ヘンデル(6)オペラの衰退(H32)

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          ファルネッリ       
ヘンデルの最悪の困難がはじまりました。それはロンドン歌劇場がカストラートやプリマドンナたちの意のままになり、彼らの後援者たちの無法に委ねられたことです。
カストラートは去勢された歌手のことで古代に存在したことは知られていますが、12世紀に復活しました。教会が女声を禁じたからで、カストラートが復活したとされています。
去勢は思春期の前に行われました。何年にもわたる厳しい訓練のあと、彼らは女の声と男の肺をもち、彼らの技術は信じられないほどで、音域は4オクターブにも及ぶものがあらわれました。彼らの高音はすさまじく、しかも長続きしました。また年をとらないのも普通で、70歳になっても若若しく、100歳を超えても舞台にたてました。しかし肉体的には奇形で、ふとっていて、腕や足は骨と皮ばかりなのに胸部は樽のようでした。彼らは息継ぎなく1分も音をだしつづけられたそうです。そこで管楽器との競争がみものとなり、トランペットやフルートそれにオーボエなどと息の長さを競ったといわれています。
彼らがもてはやされたのは1720~1790年でヘンデルの登場はその初期にあたります。ニコリーニ、セネシーノ、キャファレリそれにファリネリなどがしられ、ヘンデルも度々彼らをアルトとして使っています。その声は性を感じさせなかったそうです。
ヘンデル時代の聴衆は、カストラートと紋切り型のバロックオペラを喜んで受け入れましたが、やがてそうではなくなります。「貴族オペラ」の登場はその一端をしめしていますが、英雄ものといいう分類に入り、歌手は衣装をかえ、演技抜きで歌うだけですが、変化があり十分楽しめます。しかし、カストラートは高給を取り、数も少ないので、歌手の横暴を育てました。ソプラノについても似た事件がおこました。ロマン・ロランはこの間の事情をこういっています。

1726年当時もっとも高名であったイタリアの女歌手のファウスティーナが来ました。この時からロンドンの興業はファウスティーナとクツッオーニの喉の戦いとなり、相敵対する党派の喧騒のんsかで彼等の母音歌唱を競ったのです。ヘンデルは一座のこの二人のスターの芸術的決闘のためにかれの「アレキサンドロ」「1726年)を作曲しなければなりませんでした。彼女らはアレキサントロの二人の恋人役を演じました。しかしかれの劇におけるう天才は「アデメート」の崇高な吸う場面であらわれていて、聴衆もその偉大さにはうたれたようでした。歌手はそれで心をしずめられるどころか一層狂おしくなりました。おのおのの党派は互いに誹謗パンフレット作者うぃやといいれ、野卑な小冊子をなげつけました。その結果、クッツオーニとファウスティ―ナはとうとう1727年6月6日ウェルズ王女臨席を仰いだ舞台の上で全座の叫喚を浴びながら髪を掴み合い、なぐりあいまでするという気ちがい沙汰をやってしまいました。
この時から一切のことは混乱しちきました。ヘンデルはその手綱をひきしめようとしましたが、悪魔は花田荒れてしまったのです。檻にいれることはできませんでした。新しい作品「リッカルド1世」(1727)「トロメオ」(1728){シロエ」(1728)をつくってっテ勝負をかけたが、勝負にまけました。ジョン・ゲイとペプシュによって放たれた一本の矢「乞食オペラ」はロンドンオペラ会を敗北せしめました。この語られる対話と俗歌との優れたオペレッタは、ヴォルボール宰相へ
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の鋭い風刺であるととも正式オペラの馬鹿げた点の気の利いたパロディでした。その非常な成功は国民運動の趣を呈したほどでした。これはイタリア・オペラの華美な下らなさと、他国民に押し付けようとするその通人気取りに対する、良識の一つの反動であったのです。
これは勝ち誇ったイタリア趣味に入った最初のきれつでした。民族趣味は目覚めました。1729年には「マタイ受難曲」が上演されました。それから数年後ヘンデルの最初のオラトリオとラモーのオペラとが上演されました。「ロラン;ヘンデル)

カストラートを使うが、ヘンデル・オペラは英国人にとって意味のわからないイタリア語のオペラであるのに変わりはなく、衰退への原因となります。言語の問題はヘンデルの生涯付きまとったように私はおもいます。ドイツ人ヘンデルがイタリア語を自由にあやつり、オペラの技法に習熟していたのは言うまでもありません。(それが本家イタリア歌劇と距離をおいていたにしても。これはモーツアルトについてもいえることです。)イギリス本国で受けたことはいうまでもありません。(上流階級の大陸信仰の上に載った虚構であるにしても。)これとは別にパーセルの流れの上に英語を土台とした劇音楽がオペラになりかけていました。へンデルの語学力がパーセルの後を継ぐ程のものでなかったのは当然でしょう。その代りがオラトリオの発展です。意味のわからないイタリア語のオペラを聞くのに大衆に飽きが見えたとき、オラトリオという劇的音楽を英語で作曲し大いに受けたのです。私にはヘンデル一流の処世術だったように思えます。これは」あくまでも処世術。オラトリオにウエイトが移ったのはイタリア・オペラのアイデアが枯渇したから、とはとても思えないからです。
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     ファウスティーナとセネジーノ
ヘンデルは1927年にイギリス国籍をえています。これまでの作品は勿論イタリア語です。1725年から30年はロンドンオペラの停滞期でヘンデルの作曲活動も停滞しますが、作品数はあります。シーザー以後のヘンデルの作品を列挙すると次のようになります。
「タルメーラ」〈1724 〉「ロデリンダ」(1725)「シピオーネ」(1726)「アレキサンドロ」(1726)「アドメート」(1726)「シェローエ」(1728)「トローメオ」(1728)ロタリオ(26)(1729)パルテノーパ(27)(1730)ポーロ(28)1731)エツイオ(29)(1731)ソザルべ(30)(1731)オルランド(31)クレタ島のアリラン(32)アリオダンテ(33)アルチーナ(34)アタランタ(35)アルミニオ(36)ジェステイーノ(37)ペレニーチェ(38)ファラモンド(39)クセルクセス(40)イドメネオ(41)デイダミア(42)
このようにシーズンごとに作曲したが、今も残っているものは数曲あります。
これらと同時にオラトリオまたはマスク「エステル」「エーシスとガラテア」など何度も上演されます。この曲は1718年キャノンでつくられましたが、この時期になって初めてロンドンで公開されました。初めて英語で作られたことに意味があります。筋は2幕からなり、1幕ではエーシスがガラテアと恋いに落ち、羊飼いデイモンの忠告をきかない。ポリホーマスがエーシスを押しつぶしてしまう合唱はかなしく、エーシスもこれにくわわる。

この記事へのコメント

TG
2012年10月23日 20:22
最近になって貴サイトを拝見し、いろいろ参考になりました。ただ、大兄に対して大変失礼かと存じますが、お書きになった後もう一度文章に目を通されんことを願うものです。文章上の誤字脱字はともかく、特にカタカナの固有名詞の表記上の誤りは、読む方にとってサイトの信頼性を損なうことにもなりかねません。お忙しいこととは存じますが、ぜひお願いいたします。今後のご活躍を祈念いたします。失礼いたしました。

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