ドン・パスクワーレ(信州国際音楽村ホールこだま)

画像
恒例だそうで、私も何度か誘われたが都合がつかず初参加。
200人程度のホールで3500円でオペラが見られるのは贅沢。しかも場所は信州上田郊外の山の上。浅間も見え眺望は最上級。しかも晴天であったから、これも贅沢。主出演者は音大出のヴェテラン。伴奏はピアノだけ。ピアニスト大森晶子さんの大変な努力で成り立っているのであろう。パンフに「ハイライト,原語上演」とあったが、この表現は控え目。気になった省略箇所は冒頭のパスクワーレが若い嫁さんがくるというので浮かれる箇所、とフィナーレが軽すぎた程度。
木造のホールで、階段状の内部は音楽ホールとしては大変珍しい。特に階段状はオペラに良いのではないか。舞台の近くなのにオペラ劇場の4階で聞くような近親感を感じさせ、しかも予想通り音が良かった。もう一つ新国立の4階で日本人が歌うのを聞いてもこうはならない。声量不足が否めないからである。2000人対200人。魅力的な歌声だった。
こんな贅沢は東京では味わえない。
ドレスアップが普通の新国立に比べるとここは普段着。子供の姿も多い。こんな諸条件を考慮しての「ドン・パスクワーレ」という演目の選択であったろう。今までは「椿姫」以外はブッファ。「セビリアの理髪師」「愛の妙薬」が選ばれたそうだ。
一部に日本語が使われ、字幕の代わりにナレーションが入るのは、上記上演姿勢から思うと、当然の選択であろう。
問題は演目の選択にある。「ドン・パスクワーレ」は並みのオペラではない。単なる色キチガイの老人イジメのオペラではない。ド二ゼッティ最晩年のオペラで人間の幻想についての最後のコメデイと言われるほどの笑いと悲しみのまざった喜劇である。ドニゼッティの言葉にこうある。
「私は笑います。でも、押さえるような寂しさが私の心の奥底にあることはよくわかってくれていると思います。それを隠すために陽気さという偽りの仮面を被っています」これはヴェルディの「ファルスタッフ」ににています。

上演は楽しいものであったし、親しみを感じた。歌うように語るという、イタリア・オペラの台詞を一部日本語の会話で置き換え、劇の進行を図ったのには若干疑問であった。レチタチーボで歌っていた箇所もあっただけに少し安易な妥協ではなかったか。言葉に上記悲しみが暗示されていれば日本語を行かう意味がいきようが。

結構いい声の歌手も多く、狭いホールに程よい音で響いていて、日本人もこんなに良い音が出せるものかと感心した。これが大きなホールで成り立たないのは普段の経験で知っている。オペラは野球同様、日本人には不適切種目のようだと普段感じている。
管が多い曲なのにそれを忘れさせたほどピアノは、音楽として私を楽しませた。
単なる老人虐めのオペラになることが多い。ドニゼッテイ、死の直前の名作で良いDVDをみると名曲だったのがわかる。普通は演技が過剰で、間延びする。今回も全体として演技は今一。しかし最後の早口言葉の2重唱や続く魅惑のテナーは十分楽しめた。総じてノリーナが好演。
原作を全てで単純化する以上所詮バランスの問題である。この点に関しては成功した公演だったと私は思う。
「ホールこだま」は以前NHKの放映があったが、最近はご無沙汰である。こんな努力は全国に知らせる価値があると思うが。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック