ヘンデル(21)オラトリオ「アレキサンダーの饗宴1(H47)

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「アレキサンダーの饗宴」はオラトリオではなくオードと呼ばれています。新たにこんな新分野を開拓したのはヘンデルに野心があったと考えるのが普通です。彼はイタリアオペラの不人気に当時悩んでいたからです。1736年の頃です。
この間の事情をしるには「アレキサンダーの饗宴」という正式の題より、元になったドライデンの副題音楽の力に注目した方がよいようでしょう。音楽の力とは、台本中にもある[聖シシリアの力]のことでしょう。聖セシリアの讃歌はフランスに起こったのが16世紀前で11月22日を聖シシリアの日と決め、当日歌合戦が行われたそうです。それがイギリスにもひろがったのは1683年のことで聖シシリア協会が発足し1691年にはパーセルの師ブラウンが聖セシリアをたたえる英語の詩に音楽をつけ、1692年にはパーセル自身が別の英文詩に音楽をつけたそうです。ヘンデルがこの傾向に乗って作品を書いても自然でしょう。
ドライデンの原作は聖セシリア讃歌になぞらえてアレキサンダー大王のペルシャ侵攻を扱ったもので大変な傑作とされ、従来傑作に音楽をつけなかったヘンデルが今回気を変えた事情はわかりませんが、ハミルトンが整理したもののごく一部をとりあげました。場所はペルシャの首都ペルセポリス。マケドニアの王アレキサンダー3世が紀元前333年イッソスの戦いで隆盛を極めていたペルシャ軍を粉砕し首都ペレスポポリスを占拠、その祝祭の饗宴が主題です。王と王妃タイスが在席します。
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オラトリオの筋は士師記を除いてわかりにくく、「アレキサンダーの饗宴」は特に難解です。饗宴の場所にいた音楽の神がテイモテスで宴席の参加者の彼の先導で参加者のその後の行動が左右されるという話は理解しにくいものです。しかし音楽は大変よっく惹きつけられます。ここで行われているのははっきり区別されお互いに違っている感情を音楽がいかに模倣するかを見ることで、音楽心理学の藝で誰にもわかるものです。壁画のようなものです。容易に大帝の感情を操り、ついには都市ペルセポリスを放火するように仕向けるまでのをえがいています。最後の段落で聖シシリアが登場し、彼女がオルガンを発明したこと、異教徒ティモテウスの危険な音楽とちがって善成る効用を持つ新しい「聖なる」音楽の誕生について暗示的に語っています。作品の内容はロマン・ロラン「アレキサンダーの饗宴によるとこうなります。ちょうどペルシャ人の戦勝の翌日である。アレキサンドル、部下の将軍たち,愛妾タイスが宴を開いている。一同はテモテスの音楽に耳を傾けているが、その歌は一同の心を奪い、歌そのものの与える感情以上の感情を抱かせる。歌はアレキサンドルをジュピターの子であると讃え、人々のこころをはじめの喜ばしい気持ちから、アレキサンドルへの宗教的崇拝へと導く。次に人々の心をバッカス祭の大騒ぎへなげこむ。つぎにはその騒ぎから突然抜け出させ、哀れみと喪に沈ませる.全てのに見捨てられ、絶望のうちに一人で死ぬ、偉大で善良なダリウスの最後をテモテスの歌は愛を歌いすべての人々の心をだきしめ征服してしまう。アレキサンドルはタイスの両腕の中に身を投ずる。こうして第一部は終わる。第二部のはじめにテモテオスは英雄たちを目覚めさせ、その心のうちにまどろんでいる残忍性を呼び起こす。殺されたギリシャ人たちのために復讐を叫ぶ。殺されたマケドニア人、ギリシャ人たちのために復讐を叫ぶ。それをきく人々の心に激しい殺人の意欲が起こる。英雄達はいそいで広間を出て手に松明をかざしんがら、ペルセポリス焼き討ちに向かう。対すはあたかも殺戮に酔うバッカス祭尼のように彼らの先頭にたつ。」ここまでは話の筋が通っています。「しかし詩人はここでキリスト教の祭りを祝わなければならないのをおもいだし古代を捨てて聖セシリア時代へと聴衆を移す。聖セシリアは丁度テイモテスが異教音楽のヒーローのように、キリスト教音楽のヒロインである。こうしてこのオードは聖セシリアの讃歌で終わる。」
アーノンクール指揮による1977年10月ブルーメンノフェストでの実況)このほか1部と2部の間にオルガンコンチェルトを入れるものもあります
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ヘンデルはこの作品で英国市民になったようで、上記ハウプラーゲンの肖像画にアレクサンダーの饗宴の絵がはいっています。
なお「聖セシリアのオード」といいう曲がありますが、これは別です。

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