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zoom RSS K自我の確立・クラシック上

<<   作成日時 : 2019/01/11 17:05   >>

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1 クラシック音楽入門
1・1 音楽への切っ掛け
私の暮らしにクラシックが入ってきたのは勿論戦後です。母親が敷いてくれた音楽の道も少年合唱団員として放送に1度、ビクターの独唱コンクールに応募・受験に1回程度で止まりまり、むしろ少年時代は病弱な野球少年でした。その母は敗戦直前の昭和20年1月に死に、私は音楽から逃れる気持ちで青春を迎えたように思っています。
最後の旧制高校生として浦和高等学校に入り、周囲の若者が若者らしく、クラシックに関係を持った時も、私は一人仲間から外れていました。学制変更のため僅か一年で東京大学に受験せざるをえなくなり、合格したものの、浮いた気持ちになれず、授業に出ない日々を送り、病弱なわが身を嘆いていました.
1・2 クラシック音楽との出会い
そんなある午後のこと、枕元にラジオを置いて寝ていました。そこは静寂に支配された、自分の世界、かってに流れてくる音楽は右の耳から左の耳へ通り過ぎるだけ、でもいつの間にか涙が流れてとまらなくなりました。アナウスが曲名をつげ、それがモーツアルトのヴァイオリン協奏曲第4番であること、演奏者がヨーゼフ・シゲテイであるのをしりました。何と言う体験だろう、音楽が人の心に入り込むとは。このことはいつまでもいつまでも20歳の青年の記憶に残りました。これが私だけの体験だろうか。モーツアルトの名は知っていてもシゲテイの名は」は。暫くの間、このことが気になって、気になって、仕方がありません。私は横になっている時間が徐々にへり、活動的になっていき、シゲテイとは誰か、しりたくなりました。彼はハンガリーのヴァイオリニストで、音は汚いが、音楽の精神性にこだわる人だと当時の雑誌で知りました。
これがクラシックとの出会いでした。
音楽は美しいだけでなく、人の心にしみこむ力を持っている、と言う主張を認めざるをえなくなりました。それから機会があればクラシックを聞いてみました。何も感じないものが多いが、中にはシゲッティと似た気持ちになるものもありました。
1・3 専門への道
この事件が昭和25年(1950年頃)の出来事としたら(少し曖昧ですが)、放送されたのはLPと考えるのが自然ですが、曲と演奏者から判断するとSP用に作られたものではなかったか、と思いましたが、調べるとモーツアルト4番V脇シゲッティ・ビーチャム指揮ロンドンフィルの演奏の録音は1934年に行われ、LP化されていますから、LPが放送された可能性は大きいでしょう。
当時私は東大教養学部の学生、教養学部は2年で終える筈が結局4年間もいることになり、期限切れで追い詰められ、いよいよ専門に分かれことになりましたが、私はシゲッティの経験でクラシック音楽に強い関心をもち、専門を音楽にしようと本気で考えました。音楽を専攻するには文学部美学科しかありません。当時私は理科1類の学生で、そこは工学を選ぶべき分野でした。文学を専攻するには追加して単位を取らねばなりません。そこで親父に相談したところ、「何で食う」と問われました。「新制高校の教師」しか答えは無かったけれど、そうを答える勇気もなく、体も弱かったので少し余計の単位をとり農学を選ぶことになりました。2年余計にやった挙句で親父にはすまなかったとおもいました。
これで音楽ともお別れかと思ったのですが、幸いなことに隣人の三和銀行にお勤めの稲田さんがクラシックレコードSPを沢山もっておられ、何度も聞かせていただけました。シゲッティをお持ちだったか憶えていません。
農学部を選考したものの専門には興味が持てず、弱い体のため、会社への就職も決心できず、卒業まで2年でいいのに3年かかり昭和28年3月に卒業しました。しかも選んだのは大学院です。
その間昭和27年3月にはシゲティが来日する事件が起こりましたが、金のない私は最初から聞きにいくのを放棄していました。勿論演奏会に興味はありましたから演奏会の批評はよみました。堀内敬三だの牛山充だのという著名な評論家のものでしたが、単に音は汚いが人の精神に働きかける演奏家という程度で、私には何の興味を起こさないものでした。その中で読売にでた吉田秀和氏のものに強く惹かれました。切り抜いてとっておいたのですが、残念ながらなくしました。吉田さんは当時無名でしたが、その文章に強い力を感じました。後に芸術新潮に書かれた文をとりまとめて単行本とした「現代の演奏」なら手元にあります(1967年2月発行p37〜p52 )。(全集は第4巻)そこには各所にシゲテイの演奏をとりあげていますが、今読み返すとこんな文があります。
「わたしがかれのえんそうから学んだものは<意味深い演奏、深い意義のある演奏とは何か>ということであり、それがその後の私の判断の基準の大きな柱となったのである。これは―俗にいわれるようにそうして私もしばらくの間誤解していたように―<知的な演奏>といってしまってはいけない。それでは狭すぎるし、大事な点をききおとしたことになる。シゲッティは、もっぱら私たち聞き手の頭脳に訴えようとしているのでもなければ、彼の演奏を知的に構成しようとしているのでもない。そうではなくて、彼はあくまでも<楽曲の意味をどこまでも深く追求し、それを再現した演奏>をめざしているのである。−−−−」










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