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zoom RSS 爺の女性観(3)旅先の女性

<<   作成日時 : 2019/01/11 18:04   >>

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大学院の博士課程から助手にかけて、私はよくを旅をした。その度に女性と知っりあいになった。旅は出会い限られたきかいである。
この頃私は学生を連れて千葉演習林に度々いった。そこで女子職員と会う機会が繰り返しあった。Sさんと言った。鴨川の自宅を訪問したこともあった。そんな縁で東京でもあったような気がする。好意を持ったが、それ以上ではないとおもった。或る日助教授の先生に話かけられた。林長に謂われたが「善本君はSさんに気があるのかね。」先生は「善本君は女の子と仲良くするのが趣味だから、なんということはないと思うけけど」って答えておいたよ」「いいだろう」
もう一度先生を通してこんなこと言われた覚えがある。「横浜大の先生が見えて、善本さんは私の従妹と付き合いがあるときいていますが、それ以上進む気がないのですか」と聞かれたので「前と同じよう答えたよ。」「君が木曾であって、付合っている女性の従妹だそうだ」。

私はこの二つの事件で反省すべきだった。自分は「親しいだけでも、女性は一歩進んだ何かをかんじている。それは大してことで住むこともあるが、もっと進むと重大事件に発展することでもある。
ここで思い出したのは鎌倉の女性のことだ。彼女はババ-に邪魔されて私との交際が断絶した事件だ。私にとって好きな女の子との交際が切れただけの事件だったが、彼女の生涯を今も人づてにきいていると、私との事件が生涯消えていないように思うから私の責任は重い。私の自惚れとはいいきれない。だから反省すべきなのだ。事件は三つに残っているようにおもう。N
第一は事件直後に発生した精神障害。第二は旦那の選択。彼女の相手は卓球部の仲間だった。第三は主治医の選択と以上に長年の患者。相手は浦和高以来私の親友。

これらの事件は私に「自分の歪な女性観に由来している」こと88歳になって気づかせてくれた。どうも私は「女性をあこがれたの対象としてしか見てこなかったらしい。性としての感覚を女性に抱いてこなかったらしい」「それがおちているから、男女の間に違いが生まれ、彼女をどこかで不満にしていたのではないか」

そこで決定的事件を思い出す。コーラス仲間の女性の結婚式での事件だ。上野東天紅での挙式での一瞬のことだった。数分お祝いを言った時、彼女が言った言葉だった「あなたが何も言って下さらないから、今日の日がきちゃったのよ」。私は彼女に好意を沢山持っていたのに彼女を性として扱った覚えがない。

もう一度映画の想い出といえば独身時代にさかのぼる。35歳の頃だったろうか。12歳以上年下の気に入っていた女子職員がいた。ある時映画に誘った。素直に応じてくれた。日比谷映画だったが、何をみたか、憶えていない。これには悲しい後日譚がある。映画以前にも交誼があった。友人の家に一緒にいったり、彼女の田舎にいったりしたなこともあった。映画は期が熟していたのだ。それを私は気がつかなかったのだ。そのまま放っておいた。なんのプロポーズもしなかった。
思えば以後大学であったときの彼女の態度が変わった。それも私は気付かなかった。私の側からみると彼女は好きなタイプの美人だが、教養が今一つで、一歩進む気が起きなかったのだろう。彼女にすれば映画鑑賞の後何か言われるのを期待していたのかもしれない。
彼女は性としても魅力的だったのに私H知的対象としてしか彼女をみていなかったらしい。
間もなく彼女は結婚し、アメリカへ行ったと聞いているが、一度もあったことはない。いいおばあさんでいるのを期待しているが、確かめる勇気はない。
当時の私はそこまで気が回らなかったのだ。
彼女は間もなく結婚し、アメリカへ行ったと聞いているが、一度も会ったことがない。健康を害したともきいている。いいおばあさんでいるのを期待しているが、確かめる勇気が私にはない。

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