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みんなのオペラ記事へ

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オペラの風景(48)「オテロ」第4幕の〈柳の歌〉
オペラの風景(48)「オテロ」第4幕の〈柳の歌〉 。> フリットーリ オテロの第四幕は筋書きではクライマックスですが、オペラの内実は、これまでの激しい進行が止まり、異質のものになると私には思えます。ここは、エピローグの序章です。演劇では実質の変化はないのに、オペラではエピローグ。ここにこそ、不世出の名作を生んだ秘訣の一つのように私は思います。今回、改めて調べ、オペラを聞いてみたところ、似た扱いの文に出会いました。(シュテファン・クンツ「英雄の没落」から) 「第四幕は無防備なものを殺害し、その後自刃して自らも生贄になる英雄に寄せる結びの... ...続きを見る

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2009/11/28 20:46
オペラの風景(47)「オテロ」ボーイドがシェクスピアーを、より名作に
オペラの風景(47)「オテロ」ボーイドがシェクスピアーを、より名作に デスデモナ ヴェルディは長い間、シェクスピアー作品のオペラ化を意図していたのは有名です。特に「リア王」が意中にあったのは書かれています。彼自身の構想がまとまらないまま、晩年に至り、1880年、ボーイドとの間に「オテロ」が話題になります。 67歳のときです。完成は1887年。 当時の基準では完全な老人の大作曲家を動かしたのは周囲に人の心配りとともに、ボーイドの優れた台本のため、といわれています。この傑作が世に出る前はロッシーニの「オテロ」が代表でしたが、以後忘れられました。一昨年ペーザロの音楽... ...続きを見る

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2009/11/22 16:30
オペラの風景(46)「ロメオとジュリエット」ベルリオーズの「空想ドラマ」
オペラの風景(46)「ロメオとジュリエット」ベルリオーズの「空想ドラマ」      デームリング演出の「ロメオトジュリエット」             グノーのオペラ「ロメオとジュリエット」は傑作とは言えず、余り人気もなかったようでした。クラシックで「ロメオとジュリエット」というと、チャイコフスキーのオーケストラ序曲、プロコフィエフのバレー音楽を思いだすのが普通です。これらはロマン派とは言えません。ロマン派オペラに近い名作はベルリオーズの「合唱つき劇的交響曲」です。正しくは「ロメオとジュリエット、劇的交響曲」... ...続きを見る

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2009/11/06 15:50
オペラの風景(45)「ロメオとジュリエット」軽オペラ?
オペラの風景(45)「ロメオとジュリエット」軽オペラ? ギエムのジュリエット 今の評価では、シェクスピアーやゲーテの作品をオペラ化するなど不遜ですが、19世紀には沢山の試みがなされています。[ロメオトジュリエット]を原作とした作品は30曲もあるそうです。なかではグノーの作品が有名です。「原作」から適宜場面を選び、アリアと合唱やオーケストラでつなぎあわせれば見かけ上オペラができます。出来たものがシェクスピアーの作品に比べるべくもなくても、... ...続きを見る

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2009/11/02 11:06
オペラの風景(44)「ファウスト」グノーの大当たりオペラ
オペラの風景(44)「ファウスト」グノーの大当たりオペラ                             ドラクロアのファウストとメフィスト ...続きを見る

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2009/10/15 11:22
オペラの風景(43)「ファウストの劫罰」コンサート形式によるオペラ
オペラの風景(43)「ファウストの劫罰」コンサート形式によるオペラ フェルゼンライト・シューレのアーチ状ドーム壁面と塔 ...続きを見る

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2009/10/07 10:55
オペラの風景(42)「トロイ人」、神話とオペラ
オペラの風景(42)「トロイ人」、神話とオペラ                ベルリオーズ1860年頃 このオペラはギリシャ神話から台本を作ったものです。 ギリシャ悲劇再建の夢から、1600年に「オペラ」が発生したのは有名ですし、ギリシャ悲劇は通称ギリシャ神話の一部が精選されたものと思っていいでしょうから、ギリシャ神話のオペラ化があって不思議ではありません。しかし神様が人間と似た行動をするから、ギリシャ神話からの台本にかなり無理があるのは確かです。今回は《トロイ人》がどんな工夫でこの問題と取組んだかに話の焦点をしぼります。それがわかる... ...続きを見る

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2009/09/26 11:25
オペラの風景(41)「トロイ人」100年目に初演された大傑作
オペラの風景(41)「トロイ人」100年目に初演された大傑作 。          オデッセイと女神(オペラ「ウリッセの帰還」から) ...続きを見る

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2009/09/22 20:50
オペラの風景(40)「魔弾の射手」中世の森?
オペラの風景(40)「魔弾の射手」中世の森? アガーテ モーッアルトが「魔笛」を作ったあと「魔弾の射手」が出来るまで30年間。ドイツ、オーストリアで出来たオペラは「フィデリオ」だけか。今も残っているのはそうですが、実際はシューベルトやウエーバーのオベロンなどがありました。注目されなかっただけでした。「魔弾の射手」はベルリンでの初演から大変な注目を浴び、今でもロマン派オペラの嚆矢といわれています。当時の識者に驚きの目でみられたのは確かです。識者の文から「魔弾の射手」の特色を捉えます。 ...続きを見る

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2009/09/12 11:30
オペラの風景(39)「魔弾の射手」、説話から伝説、オペラへ
オペラの風景(39)「魔弾の射手」、説話から伝説、オペラへ ウエーバーの作ったドイツロマン派最初の名作オペラとされています。代表的な歌は「狩人の合唱」でしょうか。オペラの風景で扱ってきたのは、ロマン派のオペラですが、従来のロッシーニなどの古典派オペラとどこが違うかといえば、先ず内容です。幻想とか夢の表現を大事にするのがロマン派で、作曲家はそれに相応しい台本を捜して、オペラに新しい領域を開拓しました。台本が,現在ではありえない、昔の話が多く、神話、騎士物語、ならぬ恋、魔法などからとったものでした。魔法をかけた弾丸をつくって、射手は失敗なく、獲物を倒すと... ...続きを見る

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2009/09/05 11:07
オペラの風景(38)「パルジファル」神秘劇的ー宗教的傾向への批判
オペラの風景(38)「パルジファル」神秘劇的ー宗教的傾向への批判 第1幕の舞台 1882年7月26日と28日の初演をみたエドゥワルト・ハンスリックは直ぐ優れた論説「ワーグナーの《パルジファル》」を書きました。 「これが本当にワーグナーだろうか?有名な著作《芸術と宗教》(1850)のなかで、〈キリスト教の嘆かわしい影響〉にたいして敢然と戦いを挑んだあのワーグナーその人なのだろうか〉 当時のワーグナーはキリスト教を、真の芸術と人間の唯一の望ましい自然な発展を阻害する邪魔者とみなしていたが・・・今日では対極に転じ、キリスト教的神秘劇のうちにのみ、芸術の救済を見... ...続きを見る

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2009/08/29 09:45
オペラの風景(37)「パルジファル」同情を巡って
オペラの風景(37)「パルジファル」同情を巡って         マチルデ・ヴェーゼンドンク ワーグナーによれば、「パルジファル」は、「トリスタンとイゾルデ」同様、内面の物語が、本来の物語であり、外面的な物語はただ演劇的な楽しみだけのためです。その内面の物語は「同情」というキリスト教的な考えに入るものです。 楽劇「パルジファル」では3段階の同情を取り扱っています。第1幕では同情はまだ抽象的でぼんやりとした予感めいたものに過ぎません。第2幕では、クンドリの口づけで世界を見通す力、即ち、省察と状況を把握する力へと変化し、... ...続きを見る

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2009/08/22 11:01
オペラの風景(36)「パルジファル]清らかな愚者
オペラの風景(36)「パルジファル]清らかな愚者 パルジファル Parsifalは Parsiきよらかな、falおろかものというわかりにくい言葉で、これが救済者の意味に使われていると知ると一層わかりにくくなります。ワグナーの宗教哲学の概念で、パルジファルの出現がこのオペラのテーマです。1882年、70歳の作品で、同年初演され、翌1883年他界します。文字通り巨人の遺言で、「ファルスタッフ」(1893年)がヴェルデイ最後のオペラというのと少し意味が違います(死1901年)。 ...続きを見る

