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zoom RSS テーマ「死者との対話」のブログ記事

みんなの「死者との対話」ブログ

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死者との対話(17)玉虫佐知夫元東大教授との惜別
玉虫左知夫君を偲んで        善本知孝(知人・東大名誉教授) ...続きを見る

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2017/12/24 02:27
死者との対話(16)父4(和解2)
死者との対話(16)父4(和解2) 昭和30年だったと思う。父の会社を手伝い始めていた弟が通勤途中桐ケ谷で交通事故を起こした。父も同乗していた。事故そのものは軽微だったが、事故後数日して、父がネクタイをし難くなったと訴えはじめた。主治医の紹介で、慈恵医大に入院、検査の結果、リンパ 肉腫と診断が下った。寿命1年という。この予期せぬ出来事に私は混乱し、知っている知人の医者全てに尋ねた。誤診であることを願った。返答は誤診の疑いはなかった。主治医は有名画家の望月春江さんご子息で慈恵大のお医者だった。偶然の事故で、腫瘍が健在化しただけ、運... ...続きを見る

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2017/09/09 10:24
死者との対話(15)父3(和解1)
死者との対話(15)父3(和解1) 死が何時来るかわからないのは父で初めてしった。 ...続きを見る

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2017/09/09 10:20
死者との対話(14)父1(父の青春)
死者との対話(14)父1(父の青春) 父は明治35年9月8日の誕生。つまり1902の生まれ。山口県玖珂郡御庄村の出身で、中学を出て、大分高等商業学校(今の大分大学経済学部)を出て、東京で就職して、東京で死んだ。戦争の時代にしては一見幸運な一生のように見える。死は昭和34年1959年3月。丙種で、徴兵は最後まで逃れた。 御庄は岩国市から錦川を数キロ遡った山の中にあり、農地はすくない。瀬戸内海沿岸の住民一般のように生活が苦しく、数年間のアメリカへの出稼ぎは普通だったようである。父の家系は5代前に分家していたので、普通の農家としての苦し... ...続きを見る

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2017/09/05 21:10
死者との対話(13)父2(最悪)
死者との対話(13)父2(最悪) 母の病弱で父は人生が変わった。戦争末期、母は殆ど家事が出来ないほど衰弱した。死体の処理までが父の仕事だった。昭和19年、父は東京重機(株)をやめた。父の内面はわからない。あんなに出世第一だったのに。母の体のこともあったろうが、何よりサラリーマン否になったのではないか、仕事は社長にならねばできない。その虚しさ無しに晩年の父は理解できない。中学生の長男と小学生の長女で、死に瀕した女房をどう支えられるか。誰だってわかるだろう。苦しいけど家庭第一と悟ったのだろう。近おじさんとちっぽけな会社を始めた。協立... ...続きを見る

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2017/09/05 21:04
死者との対話(13)母3(空襲警報の中で)
一つだけ親孝行した思い出がある。2年生になった最初の中間テストのことだった。当時成績発表は親が聞きに行く習慣で、母が行ってくれた。母の話だと1年の成績からから予想して、成績順に呼ばれるので、最後の方だと覚悟していたそうだったが、最後まで呼ばれないので、終わったあと、おずおずと草野担任のところへ行った。「まだ、呼ばれないのですが」とおずおず申しでると、草野は「最初にお呼びしたのですがお返事がないので、まだお出でになっていないのか、と思いやりすごしました」との返事、「つまり一番だったのよ、お兄ちゃん... ...続きを見る

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2017/09/04 16:54
死者との対話(12)母2(結婚・病弱長男の誕生)
死者との対話(12)母2(結婚・病弱長男の誕生) 次の屈辱は結婚。父のル一郎は大正4年海軍中佐で他界したから、母はババ付きの名家令嬢なのに職業夫人の道への選択を迫られた。豊島師範での教鞭は短期間だったようだが、間もなく大分高等商業卒の父と結婚、父は当時としてまあまあの道を歩んでいたが、兄が京都帝国大学で、しかも教授への道を歩んでいたから、高等商業卒は威張れたものではなかったろう。見かけはいい結婚だったが、後年聞くと父はテニスばかりの青春だったようだ。本も碌によんでいない。内実は兄に対する劣等感の塊のせいだったように、私は思う。 28歳と22歳... ...続きを見る

