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zoom RSS J−2 スタックス林社長との交誼

<<   作成日時 : 2019/01/14 10:55   >>

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W 個人的な話
 以上はオーディオ入門がらみの話だが、まあ、これからいわば終着点の話、これがオーデオの全てなのだが、私は一人の人間として林尚武社長に会って、尊敬し、おり、思いもかけなかった出来事にもいくつか出会った。全期間を通しての話だが、「本質的に新しいこと」を追求される彼の姿勢に最も敬服したことだ。研究者でさえ、「本質的に新しいことではない事柄」を報告して点数稼ぎをしているのが普通である。私は本質的に新しいことは現実の世界に潜んでいると教えられ、また確信して研究をした。でもそんなものは多分二つ程度だった。
 林さんは結晶針の代わりに考案したコンデンサーピックアップだけでも、後世に名が残るのに、イアー・スピーカーも商品化された。しかも後者は後に会社を支える商品になった。これは希有な出来事だと私は何時も思っていた。
晩年、林さんが夕方になると我が家にお見えにいりの私の愛するホ−ン型スピ^カーをきiてかえられた。二人で楽しんだのはクラシックだけでなく。ポプラ―それも森毎日要求されるのは森山良子だだった。あるひ社長さんは聞いて。観に耐えかねたように「善本さん。ここには処女も声がきけますね」とおっしゃった。音の話題はここにきわまる。二人のオーデオの話題はここに。きわまる
 息子さんが結婚をされた直後の話であ昭和五九年(一九八四年)一 月、我が家族四人は林さん、息子さん夫妻と自由学園の学園祭にご一緒した。社長さんは七八才、まだお元気だった。普段は鋭い顔立ち。所がこの日は優しい顔立ちになっておられ、「やはり親だった」のが分かり、強く印象に残った。この時、私の研究生だったカナダ人ロバート・マクレーと結婚した妻直子さんの父上に偶然お会いした。どうしてそのことが分かったのか、今は思い出せないが、若夫婦のご配慮だったろう。
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 交誼が長いと、縁があらわれる。私の愛機ホーン型スピーカーのデッドニングを懸命にやってくれたカンちゃん(山崎?)が後年、我が家全員が親しい、桐朋学園一族の西尾家の家作に住み着いたと聞いた。初めは良かったが、じょじょに家賃の滞納をはじめ、とうとう西尾家から追い出される羽目になった、この話も縁だ。
 昭和六一年(一九八六年)早春だったが、息子さん夫妻が長男を見せに我が家を訪れて下さった。「その様子が余りにも可愛かった」のを女房が覚えていて、数年後、前立腺を患われた後の林さんを夫婦で社長室にお訪ねした折り、「可愛いお孫さんで」と話したところ、お爺さんはこの上なく幸せな表情で、お孫さんの書いた文を名刺入れから出された。九〇年代に入ってからの話である。当時「どうも社長さんの記憶が少し怪しい」と夫婦で感じたことだだった。
 林さんは七五才(一九八一年)を過ぎる頃から「やり残したことが沢山ある。時間が足りない」とお目にかかる度におっしゃるようになった。それまでは私の仕事を聞いて下さったり、音楽会での経験を話されたりと、余りお上手ではない会話に腐心し、多くの事項に関心を示された。あの頃から限定された世界に住み始められたよう感じられた。帰りには玄関まで必ず送って下さるようになった。残念だが、老化が進行し出すーしたように、今は思っている。時には家内と一緒に伺ったが、何時もにこにこ話を聞いておられたから、当時そんなに違和感はなかった。私も五五才になっていた筈である。
 一九九四年、私は気孔と肺炎を併発し、二ヵ月の入院を余儀なくされた。その留守中にお願いしておいたスピーカーと発信検波器の修理が出来、家に運んで下さった。林さんもおいでになり、懐かしいわがホーン型スピーカーを聞いて下さったという。そしてまた偶然が起こった。私の治療に精根傾けて下さった奥本先生の子息が自由学園で、林さんと子供同志が同級生、奥さん同志は良くご存じとのことだった。
 以後私はなけなしの力を振り絞って、熱海の仕事場と東京との往復を続けた。電話でご子息と話す機会はあったが、林さんのお顔をみた記憶はない。一九九五年九月一三日の朝日新聞夕刊が手元にある。「世の中にない静電型ホーンスピーカー作成中の八九才の林さん」の写真がのっている。
 二〇〇〇年七月二四日に他界されるとも知らず、私は七月一七日にお宅の近所の従兄の家へ弔問に訪ね、
林宅のあるマンションの前を通った。
 これで私の生涯に強く影響した優れた人格の持ち主、全てを失った。子供の頃の主治医村田文雄先生、教養学部からの親友の両親玉虫文一先生夫妻、研究室の二〇年間の恩師南享二先生、そして林尚武社長である。
追伸
ごく最近2013・11スタックスのアンプ・プレイヤーを全て廃棄した。悲しいことだが、寿命40年がきた。
ヽ・
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スタックス・アンプ一式
これは寂しい現状のオーディオ
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