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2009/08/15 10:01
オペラの風景(35)「ファルスタッフ」の奇蹟
オペラの風景(35)「ファルスタッフ」の奇蹟 ファルスタッフ」がローマで初演された時、人人が彼を〈偉大な音楽家〉と呼んで褒めたたえたとき、〈ひとがどの演劇家〉と呼ばれれば十分だ、ヴェルデイは言ったそうです。 その頃オペラの舞台では、いつのまにか自然主義、すなわちイタリアの写実主義の機運が熟し、それによってオーケストラをシンホニー的に鳴らす傾向が強まってしまい、声を存分に生かした在来の〈歌うオペラ〉を排除する危険が表面化していました。 これに呼応するかのように、イタリア伝統のメロドラマやブッファから、ヴェルデイは「オテロ」で離れました。彼... ...続きを見る

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2009/08/08 09:22
オペラの風景(34)「ファルスタッフ」は悲しい喜劇
オペラの風景(34)「ファルスタッフ」は悲しい喜劇            ファルススタッフ 日本語には《棺桶に片足突っ込む》という面白い表現がありますが、大作曲家といえども、同じで、そんな齢に作った作品はユニークなのが普通です。ロマン派と呼ばれる3大作曲家、ヴェルデイ、ワグナー、オッフェンバッハの最後の作品は「ファルスタッフ」「パルシファル」「ホフマン物語」ですから、喜劇はヴェルデイ一人だけ、ワグナーは神聖祝典劇、オッフェンバックは喜劇ばかりを書いていたのにこれは幻想歌劇と呼び、初めて書いた真面目なオペラです。(ワグナーは中期に喜劇「ニュールン... ...続きを見る

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2009/08/01 11:50
オペラの風景(33)「ニュールンベルグのマイスタージンガー」とヒトラー
オペラの風景(33)「ニュールンベルグのマイスタージンガー」とヒトラー このハッピーなオペラを聴いて、暗い過去を誰が思うでしょう。 ワグナーは、忠実な仲間ハンス・ホン・ビューローの妻コジマ(26歳下)を奪って、この作品初演の年に子供をもうけました。彼の幸せを感じるのが普通ではないでしょうか。 ...続きを見る

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2009/07/23 11:28
オペラの風景(32)「マイスタージンガー」とパロデイ
オペラの風景(32)「マイスタージンガー」とパロデイ ルードイッヒ2世 ワーグナーの楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー(名歌手)」は前奏曲で知られていますが、これが喜劇であるのは存外気づかれていません。ドイツ人の喜劇が珍しいのに、ワーグナーが書くことは信じ難いことです。話題は、前回のオッフェンバックがギリシャの神様を浮世に移し、当時の人間の堕落した行動を諷刺しましたが、ワーグナーは極めて杓子定規なドイツ人を登場させ、彼らを諷刺しています。 トリスタンとイゾルデ」(1865作)の次の作が喜劇「名歌手」(1968作)で、両者... ...続きを見る

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2009/07/04 10:12
オペラの風景(31)「美しいエレーヌ」(オッフェンバック2)
オペラの風景(31)「美しいエレーヌ」(オッフェンバック2)                 ウッセリーナ・カサロバ(真面目なエレーヌ) ギリシャ神話のパロデイ、「天国と地獄」の6年あと、1864年の作品です。エレーヌはヘレン、パリスはパーリッシュとも呼ばれます。 神話のストーリーをそのままオペレッタにはしていません。みんな知っている話の一部分を組み合わせて台本を作っています。その元はこんなものだったというのをギリシャ神話から、書き出してみます。 ...続きを見る

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2009/06/21 10:49
オペラの風景(30)天国と地獄(地獄のオルフェ)
オペラの風景(30)天国と地獄(地獄のオルフェ)                       デセイ 彼が並べられるのはワーグナーである、とニーチェは言っている。オッフェンバックの目的はオペラ・セリアの偉大な作曲家たちによって貴族趣味的に扱われた同じ主題を、皮肉をこめて取り上げることであった。ニーチェは。ワーグナーの得意なオペラの主題でもオペレッタの主題になりうることを指摘することによって、オッフェンバックの目的を見抜いたのである。ニーチェが、多かれ少なかれ明白に、オッフェンバックをワーグナーと対をなす作曲家としてとらえるとき、われわれは... ...続きを見る

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2009/06/13 18:40
オペラの風景(29)「トリスタンとイゾルデ」の名演は?
オペラの風景(29)「トリスタンとイゾルデ」の名演は?        日本最高のホープ、フランゲーネの藤村美保子 このオペラは外的劇進行に乏しく、内的劇進行が中心のオペラだと、前回述べました。どんなところに具体的な特色があるのでしょうか. ワーグナー自身の説明があります。 従来のオペラとは異なる聞き方を要求すると言っているのです。 「従来のオペラ・・・モーッアルト、ヴェルデイ、プッチーニ・・・では、音楽はもっぱらその瞬間に行動している登場人物の表現なのです。しかしこの音楽劇の構想では、音楽は《全てを知る》作者のメガホン(p27)なのです。」 ... ...続きを見る

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2009/06/06 18:27
オペラの風景(28)「トリスタンとイゾルデ」と《愛の妙薬》
オペラの風景(28)「トリスタンとイゾルデ」と《愛の妙薬》 div>                         トリスタンとイゾルデの壁画 「トリスタンとイゾルデ」は情熱的恋愛の代表的な話です。これ話がケルト民話だと知らない人でも、麻薬が使われたのは知っていましょう。ネトレプコ扮するアディーナが「トリスタン物語」を読んで面白がっている。彼女に恋するネモリーノ(ヴィラソン)。二人は幼馴染なのに思春期になると関係は微妙。彼はイカサマ薬屋から(惚れられ薬《愛の妙薬》)をなけなしの金で買って飲む。薬の効果は顕著。伯父の遺産がネモリーノに入る噂が広が... ...続きを見る

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2009/05/29 12:49
オペラの風景(27)アンナ・ネトレプコの「椿姫」
オペラの風景(27)アンナ・ネトレプコの「椿姫」 戯曲「椿姫」のモデルがマリー・デュプレシーという名で19世紀初頭にパリで名をなした高級娼婦であるのは有名な話です。オペラ「椿姫」は、デュマ・フュスの戯曲を原作とした「音楽劇」とされています。当然主役ヴィオレッタには人格がある筈です。イタリアオペラ全体の傾向ですが、オペラの台本は主役の人格に殆んど触れません。劇としては不思議なことです。《椿姫》でも原作から台本を作るとき、ヴィオレッタの性格が書いてあった、第ニ幕を殆んど省いてしまいました。 アンナ・ネトレプコが2005年のザルツブルグ音楽祭で... ...続きを見る

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2009/05/09 09:48
オペラの風景(26)マリア・カラスの「椿姫」
オペラの風景(26)マリア・カラスの「椿姫」           1955年スカラ座でのカラス 椿姫の話は単純ですが、実在の女性がモデルのせいか、カラス=椿姫のイメージにたどり着くには幾つもの駅に止まらなくてはなりません。 ...続きを見る

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2009/05/02 13:02
オペラの風景(25)「エフゲニー・オネーギン」多様な解釈とDVD
オペラの風景(25)「エフゲニー・オネーギン」多様な解釈とDVD                         ザルツブルグ舞台での大草原 「ヴェルテル」も「エフゲニー・オネーギン」も男が主役の小説ですが、不思議なことにオペラにすると女性が目立つし、女性の心理を追う話になっています。本来なら「シャルロッテ」「タチアーナ」と題名をつけるべきでしょうが、小説の題名が有名だから、こうなったのでしょう。 「ヴェルテル」では幸福な結婚をしたシャルロッテに眠っていたヴェルテルへの恋情がクリスマスの夜に爆発し、彼の死で、恋情をどう処理するかがオペアの見所でした。タ... ...続きを見る

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2009/04/17 12:07
オペラの風景(24)「エフゲニー・オネーギン」《今も愛しています。しかし誓いました》
オペラの風景(24)「エフゲニー・オネーギン」《今も愛しています。しかし誓いました》 「オネーギン」も恋の物語です。                     オネーギンとレンスキーの決闘 原作は友人同士の決闘で有名で、プーシキンが書いた韻文小説です。これに1879年チャイコフスキーが作曲し、ヨーロッパではオペラが有名になってプーシキンが見直されたそうです。ゲーテ原作「ウェルテル」のようにこれも相愛の悲恋物語で、二人に結ばれる可能性があったものの、女性が断固節を守って悲劇を生みました。今回はこの二つを比べてロマン派オペラの特色に迫ってみます。 原作は「ウェルテル」が1785年、... ...続きを見る

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2009/04/11 10:16
オペラの風景(23)マスネ「ヴェルテル」、道を踏みはずさなかった女、DVDの表現−2
オペラの風景(23)マスネ「ヴェルテル」、道を踏みはずさなかった女、DVDの表現−2 。                                  バーデン市街 前回のDVDは青春の美しさを讃えた華やかな[ウェルテル]でしたが、本来内面的で、地味な側面も「若きウェルテルの悩み」には強くあります。そんな面を強調したオペラが、ウイーンから南へ車で30分ほどの都市バーデンで行われました。Baden Bei  Wien と地図にあります。近郊都市というには近く、謂わば、ウイーンの一部、郊外でしょうか。ベートーヴェンの記念館があり、私が訪ねたときには開場時間であるのに開いていない... ...続きを見る

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2009/03/28 09:57
オペラの風景(22)マスネ「ヴェルテル」、道を踏みはずさなかった女、DVDの表現
オペラの風景(22)マスネ「ヴェルテル」、道を踏みはずさなかった女、DVDの表現                 舞台となったウエッラールの光景 「ヴェルテル」はゲーテの傑作で、第二次大戦後の若者の愛読書でした。人妻になったロッテへの愛を断ち切れず、自殺する青年の物語で、ゲーテが1774年に発表した小説です。心理小説ですから、オペラにするのは難しく、ドニゼッティの師マイールが18世紀末にオペラ「ヴェルテル」を作曲していますが、今も演奏されているのは、マスネの曲だけです。「マノン」と違って、ヴェルテルの相手「ロッテ」は人妻の道を踏み外さないため、懸命な努力をします。小説は... ...続きを見る

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2009/03/21 10:38
オペラの風景(21)マスネ「マノン」、道徳観念のない女の魅力をDVDにみる
オペラの風景(21)マスネ「マノン」、道徳観念のない女の魅力をDVDにみる 道徳観念のない女を妖婦と名づけて、話を進めます。 妖婦を情婦と訳してしまえば、「マノン」のイメージから外れます。 「マノン」が世にでたのは1731年です。バッハのケーテン時代でしょうか。「マノン」の著者アベ・ブレヴォは1697年の生まれです。17世紀末でロマン主義にはまだまだ遠い時期です。 アベ・ブレヴォの自伝的著書「ある貴族の回想と冒険」は、1730年〜31年7巻としてオランダで刊行され、その第7巻に「シュヴァリエ・デ・グリュとマノン・レスコオ物語」、通称「マノン」は世にでました... ...続きを見る

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2009/03/08 11:50
オペラの風景(20)「ローエングリン」の数奇な運命とDVD
オペラの風景(20)「ローエングリン」の数奇な運命とDVD 「ローエングリン」ほど160年前の誕生から今日まで数奇な運命をたどったオペラを私は知りません。           初演が出来なかったドレスデン国立オペラ ワーグナーが伝説「ローエングリン」に手をいれてたことは前回のべましたが、出来上がった台本はこうです。 (筋書き)1幕ではドイツのザクセン国王がハンガリー攻撃の協力を求め、アントワーブに来て、当地ブラバント国の治安が悪いが、と口火をきり、理由を重臣テラムントに説明させる。彼は亡きブラバント王の娘エルザが弟を... ...続きを見る

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2009/02/25 17:09
オペラの風景(19)ローエングリン物語のワグナー版
オペラの風景(19)ローエングリン物語のワグナー版 ロマン派オペラ作曲家の意図を、イタリア、フランス、ドイツの大作曲家の作品から探る旅を続けています。今回はワーグナー(ドイツ)です。             白鳥の騎士の登場(アントァープ) ワーグナーは中世の物語にロマンのアイデアを求めた人で、「タンホイザー」物語を前回とりあげました。それとほぼ同時に作曲したのが「ローエングリン」ですが、これは「タンホイザー」での二つの物語の合体と違って、一つの物語「ローエングリン」からの彼の夢想です。元は12〜3世紀の伝承ですが、ロマン派全盛の19世紀に沢山... ...続きを見る

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2009/02/14 11:04
オペラの風景(18)「シモン・ボッカネグラ」とアッバード
オペラの風景(18)「シモン・ボッカネグラ」とアッバード > アッバード グティエレスは戯曲「トロヴァトーレ」(1836年)と戯曲「シモン・ボッカネグラ」(1822年)の作者で、ヴェルディはオペラ「トロヴァトーレ」(1853年)「シモン・ボッカネグラ」(1857年と1881年)を、それらから作曲しています。「トロヴァトーレ」と「シモン・ボッカネグラ」の間には四年経過しています。3大傑作「トラビアータ」「リゴレット」「... ...続きを見る

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2009/02/05 09:57
オペラの風景(17)カラヤンと「トロヴァトーレ」
オペラの風景(17)カラヤンと「トロヴァトーレ」 2009年1月6日、ベルリンフィル・ハーモニーのデジタル・コンサートがパソコンを通して日本へ送られてきました。一つのコンサートが同時に世界で見られたのです。 カラヤンがベルリンフィルハーモニーホールを作ったとき、彼はこう言ったといわれています。「これからコンサート会場は大勢の人が一緒に楽しむ場所となる。指揮者はその中心である。クラシックを深く楽しむ人は各人、家の優れたステレオ装置で好きな時間に聞けばよい。」                            ベルリンフィルハーモニーホール... ...続きを見る

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2009/01/25 21:43
オペラの風景(16)ヴェルデイ「トロヴァトーレ」の幻想
オペラの風景(16)ヴェルデイ「トロヴァトーレ」の幻想 ロマン派オペラのあるものは題材を原作(戯曲が多い)の空想性におおいに負っています。前回の「ホフマン物語」(1881年)はロマン派のファンタジーの典型だと日頃思っていたオペラです。現実にはありえぬ話題を虚構の世界で退屈せずにみせる作品です。オッフェンバックが題材に使ったホフマンはロマン派を代表する詩人です。 同じように虚構の世界をヴェルデイはスペインのグティエレス(1813−1884)の作品「トロヴァトーレ」を原作にして作っています。これはグティエレスが1836年に作った戯曲です。 「イル・ト... ...続きを見る

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2009/01/17 10:48
オペラの風景(16)「ホフマン物語」はオペラ・ブッファ(幻想に陥る人への嘲弄)
オペラの風景(16)「ホフマン物語」はオペラ・ブッファ(幻想に陥る人への嘲弄) 「ホフマン物語」は、ビゼーが「カルメン」を書いた5年後にオッフェンバックが作った名作です。日本では彼の「天国と地獄」が有名ですから、彼はオペレッタの作曲家ということになっています。コミカルな軽いオペラを書いた人として有名ですね。ところがこのオペラは3時間もかかる壮大なものだから、オペレッタと決め付けるのも変で、これはフランスのグランド・オペラとしています。ところが最近の研究で「そうではない」ことがわかってきました。これもオペラ・ブッファらしいというのです。彼がその前に作った軽いオペレッタもオペラ... ...続きを見る

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2008/12/30 13:48
オペラの風景(15)名作「ホフマン物語」のミステリーとDVD
オペラの風景(15)名作「ホフマン物語」のミステリーとDVD 「ホフマン物語」は「天国と地獄」のオッフェンバックの作品です。彼はベートーヴェンとは反対にふざけた作品を作ったと理解されています。 「19世紀後半のパリは、オッフェンバックとヴェルデイが支配した」。当時の新聞評には、ときおり、この種の表現が顔を覗かせたほどです。オッフェンバックはブフ=パリジャン劇場を根城に、世の権威を茶化し皮肉ることで観客の喝采を浴びました。ヴェルディは主にテアトル=イタリアンとテアトル=リリックで力強いメロデイを奏でて人気を攫ったそうです。この二人の作品が集客力の点で抜群の... ...続きを見る

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2008/12/21 12:21
オペラの風景(14)「フィデリオ」、改訂の歴史とDVDに見る演奏
オペラの風景(14)「フィデリオ」、改訂の歴史とDVDに見る演奏 「フィデリオ」には何か違和感があるのは多くの人が感じるようです。内容が余りにも通俗的に過ぎるのも違和感の一つでしょう。それに初演が1804年はナポレオンのウイーン侵入で、1805年はベートーヴェンの短気で、いづれも失敗した経緯があります。「フィデリオ」にしてからは順調のようですが。 ...続きを見る

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2008/12/12 10:03
オペラの風景(13)「フィデリオ」は「レオノーレ」と呼ばれていた(2)
オペラの風景(13)「フィデリオ」は「レオノーレ」と呼ばれていた(2) ベートーヴェンの「フィデリオ」は初演時には「レオノーレ」と呼ばれました。 二つのオペラを比較できるCDがブリリアン・レーベルで安く手に入ります。「レオノーレ(1805)はブロムシュタット指揮ドレスデン国立オペラ」で、「フィデリオはドホナーニ指揮ウイーン国立オペラ」で、一つのボックスに4枚入っています。 この二つを参考にしながら十年で変身が可能だった範囲を考えます。 (夫婦愛から人類愛へ) 第ニ幕冒頭には夫フローレスタンのアリアが登場します。 「ああ、何と暗いところだろう。気味の悪い静け... ...続きを見る

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2008/12/05 18:16
オペラの風景(12)「フィデリオ」、夫婦愛オペラからの変身(1)
オペラの風景(12)「フィデリオ」、夫婦愛オペラからの変身(1) このオペラ,発売されたDVDではポピュラーな名曲なみに数が多いし、大指揮者が挑戦しています。私の経験では、1度みてしまうと、夫婦愛が強調され過ぎて、筋が明快すぎて、音楽の流れもはっきりしているせいもあって、何度も見る気持ちにならないのが普通です。一回みると「もう結構」といいたくなります。 ...続きを見る

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2008/11/28 11:38
オペラの風景(11)暴論、「リゴレット」はヴェルデイの「運命」か
オペラの風景(11)暴論、「リゴレット」はヴェルデイの「運命」か (両作品での類似手法) ヴェルディはウイーン古典派のベートーヴェンの立場に似ているといわれます。ベートーヴェンがハイドン、モーッアルトに負ったように、彼もまた先駆者ロッシーニやドニゼッテイの作品から広範囲の継承をしているそうです。 ...続きを見る

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2008/11/21 09:25
オペラの風景(10)フローレス、魅惑のテナーが挑んだ「リゴレット」
オペラの風景(10)フローレス、魅惑のテナーが挑んだ「リゴレット」 (フローレスの登場) 今年の6月、世界の女性を魅了するテナー、フローレスがヴェルデイに初挑戦しました。場所はドイツのドレスデン。日本からもファンが集まったことは言うまでもありません。今までロッシーニやドニゼッテイなど軽く明るい声色が似合ったオペラしか歌っていなかったのが、重い声色のヴェルデイへの挑戦はファンならずとも興味がわきます。彼が今後のオペラ界を荷うホープでもあるからです。                                        フローレス 人の声は音の高さを目... ...続きを見る

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2008/11/14 18:33
オペラの風景(9)「リゴレット」、道化の救済
オペラの風景(9)「リゴレット」、道化の救済 放蕩者の話が、カルメン(放蕩女)、タンホイザー(放蕩男)と続きます。「リゴレット」では主役の一人、マントーヴァ公爵が放蕩男です。 「リゴレット」はヴェルデイが書いた初期オペラ最後の傑作で、今も大変な人気です。私は今年国内外でオペラを8つ見ましたが、そのうち2つが「リゴレット」でした。 ...続きを見る

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2008/11/07 10:54
オペラの風景(8)「タンホイザー物語」が生んだ幻想
オペラの風景(8)「タンホイザー物語」が生んだ幻想 「タンホイザー」は1845年に上演されました。「カルメン」はは1873年ですから30年前です。この頃はロマン派の末期です。ロマン派は18世紀末から19世紀前半にかけておきた文芸運動です。これらを原作として殆んどの有名なオペラは台本が作られています。日本が西洋と接した19世紀後半もその余波に中にありましたから、ヨーロッパのイメージとしてロマン派の作品が西洋そのものとして、我々に残り、後々にまで大きな影響を与えます。 ...続きを見る

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2008/10/31 18:48
オペラの風景(7)[タンホイザー]での救済
オペラの風景(7)[タンホイザー]での救済 タンホイザーの精神が楽劇でどんな表れ方をするか、の話です。 2幕の歌合戦の終盤で、タンホイザーがヴェヌース賛歌を歌ってしまいます。ここで、このオペラの前半は終わると前回述べました。参加者に殺されそうになるり、聖処女エリーザベトの弁護で助かり、領主からローマへ行き、許しを願って来い、と命じられて、2幕が終わりますが、賛歌を歌ったあとは、内容として明らかに後半です。精神の勝利への第一歩の始まりです。 ...続きを見る

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2008/10/24 16:19
オペラの風景(6)「タンホイザー」ヴェーヌスベルグをDVDに見る  
オペラの風景(6)「タンホイザー」ヴェーヌスベルグをDVDに見る   ワーグナーはオペラをドイツ語で楽劇と呼びました。つまり歌だけでなく、オーケストラも演劇も、3身1体だというのです。今は家庭で立体的な音だけでなく、画像も見られるので、ワーグナーの観賞には都合がよくなりました。 ...続きを見る

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2008/10/17 10:34
オペラの風景(5) [タンホイザー]ヴェーヌスベルグ
オペラの風景(5)  [タンホイザー]ヴェーヌスベルグ 情欲と精神の戦いをまともに取り上げたオペラとして有名です。 これは,どの時代を通しても問題ですから、今も人気オペラです。極東の日本でさえ07年に小沢・サイトウキネンメンバーの東京オペラの森と新国立劇場で上演されました。 オペラの正式名称は「タンホイザーとヴァルトブルグの歌合戦」です。 私たちが劇場やDVDでみる「タンホイザー」は序曲のところから幕がひらいてしまい、巡礼や肉体の乱舞するバレーの場面が現れ驚かされます(パリ版)。つまり「聖」なるものと「性」なるものの並列です。このような舞台の設... ...続きを見る

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2008/10/10 10:27
オペラの風景(4)「カルメン」ショック
オペラの風景(4)「カルメン」ショック オペラ「カルメン」は一つの文明現象でした。音楽関係者だけでなく、他の分野特に哲学者に強い影響を与えました。ワーグナーの音楽が当時ヨーロッパ全体を支配していましたから、これとの比較でとりあげられ、この問題は、以後100年続きます。 このことは「カルメン」を語るとき、避けて通れません。 ...続きを見る

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2008/10/03 09:34
オペラの風景(3)カルメンはどんな女か
オペラの風景(3)カルメンはどんな女か カルメン像が台詞版とレシタチーボ版(歌う言葉)[カルメン」では相当違うのがわかってきました。カルメンとはどんな女性か、それをしるには、原作ではどうなっていたのか? ...続きを見る

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2008/09/26 08:50
オペラの風景(2)台詞版「カルメン」DVDの迫力
オペラの風景(2)台詞版「カルメン」DVDの迫力 レシタチーボ版「カルメン」のDVDはカラヤンの名演以外入手不可能ですが、台詞版「カルメン」1970年以後、殆んどのDVDで使われています。しかし各盤で印象は大変違います。台詞が目立たないものも多くあります。これは舞台の都合で、上演時間を短くするため、省略されているのでしょう。 四つの際立ったDVDを紹介します。 私はエーザー版の「カルメン」の台詞を持っていますが、次の二つのDVDは殆んど省略されていません。 1)@ユーイングAマッコーレイBホロウエイCマクローリン 演出ピーター・ホール(1... ...続きを見る

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2008/09/19 09:51
オペラの風景(1)カラヤンの「カルメン」
オペラの風景(1)カラヤンの「カルメン」 カラヤンは20世紀後半が生んだ大指揮者です。彼は画像化に情熱を注いだのは際立ったことで、それが幸いして、幾つかのDVDが美しく、今みられます。同年齢の大指揮者殆んどが美しい画像ではみられません。 その一つが「カルメン」です。1967年ザルツブルグ音楽祭のもので、音楽祭中に映画撮影のために1日割いたもので、格別に美しい映像になっています。 @ハンブリーAヴィッカースBディアスCフレーニ 演出カラヤン(1967年ザルツブルグ音楽祭中の収録)ヘルベルト・カラヤン指揮ウイーンフィル(ギロー版)@カル... ...続きを見る

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2008/09/17 17:13
地球オペラの旅(11)城下町「ギルフォード」
地球オペラの旅(11)城下町「ギルフォード」 7月2日  ロンドン近郊ギルホード 多分3度目である。フリートからロンドンの方向に1時間ほど逆走する。ここは瀟洒な町、お城があって、町並みが洒落ていて、運河が走り、商店街が発達している。そして今はロンドン中心街へ30分もあればつく。ロンドンを取り巻くホーム・カウンテイースと呼ばれる州の一つサリー州に入る。日本では知られていないが、ギルホードは古さと新しさが調和した、中都市として成功した稀な例であろう。私がここへくるのが好きなのはベンという中古CD屋があるせいだけではない。ギルフォードはワーテル... ...続きを見る

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2008/08/20 11:35
地球オペラの旅(12)大学の町「オクスフォード」
7月3日(大学の町「オクスフォード」) 今日はオクスホードへつれていってくれた。ビルはタフだ。 方向は1日と同じ、距離は半分である。いわば途中だから似たことの反復でもある。 テームス川の源はサイレンスターの近くで、4年前ビルに連れていってもらった。オクスホードはそれから50キロ近く川下にあり、オクス(牛)が渡れる浅瀬というオクセンフォードがもとの名、オクスホードの語源だという。 フォードfordイギリスの地名にしばしば出てくる。前回のギルドフォード Guildford(同業者の浅瀬)、... ...続きを見る

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2008/08/19 10:55
地球オペラの旅(10)シェクスピアーの町「ストラトフォード・アポン・エイボン」
7月1日(ストラトフォード・アポン・エイボン) ストラトフォード・アポン・エイヴォンへいこう、と言われたとき、嬉しいやら困ったやら。疲れているから体力が心配だったからだが、予期していた誘いでもあった。ビルは親切だから、ボーッとさせておいてはくれまい、と思っていたのだ。「エイよ,ママよ」と、承諾した。 1時間くらいと思ったが、どうして2時間はかかるらしい。アンリュウも一緒にいってくれるらしい。38歳にもなっていい息子だ。 目的地はM40沿いで、どこで乗ったが、はっきりとはわからい。多分M4,... ...続きを見る

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2008/08/18 09:14
地球オペラ(9)イギリス・フリートへ
6月30日(再度イギリスへ) 夫婦二人になったので、ベルギー空港へはタクシーで行った。予想外の距離で、メーターは30ユーロを示した。ここは存外大きな空港であったが、手続きは成田なみに済んだ。                                             (テームズ上空) ...続きを見る

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2008/08/17 12:59
地球オペラの旅(7)ロンドンから海底をブリュッセルへ
6月28日(第6日目) (ブリュッセルへ) ロンドンの国際列車はセント・パンクラス駅から出ます。団体で荷物を頼むということから1時間前に駅へ行かなければならないそうで、バスで出発。地下鉄で2駅ばかりのところをエンコラサと老人グループが群れをなし、駅に到着。「飛行機ならこんなもの」と、慣れた動きではありますが、手間のかかる話です. 全体的にみて、ロンドンでの旅行社の計画は十年一日の如しで、山手線の内側をタクシーで乗り回すような馬鹿らしさを感じた三日間でした。 ...続きを見る

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2008/08/16 08:50
オペラの旅(8)「運命の力」(ヴェルディ晩年の名作)
モネ・オペラは1152人が定員の、昔からのオペラ劇場でした。外見は格別の古さを感じさせませんが、中は伝統的な装飾に満ちていました。通路が両側で、トイレに立つのが困るやり方、でも1〜2回の休憩には席を立つてホワイエで談笑するのが当たり前ですから、端の人が席につく時間さえ気にすれば、余り障害はありません。席は1階F157、通し番号だけど偶数と奇数が別の列です。100ユーロでした。まあ適切です。プロは9ユーロ、立派なのが2冊、一冊は台本で、こんな経験は始めてです。値段は日本の2000円より安いけれど。... ...続きを見る

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2008/08/16 08:46
地球オペラの旅(6)06年の「フィガロの結婚」
                                     コヴェント・ガーデン・オペラ  6月27日 午後の目的はコヴェント・ガーデンまで歩いていき、劇場ショップでDVDを買うことです。コヴェント・ガーデン駅は地図の記載だと1人前の駅の扱いではない感じですが、20年前来た時に下車して、エレヴェーターで地上にでたことを憶えていまから、確かにあります。それはピカデリーサーカス線で、ホルボーンの一つ手前です。 ホルボン・クロスからキングスウエイを50メートル南下し、グレイト・... ...続きを見る

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2008/08/15 11:11
地球オペラの旅(5)コヴェンド・ガーデンの新制作「ドン・カルロ」
コヴェント・ガーデンは3回目です。 当日のプロと切符 一度目は1986年春「セビリアの理髪師」、二度目は2004年夏「アラベッラ」。両方ともオーケストラ・ストールでしたが、今回はドナルド・ゴードン・グランド・テイアー、3階席の3列目、「アラベッラ」がオーケストラ・ストールで135ポンドだったのを憶えていま... ...続きを見る

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2008/08/15 11:08
地球オペラの旅(1)ドレスデンへ
08 地球オペラの旅 地球の半分を移動してオペラをみる計画が気象異変のせいで、途中大頓挫しました。ヨーロッパで気象異常が起こるのはよく聞きますが、毎夏出掛けているのに、もろにやられたのは始めてです。 07年はイタリア各地を回ってブログに「イタリア・オペラの旅」を書きました。今回はアクシデントで地球を一回りするほど飛んでオペラをみました。題して「地球オペラの旅」です。 先ず地球のことを考えて、それからオペラの旅を振り返ります。 地球を宇宙に漂う球体と見れば、大気の「乱れ」が最初に現れるのは... ...続きを見る

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2008/08/14 22:15
イタリア・オペラ史(154)プッチーニの遺作「トーランドット」
「トーランドット」は中国の姫の名、その一つのアリア《誰も寝てはならない》がスケートで有名になるとはプッチーニもオペラファンも予想だにしない出来事でした。 最晩年の5年間労苦を重ね、遂に未完のまま、世を去ったオペラです。初演は2年後の1926年で、昭和です。 ...続きを見る

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2008/08/13 18:27
地球オペラの旅(4)異常気象
6月25日(第四日)異常気象 ドレスデンらしからぬ、新築マートで軽食をすまし、飛行場につきました。 ここまでは平和でした。 14時25分発の飛行機が飛ばないのです。待っている間忙しい添乗員さんと雑談ができるほどでした。 私たち夫婦は最近4年間、今日と同じkさんNさんお二人の組み合わせでのツアーに5回参加してきました。それらのうち、2005年夏はインスブルグのイン川上流の大雨で、大変な車渋滞、インスブルグからザルツブルグまで8時間もかかり、やっとの思いで開演に間に合ったことがありました。普... ...続きを見る

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2008/08/12 14:48
地球オペラの旅(3)フローレスの「リゴレット」
                             ドレスデン国立歌劇場の廊下 リゴレットはヴェルディのイタリア・オペラで、イタリア・オペラをわざわざ日本から行ってドイツの歌劇場でみるのは少し奇妙です。ドイツ文化とイタリア文化とは反対の位置にありますから。大テナー・フローレンスがオペラにでるのは、どんな思慮か、興味がありました。彼はロッシーニの多くやドニゼッテイの「連隊の娘」などを歌わせれば、今匹敵する人はいません。しかしヴェルディのマントーヴァ公爵はどんなものか、名声の足をひっぱら... ...続きを見る

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2008/08/11 08:42
地球オペラの旅(2)文化宮殿とゼンパー・オパー
ここは旧東独です。今の旧市街にはその面影はありませんが、私たちが泊まったヒルトンは東独時代、スウェーデン系ホテルとして建設され、当時はドレスデン最高のホテルだったそうで、延々と続く廊下に旧ソ連の面影を感じました。 もう一つ旧東独を感じさせる建物があります。ブリュールのテラスから降りて、左のフラウエン教会の前を通り抜け、新広場ノイ・マルクトに入ると、広がっている文化宮殿クルトウーア・パラストです。ここは1966〜9年建設だそうです。外見が実に平凡で、宮殿とは名ばかりです。 ...続きを見る

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2008/08/10 16:02
イタリア・オペラ史(153)プッチーニの「私のお父さん」
1916年はプッチーニ58歳、第一次世界大戦たけなわの年でもあります。『蝶々夫人』や『トスカ』が書けるような状況にはありませんでした。R・シュトラウスは1911年に『バラの騎士』を書き、1912年には「」ナクソス島のアリアドネ』を書いています。オペラがヴェルディ時代とは変わってしまっていました。 「私のお父さん」というアリアを聴いた方は多いでしょう。名前で思い出さなくても、メロデイを聴けば大抵の方は知っています。 ...続きを見る

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2008/07/23 20:00
イタリア・オペラ史(152)プッチーニの「西部の女」
《西部》はアメリカの西部です。女のいない、男だけの世界、そこに天使のような女ミニーがいて荒くれ男の世話をし、男たちに慕われていた。その彼女がよそ者の盗賊に恋をした顛末です。                         命と貞操がかかったトランプ 1904年に「蝶々さん」初演のあと、プッチーニには色々な人からオペラの材料となる戯曲を推薦されます。「西部の女」が1910年の初演ですから、想像がつきますね。最初の有力候補は「マリー・アントワネット」。これはイリッカ、ジャコーザのいつもの組... ...続きを見る

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2008/06/21 21:06
イタリア・オペラ史(152)蝶々さん−−異国趣味から日本理解へ
初版の楽譜表紙の蝶々さん 日本では大変有名なこのオペラも、今、プッチーニの人気オペラではありません。でも100年の歴史に耐えて、上演はされています。 19世紀の日本ブームは当初われわれには屈辱的内容で紹介されました(ロテイの「お菊さん」が例)。 オペラ「蝶々夫人」は、ロング(アメリカ人)の小説をベラスコが戯曲化したものをプッチーニが見て感動し、オペラ化する気持ちになったものです。当時あった考えは、日本では簡単な契約で女性を買うことができ、可愛いらしい仕草や性を楽しめ、簡単な手続きで別れられ... ...続きを見る

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2008/06/15 19:03
イタリア・オペラ史(151)トスカ…歌に生き、恋に生き
                           トスカ(アリア・カラス)がスカルピアを殺害 プッチーニの第三作(本来の5作)はアリア、《歌に生き、恋に生き》で有名な「トスカ」です。トスカは架空の歌姫。1800年ごろのローマが舞台で、原作はヴィクトリアン・サルドゥー... ...続きを見る

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2008/06/07 10:50
イタリア・オペラ史(150)ボエーム(プッチーニ)と椿姫(ヴェルディ)
ボエームは放浪芸術家(ボヘミアン)です。「ボエーム」はボヘミアンのドラマです。                     プッチーニ ボヘミア地方(今のスロバキア)はジプシー発祥の地と考えられていましたから、こんな言葉が生まれたのでしょう。ジプシーは定住性のない人々で、芸術家、特に若い人には安寧など求めない彼らを理想とした風潮がありました。 ...続きを見る

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2008/06/06 11:22
イタリア・オペラ史(145)ヴェルディ「オテッロ」のハンカチ(嫉妬)
「嫉妬」がオペラの中心課題であるのは考え難いことです。でもシェクスピアーの「オテッロ」では落としたハンカチが[嫉妬]の決めてになり、オテッロが家内を殺してしまいます。ヴェルディが「オテッロ」を原作としてオペラを作れば、「嫉妬」が中心課題となってしまいます。                     「オテッロ」作曲時のヴェルディ ...続きを見る

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2008/04/29 18:45
イタリア・オペラ史(148)ヴェルディ[ファルスタッフ」の名演DVD
オランダのオケでファゴットを吹いている知人がいます。なかなかの吹き手で              カラヤンのファルスタッフ 松本のサイトウキネンや東京のオペラの森で、オケの一員として呼ばれています。彼いわく。「ヴェルディのオペラを吹いているときは、伴奏をしている感じがする。リヒアルト・シュトラウスだと、オーケストラという感じになる。」私は聞いた。「ファルスタッフでもそうか?」「やっぱり、そうだ。あんなにオケが難しくても」 「シンホニ... ...続きを見る

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2008/04/28 10:15
イタリア・オペラ史(147 )ファルスタッフ(ウインザーの陽気な女房たち)と喜劇
「共同体の規範から逸脱した人が受ける儀礼的な制裁」の話を文学者は(シャリバリ)と呼ぶそうです。                ファルスタッフの舞台像 基準となる話し(この場合シャリバリ)には変形、創作される作品が多く、「ファルスタッフ」はその一つです。シェクスピアーでは「ウインザーの陽気な女房たち」がシャリバリです。 前に出た「ドン・ジョバンニ」や前回の「オテッロ」は変形、創作されることが多く、同じレベルの分類にあたります。 どこまでも原作者を昔に辿れ、当たり前の筋で、筋がよく出来てい... ...続きを見る

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2008/04/14 10:16
イタリア・オペラ史(146)オテッロの解釈と名演
レオーニ(s)  音楽の力は演劇とは違います。演奏の力は音楽の力を左右します。   ボイドの台本ではシェクスピアーより「嫉妬」が強調されているのは確かです。しかし音楽は台本では予測できない、優しさ、甘さが表現できます。演奏は表現を深めます。 それらが作品全体に絶妙なバランスを生み、裏腹である愛と嫉妬が芸術的に表現できます。 ...続きを見る

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2008/04/10 16:08
イタリア・オペラ史(144)これがオペラ?ヴェルディのレクイエム
                        レクイエム歌手群、漕ぎ手はヴェルディ レクイエムは「死んだ人の霊が、最後の審判のときに、生き残れますように」と神にお願いする音楽です。これはカソリックの儀式の一つで、教会で行われます。ヴェルディの「レクイエム」は初演が1873年5月22日、ミラノのサンマルコ教会で行われました。しかし聞こうとする人々を到底収容しきれず、25日にはスカラ座で、自身の指揮、26,27日と続いた公演はファチョ氏の指揮で公演されました。6月にはパリのオペラコミックで7公演... ...続きを見る

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2008/03/12 10:41
イタリア・オペラ史(143)「アイーダ」(3)名作の名演
。                               大行進曲 アイーダのように華美と叙情性という両立しにくいものを含むオペラは上演が低俗性に流れがちです。両極端の場面の意味がわかるように演出するのは至難かもしれません。私が見た印象で、困難さを乗り越えるには華美さを控えめにするのがベストのようです。その点に焦点をあてて、市販のDVDを点検してみます。 ...続きを見る

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2008/03/03 20:35
イタリア・オペラ史(142)「アイーダ」(2)ヴェルディがこめた意味
ヴェルディは「ドン・カルロ」を作曲してから4年もたったのに次の作品がでません。彼が恋人ストルツのために作品を探していたのは確かですが。それが突然それまで無視していたエジプトを題材としたオペラを作曲する気になりました。作品「アイーダ」の内容が前回述べたようにケバケしさと叙情性の混在で、一貫性がないので、この作品にどんな意味をこめたか、多くの人が議論をくりかえしています。そのことに触れます。 ... ...続きを見る

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2008/02/17 11:28
イタリア・オペラ史(141)「アイーダ」(1)ヴェルディ・老いらくの恋
「アイーダ」の行進曲は日本でとっても有名です。小学生でも知っています。 ...続きを見る

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2008/02/10 10:21
イタリア・オペラ史(140)「ドン・カルロ]孤独の王様
「ドン・カルロ」は4人或いは6人の主役が皆満たされぬ思いを持つ、孤独がテーマのオペラだと、私は思います。そして後世大きな評価をえました。 ...続きを見る

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2008/01/31 18:56
イタリア・オペラ史(139)「運命の力」はロマン
             ヴェルディ時代、独立前のイタリア地図。 ...続きを見る

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2008/01/22 10:01
イタリア・オペラ史(138)仮面舞踏会(王様の純愛)
                   [仮面舞踏会」フィナーレ、王の殺害 [マスク]と略されることもあります。実際起きた事件のオペラ化です。 「シモン」と違って、知識がなくて見ても大筋はわかります。メロデイも流れるようだし、舞台の変化も多く、傑作の名が相応しい、初演時からの人気作品です。1857年「シモン」を作ったすぐあとの1559年にこんなオペラが何故出来たのか、ヴェルディという人は天才的化け物ですね。 ナポリからの依頼で、... ...続きを見る

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2008/01/17 10:08
イタリア・オペラ史(137)[シモン・ボッカネグラ](25年間のオペラ)
幕があいて、終幕が降りるまで、25年の歳月が流れるオペラなんて珍しい。モーッアルトの頃は1日が普通です。「フィガロの結婚」では結婚式当日の朝で始まり、披露宴の直前幕がおりるし、「ドンジョバンニ」は二日にわたっているとも取れるけれど、「コシ・ファントッテ」は兵役についた二人はすぐ除隊になるという少しいい加減。でも1日の出来事ということにこだわっています。 ジプシー女アズチェーナが出た、「トロヴァトーレ」。あの作者グティエレスが今度のオペラの原作者です。だから並の筋ではなく、わかりにくい筋立てとな... ...続きを見る

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2008/01/08 10:30
イタリア・オペラ史(136)ヴェルディの変身「シチリア島の夕べの祈り(晩祷)」
「椿姫](1853年)のあと、どんなオペラが書けるか、という興味は「椿姫」ファンの私ならずとも、多くの方が抱く興味でしょうが、ヴェルディ本人も大変苦しんだようです。彼は1853年秋にパリへ向けて旅立ちます。新天地を探しに、といいたくなりますが、それまでも何度もパリへ行っていますから、それほどの事件では本人にはなかったかもしれません。しかし様子がこれまでと違っていたのでしょう。親しいマッフェーイ夫人は「ずっとい続けるのではないか」と不安にかられて手紙を書き、それへのヴェルディの有名な返事が残ってい... ...続きを見る

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2007/12/26 11:25
イタリア・オペラ史(135)「椿姫3」大傑作の名演
オペラ「椿姫」の背景を知って、内容を深く味わうのに役立ちそうな事柄を2回にわたり、紹介しました。  アルフォンシーヌ・デュプレシー  アルフォンシーヌ(マリー)・デュプレシーという実在した椿姫の生涯、それに椿姫もどきの過去を持つ、ヴェルディの妻ジュセッピーナの話しでした。ヴェルディの作品はデュマ・フィスの演劇を土台にしたものですが、マリーとジュゼッピーナはオペラの内面的なものを強く支配していると私には思えたからです。 「トラビアータ(椿姫)」は特色のある作品で、それまでの多くのヴェルディ作品... ...続きを見る

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2007/12/19 11:05
イタリア・オペラ史(134)「椿姫」妻ジュセッピーナの愛(2)
                     ヴェルディの恋人ストルツ   ジュセッぺ・ヴェルディ(1813〜1901)の全作品にジュゼッピーナ・ストレッポーニ(1815〜97)は関わっています。個人的な話しをするのは本小文の意とするところではありませんが、「椿姫」はこの二人の個人的な話と深く関わっていると私は思います。 ...続きを見る

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2007/12/08 12:41
イタリア・オペラ史(133)「椿姫」、裏にある物語(1)
この、余りにも有名なオペラに、何か加えることがあるかもと思います。初演こそ失敗でしたが、4ヶ月後からは、大ヒット。今も同じ、150年間ヒット。 見かけは、結核の娼婦が客と恋愛し、死で願いが途絶える、話にすぎませんが。 オペラの背景を調べて,気づいたことがあります。 ...続きを見る

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2007/11/27 11:45
07年 イタリア・オペラの旅(12)「イタリアのトルコ人」とチェチーリア・バルトリ(8・18)
ロッシーニ劇場は定員800名くらい。日本では考えられないほど小さいが、イタリアの地方オペラでは平均的な大きさらしい。今日は「イタリアのトルコ人」。一昨日の「ランスへ旅」では一番後ろだったが、今度は前から2列目だった。 ...続きを見る

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2007/11/22 16:05
イタリア・オペラ史(132)「トロバトーレ」コソットのアズチューナ
<ブレゲンツの「トロバトーレ」 オペラの主役はジプシー女、アズチェーナです。原作が「イル・トロヴァドール」になっているから、ヴェルディもそうしたのでしょうが、トロバトーレを主役としてみると、面白さは半減します。なおトロバトーレは日本語の吟遊詩人、中世ヨーロッパで、身分のある貴族などが自作の歌を歌って、諸国を遍歴した人をさします。 リゴレットでもそうであったように、異常な性格の人物の表現に当時のヴェルディは執着し、アズチェーナの復讐が主題とこのオペラでじゃなっています。 アズチェーナはジプシ... ...続きを見る

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2007/11/18 16:16
07年 イタリア・オペラの旅(11)ペーザロ探索
                    アドリア海、ペーザロの海岸               「ルクレチア・ボルジア」はドニゼッティのオペラで、ヴェネチアの青年貴族とフェラーラの王妃ルクレチアとの悲劇を実話に基づいた台本とし、作曲したものである。 ペーザロのメインストリートが海で切れる直前に小さな本屋があった。私はショウウインドウを眺め、何か買えそうなものがないか、と目を走らせた。すると格別に目立つところに「ルクレチア・ボルジア」の楽譜が飾られていた。ロッシーニの楽譜でもなければ、ド... ...続きを見る

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2007/11/14 17:30
イタリア・オペラ史(131)風の中の羽のように「リゴレット」
リゴレット「風の中の羽のように」 女ごころの移り易さを歌ったこのアリアは「リゴレット」の名以上に有名ですが、これは男の浮気心の裏返しの表現でもあります。オペラでは独裁者の殿様、マントーヴァ公爵のかって気ままな好色を歌っています。 ヴェルディは劇を進める力を,これまでのように愛国心に求めず、人間の内面や本能に求めはじめましした。男の好色も劇の原動力の一つになっています。 ...続きを見る

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2007/11/10 10:08
07年イタリア・オペラの旅(10)アレーナと音響
ペーザロのロッシーニ音楽祭は28回目だったと憶えていますが、イタリアでは28などという数字は数に入らないのでしょう。プログラムのどこかにあった筈でしたが、見つかりません。不正確です。 人口10万を切るこの小さな都市。夏の音楽祭が世界的人気を博し、2千人もの観客を集めるオペラが多くなったようで会場決定に苦慮しているに違いありません。一昨年は体育館を半分に仕切ったようなパラ・フェスティバルでした。夏しか必要がない建物を新設するには他の催しと共用するしかありませんから、体育館を思いつくのは自然。どこ... ...続きを見る

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2007/11/07 10:32
イタリア・オペラ史(130)「ルイーザ・ミラー」
ヴェルディ14番目のオペラです。彼は生涯で」26曲書いているから、前作「レーニャの戦い」(イタリア・オペラ史(105)で取り上げた)で半分が終わり、後半にとりかかったことになります。勿論当人は知りませんがね。 今、世に知られている彼のオペラの殆んどが、後半に書かれています。全てが名作です。例外は「ナブッコ」と「マクベス」でしょうか。 ...続きを見る

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2007/11/03 10:00
07年イタリア・オペラの旅(9)ペーザロのオペラ「オテロ」とウルビーノ観光
8 [オテロ」とウルビーノ観光( 8・17) そろそろ疲れが出る頃と思いウルビーの観光は遠慮した。ペーザロをゆっくり見た。何時もの道を往復したあと、海水浴場でときを過ごした。青空と青いアドリア海、秩序正しく並んだビーチパラソルは西欧的である。 一昨年昼食をとったレストランがあった。城のような家だった。 8 .1 「オテロ」異聞 今日はフローレスの「オテロ」である。会場は昨日と同じアドリアテック・アレーナ。 ...続きを見る

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2007/10/31 17:30
07年イタリア・オペラの旅(8)ペーザロ「ランスへの旅」「泥棒かささぎ」(8・16)
7 ペーザロのオペラ「ランスへの旅」(8.16) 常設の歌劇場が夏のフェスティバルで使われることは少ない。今回のツアーでもロッシーニ劇場だけである。一昨年はここペーザロでのロッシーニ音楽祭で見たオペラはこの劇場で行われず、残念な思いで帰国した。今回ネットで調べたら、ツアーに取り込まれた「イタリアのトルコ人」のほか、演奏会形式ではあるが、「ランスへの旅」があった。東京で予め申し込み、ツアーの市内見物は遠慮した。 このオペラにはもともとオペラらしい所作はすくない。 ルイ十世の戴冠記念用で、ロ... ...続きを見る

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2007/10/27 18:33
イタリア・オペラ史(129)マクベス
恐ろしいオペラです。シェクスピアーの原作。シェクスピアーは「ダンカン王の物語」などからとったようです。 初めてのシェクスピアーと対峙したことで、筋が今までのヴェルディ作品とは全く違います。テーマが人間の心理なのです。 主役マクベスは名誉欲と臆病さにおののく平凡な人間です。彼が色々な状況に追い込まれ、破滅に向かって進むさまが描かれますが、状況を作るのがマクベス夫人と魔女です。夫人も悪魔的性格の持ち主です。 場所はこんな題材に相応しいスコットランド、舞台は南のファイフ、今はパースとして地図に載... ...続きを見る

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2007/10/25 12:03
07年イタリア・オペラの旅(7)「ペルージャ」、サッカー以外の素顔
6.3 ペルージャ(8・15) 「ペルージャまで車でどれくらいでした」 「ホテルミネルバから2時間。休日で道路はすいていたからもう少し早かったと思う。ガソリンスタンドさえ休みの所がおおい。」 「トスカーナの高原を走りましたね」 「道筋の景観は格別でした。これぞトスカーナと思うほど緑が続きました。抜けるような青空に、牧場の牛も集められた干草も夏の盛りを思わせたし、遠くにアベニノ山脈も浮かんでいた。」 ...続きを見る

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2007/10/21 09:19
イタリア・オペラ史(128)フン族の王”アッティラ”
ヴェネチア(ヴェニス)がどんな経過でできたか、ご存知の方はおおいでしょう。フン族に追われたアクイレイアの民が水の上に作り上げたのが、都市の始まりといわれています。勿論追われている最中に都市など作れませんが、彼らを撃退して、住むに適した場所がないから、工夫して、今の世界遺産の足がかりを作り始めたそうです。 このオペラはフン族に占拠されたアクイレイアでの出来事です。王アッティラの死が史実とは少し違いますが、紀元452年の出来事です。フン族はハンガリーを中心に東はカフカスから西はラインまで大帝国... ...続きを見る

