ヘンデル(16)オラトリオ「エフタ」(H42)

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エフタJephthaは旧約聖書の士師記にあるそうですが、私のもっている「旧訳聖書物語」犬養美智子著新潮社にはエフタの名はありません。サウル登場の初期にアンモン人との戦いが登場しますが、エフタの名はありません。そこでネットを読んでめぼしい話をまとめました。信者さんならご存知の話のようで、少し恥ずかしいけれど。オラトリオの台本ではわからない箇所がおおいので補充します。
エフタはギレアド人の妾の子ということで長ずると家からだされ、ドブの地で軽蔑と憎悪の中で育ち、周囲にはならず者が集まったが、エフタにはカリスマ的性格があって、彼らの指導者になりました。
アンモン人の横暴がひどく、大挙して攻めくるとききギレアドの長老達がドブの地にエフタを訪ね、帰国を依頼しました。エフタは神が認めたという条件で了承しました。エフタは帰国し、指導者の立場で、アンもんの指導者に攻撃の理由を問うたところ、300年も昔、エジプトからイスラエル人がアンモンを通過したときの不法な挙動の話、彼は返答を認めず、軍隊を率いて攻め入りました。主の霊がエフタに降りたとき、彼は「もしアンモンジン人を私の手に渡して下さるなら、私が帰国出来た時、家の戸口から最初に私を迎えに出た人を生贄にささげます」と約束しました。勝って帰ると、それが娘だったので約束を実行しました。これが士師記の話ですが、オラトリオでは話の筋が少しちがっていす。
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登場人物はエフタ(テナー)、イフィス(その娘)、ストレジ(彼の妻)、ゼバル(子、バス)ハモー(娘の恋人。アルト)。
第一幕,男どもがつまり出陣の準備をしています。相次いで、妻、イフィス、婚約者が登場し、勝利を神に祈ります。一同去り、一人残ったエフタは勝利に恵まれれば帰国後最初に出会った女性を人質に差し上げます、と神に誓う。
第2幕、エフタ勝利の帰国となり、最初の出会いが何と娘で、陰鬱になり、これを知った娘の恋人もなげきますが、娘は喜んで身を捧げるといいます。
第3幕、天使が現われ、イフィスが処女のままでいれば生贄にならなくてもよい、といいます。これを聞いて、母のストレジは娘を手元におけると喜び、恋人のハモーは父の子でいられることだけで十分といい、一同神を祝福してイスラエルの平和を讃えます。どうして幕切れを変えたのか?オラトリオという公衆の前で演奏されることを考えたのでしょう。モレルの作です。この作品は小規模ですが、バロックと言えないほど内省的です。
1751年1月エフタ第一幕のスケッチを手がけました。51年2月には左目失明の危険に陥り、回復後も「エフタ」作曲中は失明の恐怖と戦ったようです。彼がモレルの台本に最初に作曲したのは「そうあらねばならぬ」It must be so.という語句です。ここに宿命的なものを感じます。そういえばベートーベンの最後の弦楽4重奏作品135にもこの言葉が冒頭にありました。
第二幕最後の合唱「ああ主よ、御身のご意思は何と測り知れぬことか」の途中で、彼はドイツ語で次のように書いて筆を中断しています。「1751年2月13日ここに至り左目の視力減退のため、作曲を続けることが出来ず」。
第3幕を開始したのは6月半ばであり、そのご悪銭苦闘しようやくたどりついた最後の復縦線のあとに66才という年齢を書きそえているそうです。その夏左眼の視力を失いました。右眼の視力も衰えていきました。1752年の4旬節シーズンに「エフタ」の初演をおこなっています。死は1959年4月です。
台本を作成したモレルは「ヘンデルの生涯をとおして最も深遠にして内省的な最高の音楽」と評しています。
ハイドンと旅を一緒に旅をしていたウイリアム・シールドによるとハイドンが (自分のオラトリオ「ヨシュア」の合唱「恐ろしき響きに国ぐには震えよ」と比べ、「エフタ」の(ますます深く)の方が情念においてはるかにまさっている)と語っていたそうです。そしてハイドンは「私は長い間音楽に携わってきたがこの曲をきくまで、音楽のもてる力の半分も知らなかった。ただ神の霊感を受けた作曲家のみそれをしり、かくも崇高作品を書くのだということを確信した」と述べたそうです。
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ベートーヴェンはシュルツとの1823年の対談で、「これまで最も偉大な作曲家は誰と思いますか?」との問いに「ヘンデルだ」というのが彼の即座の返事でした。

「エフタ」は単純な筋ですが、その優れた音楽性がどこにあるかを暗示しています。

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