シューマン(5)-ピアノ曲

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ピアノ曲は、前回に触れたように、シューマン初期に集中的に作られた曲種です。その数が余りにも多いので、取り上げるのをためらいましたが、彼を論じるには避けられないと思ってとりあげました。
シューベルトが数多くのピアノ曲をソナタ、即興曲、楽興の時と大別されるような書いていますが、それらはヘブラーの7枚組全集と単独の6CDとして私は持っています。しかしシューマンはソナタが3曲しかなく他は分類不能の作品で、それらをポリーの全集(4CDでザムットリッヒとはオーバーで、13曲しか入っていません)と、単独には7CDとして私は持っています。二人の曲種の違いはどこから来たのでしょうか。これは時代の転換期にあったせいだったと私は思います。

シューベルト(1797年生)は生涯をウイーンで過ごした青年。学歴もなく、合唱隊の一員として家族単位の青年時代を過ごしました。手近にあるピアノは生活の手段、それが勉学、交際にも使われたから、ピアノ曲の制作は生涯に積み重で、数を増した印象ですが、シューマンはライプチッヒという近代都市で、大学が発達した教養社会で、学生として青年期をおくれました。そしてピアノ曲をこの時代にだけ書いたのでのです。それがピアノ曲の質、量で、二人の間に違いを生んだ一因でしょう。つまり、シューベルトは田舎者として、ベートーベンのような、教養とは無関係な青年期を送った.今様ノンキャリア―でした。
シューマン(1810年生)は違います。ライプチッヒという大学のある近代都市で、法律を学んだし、母が食うことを心配して音楽勉強を許ささなかった。そこで文学も教養とした「教養人」として育ったと思えます。これが初のインテリ音楽家を生み、妻となるピアのの名手・クララ・ヴィークの父からピアノをまなび、クララが彼の天才の初期のピアノ作品制作に大きな影響を与えたという幸運にめぐまれました。

シューベルトのピアノ曲は、生涯を通じて徐々に音楽家としての成熟を示すが、シューマンのピアノ曲は初期に集中しているので、違った成熟を示します。二人の誕生日が10年余しか違わないのに、作品に大きな差を生んだ最大の理由がこれでしょう。
勿論二人の性格の違いも作品にも反映しているのは当然です。

シューマンの作品が多種だったのはピアノ作品に名称がついているせいでもあるのは、一目瞭然です。「ピアノ・ソナタは1~3番」、「アベッグ変奏曲op1」, 「蝶々op2」,「ダビッド同盟舞曲集op6」、「交響練習曲op13」、「子供の情景op15」、「クライスレリアーナop16」,「幻想曲ハ長調op17」,「ウイーンの謝肉祭の馬鹿騒ぎop26」、「3つのロマンス」、「カノン形式の練習曲」、「少年のアルバム」、「4つの行進曲」、「情景」、「色とりどりの小品」、「3つの幻想曲」、「音楽帖」、「アンダンテと変奏曲」、「東洋の絵」、「小さい子供と大きいこどものための12の小品」などが多種の名がついています。中でも「トロイメライ」は誰でもしっています。

これと比べ、シューベルトには「トロイメライ」のような、代表する「名が残った作品」はなく、思い出すのは『モマン・;ミュジコー(楽興の時)」の一部が旋律としてしてポピュラーな程度です(歌曲では二人が全く違います)。シューベルのピアノは古典的なピアノソナタ、変奏曲、幻想曲など通俗的名称がついているに過ぎません。このことから判断しても彼を代表するような作品(彼はロマン派と名付けられることもありますが)は古典です。根っからのロマン派ではありません。

シューマンは本質的に違います。シューマンは作品の名称からしれロマン派です。本小論では数曲のピアノ曲を選んで、彼がロマン派とよばれる由縁を辿ってみます。


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