのDVDの舞台では一幕はファルスタッフの貧相な家の内部、二幕はフォードの豪華な家の内部,、三幕はウインザーの森です。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(88)2000年の旅と音楽(英国と「ファルスタッフ」)

             ウインザーのピク7ニック 2000年から2004年までは毎年、家内とヨーロッパを歩きました。イングランド、スペイン、北欧、ロシア、スコットランドです。特に音楽を意識して場所を選んだのではありませんが、行ってみてから音楽との結びつきをあれこれ思いました。その話を数回連載します。 2000年は2度目のイギリ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(87)ナイジェル・ケネディ(幻の天使4)

。。            第1回来日時のパンフ パンク・ファッションの名ヴァイオリニスト。クラシック音楽の堅いイメージとは程遠いスタイルで演奏するナイジェル・ケネデイはイギリス人。1956年生まれですから、来日した2001年には未だ45歳、1977年ムーテイ指揮でデビューだそうで、ビートルス世代より若い。彼には音楽に違いはないようで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(86)小沢オペラの先進性(幻の天使3)

小沢征爾のオペラは彼がウイーン国立歌劇場の音楽監督をしていた割には日本では話題になりません。オペラの地位が西欧と比べ日本では低いように思えるからでしょうか。 「幻の天使」長男の一さんはオランダ放送オケの主席ファゴットで、且サイトウキネンオケの大事なメンバーでした。彼は毎夏来日し、小沢さんのオペラで吹きます。清瀬の家には数度来てもらい、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(85)近衛秀麿(幻の天使2)

近衛秀麿は戦後の交響楽運動のリーダーでした。1930年台にドイツに渡り、フルトヴェングラーの影響を受け、ロマン派指揮者として活躍。(大野芳「近衛秀麿」講談社刊)戦中はドイツに在住(ベルリン・フィルを指揮したCDあり)、1945,12に帰国。腹の空いた日本人を音楽で満たしてくれた恩人です。近衛氏はフルトウェングラーに師事、当然トスカニーニ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデオ(84)幻の天使1(サイトウキネンへの序曲)

弔辞(葬儀で使用したもの) 深野先生ながい間ありがとうございました。やすらかな御他界は感無慮です。先生とお会いしたのは昭和32~3年と思います。日ごろ世話になっていた近所の歯医者が不在だったので「突然の訪問で失礼ですが」、と申したところ不在の歯医者のことを優しく弁護されました、その一言が心に残り、去年6月21日まで半世紀近いおつき合い…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(83)ジプシーオペラ(熱海を去る)

2000年3月で退職するのは約束ではないが当然のように思っていました。しかし相手は当然ともおもっていないようでした。私は思い切ってやめました。仕事の晩年は東京へいく機会も多く、退職が当然だったと思います。お陰でみられたオペラは増えました。「見たオペラ」には次のものがありました。 (1996年)平成8年10月「魔笛」プラハ国立歌劇場…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(82)アーノンクールとの出会い

今でも鮮明におもいだします。70歳も近い、夏の朝8時半、熱海の海が見える部屋のテレビにクラシック音楽が写りました。                               熱海の古屋               さりげない構成でさわやかな画像が写り、クラシック音楽が流れます。その日(1999年頃)はクラシックの小合奏団を中…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデオ(81)木曽音楽祭3(自然さの力)

人は固くなると実力がでないことがあるのは御存知の通りです。スポーツでは良く出会うことがらです。素人は兎も角一流の音楽家でもそんなことがあるという話です。 木曽音楽祭を木曽の伝統が西洋文化によい影響を与えるのを期待するとするのが私の入賞論文の主旨でしたが、5年も経験するとこれは少し違っていたのではないかと思い出しました。よい影響はあるが…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(80)木曽音楽祭(2)加藤知子の花束(29回30回2003~4)

木曽音楽祭には最終日に地元の小学生が壇上の出演者に花束を贈呈する慣行があります。 これにどんな意味があるか不明ですが、地元の世話で成り立っている音楽祭に出演者が感謝するのが普通ですから、反対のようにもおもえますが。東京から遠路来た名人なちのほとんど無償にちかい出演に感謝しているのかな、と遠路きた観客は思います。フィナーレをもり上げるイ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(79)木曽音楽祭(1)雑感(25、26、27回1999~2001)

この音楽祭は日本ではもっとも古く、私が初めて参加した1999年は第25回でした。 木曽路の中心、木曽福島で夏に行われるもので今年(2014)は第40回です。どこで知ったか、放送で中継が数年間あったからです。 8月末、木曽路に秋が感じられる頃でした。宿泊は街の旅籠三河屋、中級でした。 ここ会場へは大会専用のバスがでました。全般的雰囲…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(78)アジアの国々への旅(シドニーオペラ)

5年もいると外様の人間も内部の人と同様になり、自由が得られるようになるものです。アジア旅行なら1週間で帰れますから、毎年のように旅をしました。64歳(1994年)の肺炎で、命の限りあるのを知ったせいか、外国へ旅をする気になったのです。1986年の世界旅行の経験から、異国内での行動は現地に知人がいなければどうにもならないとわかっていたので…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(77)熱海時代(LDオペラ)