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2017/09/01 06:17
死者との対話(11)母1(宿命)
死者との対話(11)母1(宿命)   ...続きを見る

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2017/08/25 11:01
死者との対話(10)加賀料理「大志満」創業者-大嶋甚蔵氏
死者との対話(10)加賀料理「大志満」創業者-大嶋甚蔵氏 大嶋さんと出会ったのは20年以上昔になったろうか。私の教え子吉本万里子さんの結婚式でお互い上席に座らされ、他に相手もなく、二人すっかり仲良くなった、それから20年は経ったか。その間2005年6月の息子の結婚式をお台場のメレデイアンの大志満でやった時、大変お世話になった。式後お礼に品川の本社へ伺い,ご馳走になったのが思えば最後になった。あのときも足を引きづっておられた。間もなく葬儀も後から聞き出られなかったのが悔やまれる。その間、池袋、新宿、銀座のお店に何回か伺い、そのたびに社長が顔をみせてくださ... ...続きを見る

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2017/08/22 06:10
死者との対話(9)友人「内田安三東大工学部教授」
昨晩は越後長岡の花火大会をテレビでづーっとみてしまった。長岡というと亡き内田をづっと思ったからだ。彼が死んで10年以上たった。思わぬ早い死だった。苦労が多かった割に実りが少なかったようにおもい、まだ生きている自分を責めたくなる。 彼と知遇を得たのは東大教養学部理科1類、24年入学3組だった。このクラスにはまだ旧制高校在学経験者が多く、彼は学習院からきた。私は浦和高校だったが。 同じクラスの5人、入来、石川、内田、玉虫と私の5人がたまった。各人進学先が違った。医学部、理学部物 工学部応化、教... ...続きを見る

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2017/08/09 09:07
死者との対話(8)京都の叔母さんとの別れ(2003年夏の日記から))
京都着は13時51分。地下鉄への階段を間違えてしまい、少し自信をなくす。おまけに京 都駅に預けようと考えていた荷物を地下鉄に運びこんでしまった。二つ目のミス。北王路へ行 けばタクシーが拾えるとの判断は正解。ここに500円のコインロッカーもあった。病院ま では10分余でついた。京都は狭い。 八重子に待ってもらい、伯母さんと1時間ばかり話そうと2階に上がったら、先客がいたの でそのまま、階下におりる。来訪者名簿をみたら、2時にこられた堀越さんとあったから4 時まで20分余待つ。 堀... ...続きを見る

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2016/08/05 09:11
死者との対話(7)今飯田さん(趣味に生きた知人)
死者との対話(7)今飯田さん(趣味に生きた知人)                  いまいださんの作品 人の生き方には様々あり、努力して社会的で出世する人、趣味だけに生きる人、趣味と生活を共存させる人など様々ですが、私は少年時代から専門馬鹿にならない、と決めていました。教養というか、専門以外の世界にも関心を持つ人間であり続けたいとおもっていたのです。ロラン、デュガール、クンデラ、川端、大仏などの本に青年時代に熱中したのもその現れでしたし、偶然ラジオから流れたクラシック、特に知的と言われていた、シゲテイ、ギーゼキング、セルの演奏にのめりこんだ... ...続きを見る

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2016/07/29 05:07
死者との対話(6) るみ子さん3( 2004年の入院と08年の別れ)
死者との対話(6) るみ子さん3( 2004年の入院と08年の別れ) (3回目の訪英でも、大変迷惑をかけたね。実は訪英直前の1ヶ月、3月15日に出血とAIC=9という異常事態が発生し、4月12日に国立国際センターに入院したんだ。「6月に実はイギリスへ行く予定で、コヴェントガーデンのキップも買ってもらってる。」そのことを若い聡明な美人女医の森野先生に話したら、真剣に,急いで面倒を見てくれた。「イギリスへ行かせてあげたい。その熱意がこっちにも伝わり、頻繁に来室する先生が好きになったほど。看護婦が焼き元を焼くほどの親切だった。実は先生の好意あってこそ今回の英国行... ...続きを見る

