シューマン(2)交響曲第1番(春)と第4番

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       ピアノ協奏曲と同じ日に交響曲第四番が演奏された(ゲバントハウスでの写真)。

シューマンには類似の曲を纏めて作る癖があったようです。例えばピアノ曲、歌曲などが例で、初期の作品は殆どピアノ、晩年は歌曲。ピアノ協奏曲はピアノ時代の最後。1841年の作でした。同じ年の1841年には交響曲第一番を完成していて、この頃から交響曲・室内楽の時代に入っています。

「僕はこの交響曲を1841年の冬の終わり(1841年1月23-26日)に書きました。いってみれば、どんなに年を取っても、毎年のように人を満たしてくれる、あの春の予感の中でのことです。何かを描写したり写し取ったりしたいと、僕は思いませんでした。ただ、交響曲を書いたこの季節がこういう形をとったことに作品をこういう形にするのに影響しただろうということは確かでしょう」。シューマンの弁です。
この交響曲の場合、冒頭のホルンとトランペットの動機には、当時の詩人であるアードルフ・ベットゥガーの詩の最後の一行「谷に春が訪れる(独語)」の韻律に基づいている、とされています。これらのことからして、交響曲「春」は決して標題音楽ではなく、作曲時に内在する気分の表現だというのがわかります。楽章の見出しに「春の始まり・夕べ・楽しい集い・春の盛り」と書かれてはいますが。

このシューマンの文からわかるのは、彼が大事にしていたのは、作曲時の自分の体や心の在り方で、それを音楽にする技術的なことではない、ことです。
それが顕著に表れているのは第四交響曲の問題です。第四交響曲は楽器の扱いなど客観的な見地から2番目に作られた作品なのは、確か、アーノンクールにより明らかにされましたが、初稿10年後に、クララの勧めで、改定して作られた時期から第四と呼ばれているようで、彼の作品リストに第四と登録されています。アーノンクールの研究では、最初に作られて初稿が「作曲時の心理的状態が自然に表現されている名作」で、10年後のものは「作曲時の加工で、1曲目当時の彼の体や心の状態を適切に音楽化していない」のだそうです。「心や体の状態の適切な音楽化こそシューマンの音楽では大事」だとし、これを「作品の自発性」とアーノンクールは呼びました。「心、体の在り方こそシューマン作品では大事であること」をアーノンクールは明らかにしたのです。「第一交響曲を生んだ作曲時の状況こそ、第一交響曲・春を生んだ源泉」としたシューマンの上記説明は二つある第四から一つをアーノンクールが選んだ根拠になっているのは興味深いことです。

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私はシューマンの交響曲全集を3通り持っていて、その中にはアーノンクールのものもあります。彼の演奏はどれよりソフトです。音の響きがやわらかい。シューマンは赤、それも黄色に近いとかねがね思っていますが、それがソフトになると更に柔らかい響きになります。残ったマズア指揮ゲヴァントハウス・オケは普通の響きですし、フオルク指揮ケルン放送オケでは更に並みですから、アーノンクールが目立ちます。

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