イタリアバロック(4)サルエリ「タラール」(H65)

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サルエリは(1750~1825)イタリア生まれですが、ガスマン、グルック、メタスタージヲに教えをうけ、半世紀以上をウイーンで暮らし皇帝の寵愛もうけウイーンの宮廷楽長となり、ベートーヴェン、モーツアルトの時代の支配者となりました。したがって作品も真面目なものがおおいようです。人気も抜群で前記ウイーンでの上演数はパイジェルロに次ぐ第2位≪185回)
セビリアの理髪師」やフィガロの結婚」で人気を博したボーマルシェがその名声をネタにサルエリに接触してきたのは1784年のことです。彼は「セビリアの理髪師」の成功でオペラに興味をもち、当時既にヨーゼフ2世の寵愛を受けていたサルエリに「タラール」の話を持ちかけました。オペラ座理事会から大きな援助をえ、開演にこぎつけたのは1787年です。ボーマルシェはアラビアナイトからヒントをえたそうですが、王立アカデミー劇場で幕をあけました。筋は次のようです。
寓意的なプロローグで、自然の神(ソプラノ)と火の神(バリトン)が人間界の混乱をみかね新たに二人の人間を作ることにしました。一人はアジアの皇帝となるべく定められたアタールともう一人は兵士となるべく定められたタラールである。かくして40年後真の物語が始まる。舞台はペルシャ湾に臨むオルムス皇帝アタール皇帝の宮殿。残酷な君主であるかれはイタリア人奴隷で漢奸のカルビージから勇敢な軍将タラールが兵士に愛されていることを聞かされる、嫉妬に駆られたアタールは大祭司の息子アルモタールをつかって、タタールの家を焼かせる。その妻アスタージーを誘惑させる名をイルザと変えて後宮の閉じ込めた。それを知らぬタタールは皇帝に敵に家を焼かれ、奴隷を奪われたと告げる。皇帝はすぐに家と100人の奴隷を補うという。タタールがアスタージの誘拐を悲しむと皇帝はそれは誰のことかととぼける一人の娘のことを悲しむ兵士を笑う。タラールは真実をカルビージから聞いて、妻の奪回を誓う。
後宮の庭でアラールはアスタージを座らせ、奴隷たちに歌と踊りをさせる。歌を求められたカルビージは歌手として教育を受けていたのでその後奴隷としてとらわれる経緯を歌披露していると、つい恩人としてタラールの名を口にしてしまう。それを聞き一同唖然とし、アウタージは失神。その騒ぎの中、タラールはカルビージに家に運び込まれ、黒人に変装戻ってきた皇帝は黒人に死刑を宣告、思い返してこの黒人をアスタージーの夫とする。意に添わぬ結婚を強いられた、アスタージはカルビージの妻と服を交換。再び気が変わったタラールが黒人を海にとうじてサメに食わせろと命令,切羽詰まったアスパージはその男がタラールであることを兵士たちに告白。兵士はタラールを歓迎。アラールはタラールに死刑をめいじる。後宮に用意された処刑場でタラールはアスタージに再会,皇帝は彼女に彼の処刑を見させる。彼女は彼とともに死ぬ決心をする。そこへ反乱兵士と民衆が殺到、タラールは「私は王の臣下である」とい意、彼らの行動をおさえるが民衆の「タラール、タラール」の声は止まらず「余はお前たちの王である」とのアラールの声は否定され、絶望の余り自害。民衆はタラールの戴冠を求め、かれは辞退するものの最後は受諾。

これが「セビリアの理髪師」や「フィガロの結婚」を書いたボーマルシェが自ら売り込んだ劇の台本であることは一考に値します。革命劇とわりきるのは当時の風潮を思うと不自然です。単純な革命劇なら上演禁止になっていたでしょう。「フィガロ」さえ一度は禁止されたのですから。水谷彰二氏の「サルエーリ」(音楽の友社)のよれば意図的に古典的悲劇詩の偽装作品であるとするのは、喜劇と悲劇が混在していることから、失敗であるそうです。でもやはり偽装はあきらかで意図はやはり革命劇。サルエリにたいする ヨーゼフ2世が好意を利用しようとしたもの、ということになりましょう。
フィナーレに火の神と自然の神の次の会話偽装めいています。
火の神「自然よ、なんと不可解で悲劇な戒めであろう。兵士が王座にのぼり専制君主が死ぬとは」自然の神「二人は最初の運命を共にしながら彼らの性格がその後を分けたのです」

このオペラは大変な人気でした。フランス語で書かれ、フランスとイタリアオペラの混交でしたが、対話が多いものの、真面目な意図に喜劇が混在しています。しかし単なる挑発的作品ではないのはその後のボーマルシェの訂正からもあきらかです。(パリオペラ座公演)フランス革命勃発ご1790年オペラ座の再演でタラールの戴冠とする第5幕が追加され法への従属を宣言したことで明らかです。
サリエリは1787年にこの曲を書きました。フランス革命は1789年に起きました。当然祖国ウイーンの政情を不安だった筈です。それなのに札付きのボーマルシェと組んだのは勇気がいります。サリエリ37歳の作品です。彼の死は75才、そのごも長い生涯を栄光に包まれおくりましたから彼が世渡りがうまかったのは確かでしょう。
この作品はモーツアルトとの確執が噂された「フィガロの結婚」の1785年後の作品ですし、ベートヴェンがサルエリに弟子いりした1799年より前なのは時代に対する3人の姿勢を暗示しているように思えてなりません。
DVD;ジャン=クロード・マグロワール指揮ドイツ・ヘンデル・ゾリステン  ドイツ・シュベツィンゲン音楽祭(1988年)

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