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2016/07/22 08:50
死者との対話(6) るみ子さん2(2000年訪英)
死者との対話(6) るみ子さん2(2000年訪英)                        ロッホ・ローモンド 次のイギリス訪問は2000年で、家内も一緒だった。お宅は東のグレーブセントから西のフリートへ転居していた。観光が中心の18日間、その半分の夫婦だけのスコットランド旅行はるみ子さんのプラン。イングランド滞在中はビルが何時も一緒だった。狭い自宅に工夫をして2階に寝室をとってくれたのは流石大英帝国。 ...続きを見る

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2016/07/15 09:22
死者との対話(6) るみ子さん1(英国籍友人)(1996年訪英)
死者との対話(6) るみ子さん1(英国籍友人)(1996年訪英)    ビルも一緒 彼女は英国籍の日本人です。私が35歳ころからの知人で、2年前の子宮癌での死、つまり私が84歳のときですから、50年間の交誼でした。旧姓は横内るみ子で、東大の職員として働いていて,私がやっていた職場コーラスの大事なメンバーでした。数年で退職し、ニュージーランドへ知人を訪ねて旅行、その往復で、船員で純粋な英国人ビルと結婚して、るみ子・ペインになりました。子供は2人、長女はもう40歳を超えており、その孫はケンブリッジ大の音楽科の学生。長男は未婚で、英国軍のシェフです。 2008年... ...続きを見る

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2016/07/08 08:47
死者との対話(5)深野先生(歯科医師)
死者との対話(5)深野先生(歯科医師) 弔辞(葬儀の日に) ...続きを見る

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2016/07/02 06:29
死者との対話(4)通ちゃん(従姉妹)
死者との対話(4)通ちゃん(従姉妹) </     幼時の彼女 従姉妹4〜5人中で.仲が良かったのは京都のMちゃんだけ。私と同年齢、子供は二人、離婚暦があり、2度目の亭主はハタチ年下、離婚直後プロポーズされたというエピソードがあり、思い切った生き方をする女性とのイメージが強い。、一昨年の死で85年の交誼だった。 その彼女と私は不思議だが合う。 ...続きを見る

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2016/06/25 06:36
死者との対話(3)木村(中学友人)
死者との対話(3)木村(中学友人) 君とは長い付き合いだったね。今のところ一番な長いよ。死別したのは数年前、出会いは芝中1年だったから70年間になるかな。」 「それだけでなく、なんか縁があって、何時もお互い近くにいたね。中学1年は同じクラスだったかな。2年からは学徒動員。1年間同じ茅場製作所へ勤めた。8月15日の翌日二人で宮城前広場へいったっけ。天皇に謝りに。学校に戻ったのは、4年生だったから受験も近かった。僕は欠席が多く、学校へ行かない日が続いたが、当時教科書はなかったので、欠席だと、学校の情報は一切入らない。そんな時、毎日の... ...続きを見る

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2016/06/18 06:55
死者との対話(2)林さん(オーデイオ会社スタックスの社長)
死者との対話(2)林さん(オーデイオ会社スタックスの社長) 対話が成り立つには二人の間に人間的交流が必要です。アーノンクールと私は、告別演奏会のとき、アンコールで私が舞台に近づいたときにだけ、人間的交流があったように、私には思えたので、対話ができたように思えたのですが、それが一方交通だったのは後でしりました。無理に「対話」と名づけたのですが、以後の3つの対話は交流がある、本物の対話です。私が年をとったからこそうまれた「死者との対話」です。 ...続きを見る

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2016/06/11 10:03
アーノンクールの死(11) 「死者との対話」(1)(アーノンクール)とブログ一覧
ツアーとAVで楽しむイタリア・オペラ史(1) 本文 オペラが何時始まったか、知っていますか。これから少しずつ紹介しましょう。私だって本を読んで知ったのだから、それをまとめて整理するのは当然です。でもそれでは面白くないから、私の意見を入れます。意見はどこから生まれるか。オペラを見たり、聞いたりした体験と、オペラが生まれたイタリアを歩いて感じたことが意見発生のみなもとです。さあぽちぽち、はじめます                   (ブログ(1)最初のブログの本文) ...続きを見る

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2016/06/04 10:06

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