私は1995年度で財団法人自然農法国際研究センターの研究所長を定年退職し、66歳から同系列の財団法人応用技術研究所の常勤顧問となりました。 この間の出来事は農場の場合、毎日9時に迎えに来る車に乗って30分かかり山伏峠を越えて富士山を眺め中腹にある、有機農場内の研究所に通う事です。途中2年程、タクシーのこともありましたが、残り3年職員が…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(76)熱海への転居(opera大好き人変身への切っ掛け)

1990年私は東京大学を定年退官し、熱海の自然農法国際研究開発センターに就職しました。これはMOA財団を構成する財団法人で、有機農業の実践農場でした。私の学生の一人木村友昭君の尽力によるもので、私の暮らしは東京を離れ平日は熱海市下多賀の貸家で過ごし、週末は清瀬にもどる。そのための問題はスタックスの100キログラムを超えるアンプ、プレイア…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(75)1986年45日間世界一周音楽の旅

戦争に負けて大学に入ったとき、海外との交流が盛んで、私はそれに憧れた一人の若者でした。30台の始め文部省の留学生は唯一の機会でしたが、何度か応募しては落ちました。普通はアメリカ、ときには欧州でしたが、私は南米でした。どうしてか、ヘソ曲がりの性格であったためでもあったでしょうが、私は何故か、そこに夢をかんじたからでもあったのです。5~10…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(74)林さんへのオマージュ3(スタックスとの赤い糸11)

Ⅳ 個人的な話  以上はオーディオがらみの話だし、まあ、これが全てなのだが、私は一人の人間として林尚武氏をみて、尊敬し、愛しており、思いもかけなかった出来事にもいくつか出会った。全期間を通しての話だが、「本質的に新しいこと」を追求される姿勢は最も敬服していたことだ。研究者でさえ、「本質的に新しいことではない事柄」を報告して点数稼ぎを…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(73)林さんへのオマージュ(中)(スタックスとの赤い糸10)

Ⅲ アンプ  私は自作の真空管アンプから半導体アンプに換えたのが大変遅く、昭和三八年(一九六三年)頃でした。 ソニーのTAー3120であり、オールシリコントランジスターアンプというもので、出力は五〇Wが二系統ありました。。これは長い間満足を与えてくれませんでした。一〇年もた ない内に片側の出力低下が生まれ、不満が爆発しました。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(72) 林さんへのオマージュ(上)(スタックスとの赤い糸9 )

林社長の死をきいてすぐ書いた追悼文です。 この年イギリス旅行をしたので、夏は留守だった。本文は 2000年11月に取りまとめたものです。 アサヒ新聞 9月13日朝刊] スタックスの林さんがこの夏に亡くなっていた。訪問しようと電話をして知った。しばし混乱したし、一 日たった今も少し混乱している。私の過去で、強い影響を与えて下さった数人…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(71)スタックスとの赤い糸8

> コンデンサーを使った商品は、ピックアップ、カートリッジ、スピーカーと出し尽くした感のあるスタックスですが、林社長には未だ夢がありました。それは効率の悪いスピーカーを十分鳴らすアンプが欲しいろということだったようです。この分野は林さんの特技ではないようでしたから、若い人に頼るしかなかったのでしょう。 あるとき優秀な人が入った…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(70)古楽器の弦楽四重奏(モザイクQR)

誕生時期はアルバンベルグQRと変わりませんが古楽器だけの弦楽四重奏団が発足しました。ウイーンの古楽器合奏団コンツエルト・ムジークが母体になったようです。私が出会ったのは1998年と2002年で、武蔵野文化会館小ホールでした。2004年には凸版ホールで、2006年には王子ホールでもききました。優れた魅力的な音でしたが、格別の親しみを感じた…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(69)バロックの影(アルバン・ベルクQR)

古楽器を使った演奏が専門合奏団だけでなく、音楽界全般に広がりはじめたのはCDの普及と同じ頃だったようにおもいます。それまではバロック合奏団も現代楽器を使っていました。この転換期の出来事です。 ウイーン・アルバン・ベルグ弦楽四重奏団を知ったのは1970年台末にテレフィンケンから数枚のLPがでて、ベルグ、ウエーベルンが評判になりました…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーデイオ(68)トランペットの休日とハワイ日米合同化学会

私にとって、音楽をきくのは孤独と向き合うことらしく、演奏会も必ず1人でいきます。 例外は二度しかありません。一度は32~3歳の頃、アルバイトをしてくれた女子大生を卒業後に誘ったことです。勿論好意をもっていました。行ったたのは上野う文化会館でのモーリス・アンドレ・リサイタルでした。彼のラッパを聴くと私はくつろいだのです。それまでに彼のL…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(67)欧州流文化と自分の研究の変遷

                 研究当時の東京文化会館の外壁(裸のままコンクリート硬化面が使われている。) 欧州の文化は演奏だけをとっても50年間でこんな変遷をとげました。この変化は音楽雑誌では無視されがちですが、大事だと私はおもいます。何故ならこれは芸術と並ぶ文化である学問では当たり前だからです。 個人独特のものを発達させること…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

昭和一桁のオーディオ(65)グールドとグルダ

ギレリスは1920年以前の生まれ、グルダは1930年。この10数年の違いは予想外に大きいようです。私はこの違いを世代の差と割り切りたく、それが昭和一桁の特徴である「天邪鬼」に帰したいと思いますが、ションバークの名著「現代の名ピアニストによるとギレリスはそれに先立つリフテルやケンプ同様、「第一次大戦の戦前または戦中に生まれた世代に属してい…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more