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2007/10/19 20:36
07 イタリア・オペラの旅(5)コルトナ(トスカーナ)とバルトリ
トスカーナへ 朝食で他の旅行社が主催しているツアーのお客と隣り合わせだった。彼らはもうペーザロを楽しんできたそうで、我々より若くて元気がいい。仲良くなり共通の話題に沸いた。フローレスが人気の中心だが、我々がこれからネトレプコを聞きにいくというと、嘆声しきり。やはり、この二人だけが、日本から人を呼べるらしい。彼らは今日遊んで、明日アンコーナから飛行機でかえるそうだ。われわれはイタリアの中央脊梁であるアベニノ山脈にむけ出発した。 ...続きを見る

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2007/10/16 11:20
07年イタリア・オペラの旅(4)イタリアで4番目に住みよい都市マチェラータと<マクベス>(8・12)
4 イタリアで4番目に住みよい都市マチェラータと<マクベス>(8・12) 「イタリアの小都市はどんなイメージですか」 「日本の都市と大変違うのは他の都市と独立していることです。これはイギリスもそうでした。日本が異常なのかもしれません」 「都市がずるずる続いていない、つまり切れ目があることですね」 「そうです。それに全てがゆったりしています。ホテルに入っても似た感じを受けます。一人の占有面積が大きい感じです。空気が沢山吸えるんです。」 ...続きを見る

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2007/10/13 13:22
イタリア・オペラ史(127)「二人のフォスカリ」心理を音に
            ローマのアルジェンチーナ劇場 ...続きを見る

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2007/10/10 18:44
07年イタリア・オペラの旅(3)アドリア海の野外オペラ(8.11)
3 アドリア海の野外オペラ(8.11) 「アドリア海はイタリア半島とバルカン半島との間でしたね」 「そうですね、アドリア海沿岸は有名な割に、日本からのツアーはヴェネチア(ヴェニス)に集中しています。ところが夏の音楽祭が3つも、今、この海岸沿いでおこなわれます。」 「どうしてですかね」 「行ってみてわかったけれど、アドリア海地方は田舎だし、海水浴場が発達しています。だから夏のリゾートなんですね。色々事情はあるでしょうが、先ずそういうことがあったから、夏を楽しむという意味で、彼らの大好きなオ... ...続きを見る

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2007/10/06 09:08
イタリア・オペラ史(126)「エルナーニ」情熱のオペラ
革命オペラを3つ紹介したため、作曲年代順ではなくなりましたが、「十字軍のロンバルジア人」の次のオペラ「エルナーニ」にもどります。 ...続きを見る

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2007/10/03 10:49
07年イタリア・オペラの旅(2)コロセオ
「ローマへは行ったことがないのですって」 「そうなんだ」 「今度のツアーはローマ1泊なんでしょう? 「1泊で、すぐ、東海岸に移動します」 「どうしてそんなに短いのかしら」 「どうも夏の最盛期なんで、飛行機がとり難しいらしい。ローマへはアリタリア航空が直行しているけど、それがとれないときは、多分ミラノ経由。目的は東海岸の中部だから、ローマ以外の空港だと動きにくいらしい。」 ...続きを見る

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2007/09/30 11:21
07年イタリア・オペラの旅(1)カラカラ浴場のオペラ
</di 1 野外オペラと音響(ローマカラカラ浴場・8月9日) 「〈音楽ツアー〉という言葉を聴くけど、普通のツアーとドゥ違うのかしら」 「あんまり、違わないのもある。つまり観光地の一つをオペラ劇場に変えただけ。でもそれじゃ情けない。今回参加したのは10日間程度にオペラをできるだけ多く、聴けるよう企画したもの、結果として七つのオペラと一つのコンサートを聴いてきました。」 「夏でしょう。だから音楽会はお休みの筈ね」 「そう、ヨーロッパは9月から6月までが一つの音楽シーズン。7,8は音楽家... ...続きを見る

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2007/09/26 10:18
イタリア・オペラ史(125)「レーニャの戦い」革命3部作
イタリアが外国の干渉で細かく分断されていたのはロッシーニの時代もそうでしたが、50年たったヴェルディのときには末期を向かえました。民族意識が高揚し、それが民衆的なオペラに反映したのは当然です。「ナブッコ」「第一回十字軍のロンバルジア人」と並べ、「レーニアの戦い」は革命3部作と呼ばれます。これはドイツの侵略を防ぐミラノの戦いですから、前2作と違い正面から民族独立を取り上げています。勿論検閲が厳しいから話しを12世紀に移しています。 1848年ヴェルディはパリにいました。3月にミラノ人が支配者オー... ...続きを見る

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2007/09/22 18:30
イタリア・オペラ史(124)十字軍のロンバルディア人(イエルサレム)
イタリアが外国に支配され、分断されていた時期、オペラは愛国主義と深く結びつきました。「君が代」を学校で歌うよう文部省指示がでますが、歌には人の心を一つにする力があります。1843年当時、オペラは大衆娯楽でもありましたから、民衆の力が必要であった愛国主義運動で、オペラが重要な役を果たしたようです。「ナブッコ」がそんな役にたったのは確かです。でも今の目でみると、「行け、我が思いよ、黄金の翼にのって」という歌のどこにそんな要素をもっているか、わかりません。言葉と無関係にメロディーに虐げられた民族の思い... ...続きを見る

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2007/09/16 10:22
イタリア・オペラ史(123)行け我が思いよ金色の翼にのって
表題の言葉はオペラの題名より有名。ヴェルデイのオペラ「ナブッコ」の合唱の一節です。ナブッコは、「椿姫」のヴェルデイの第3作で、出世作です。 エルサレムは今イスラエル領。そこが色々な宗教の聖地ですが、ヘブライ人(ユダヤ教徒)は紀元前6世紀に住んでいましたた。今のイラク領を中心にバビロニア王国(アッシリァ人)が勢力をもち、エルサレムに攻めていきます。ヘブライ人は捕虜になり、バビロニアの首都バビロン(バグダットの南)に移されます。ナブッコはバビロニア王。王の妾腹の子アビガイッレ。二人の権力争いとナブ... ...続きを見る

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2007/09/10 11:05
イタリア・オペラ史(122)老人の恋「ドン・パスクワーレ」
老人が若い女性に恋をする話はオペラに格好の題材です。「セビリアの理髪師」がそうでした。この「ドン・パスクワーレ」もそうで、このあと、ヴェルディは「ファルスタッフ」を書いています。3つとも傑作ですし、ブッファに近いけれど、あとの二つは老いの孤独を扱っていて、死と向き合っていますからセリア以上にセリアといえます。。 ...続きを見る

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2007/09/03 18:53
イタリア・オペラ史(121)「シャムニーのリンダ」(神の恩寵)
ドニゼッティーのオペラでは1840年頃から神の話題が重要になります。これは1842年の作。既出の「ラ・ファアボリータ」は1840年末。どちらも直接信仰を扱ってはいないが、神との関わりが感じられます。これはハッピーエンドの作品ですが、人には定められた運命があるのを示したいように私は感じます。ドニゼッティーは絶頂期の数年前女性遊びをして梅毒にかかり、絶頂期の37歳(1934年)ころから自覚症状が現れ、激しい頭痛に襲われ始めます。「ルチア」の死の場面「「愛しい人よ君は先に天にいくのか」のエドガーの告白... ...続きを見る

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2007/08/30 10:25
イタリア・オペラ史(120)「ラ・ファボリータ」は聖談?
スペインを舞台としたナポリ・オペラは珍しいと私は思います。政治的に近いから差しさわりが多いのかもしれません。スペインは宗教的な国だし、そこを舞台としてもつまらない話しになル筈ですが、ドニゼッテイはあえて挑戦しました。その前に「ポリウード」という聖人を扱ったオペラを書きましたが、ナポリの検閲官が「恐れ多い話しを下賎なオペラで扱うな」と禁止しました。これは「殉職者」としてフランス語でパリで発表されます(1840年4月)。「ラ・ファボリータ」もフランス語で先ず発表され、後にイタリア語に直されます。「ポ... ...続きを見る

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2007/08/26 19:11
イタリア・オペラ史(118)「ロベルト・デブリュー」愛ゆえの処刑
&gt; 晩年のドニゼッティ自画像  「アンナ・ボレーナ」「マリア・スチュアルダ」とともに女王3部作と呼ばれているものです。そのうち二つが女王エリザベート1世の話し。彼女は1600年ごろの女王、施政者としてに力量とともに色恋沙汰でも天下に名を知らしめました。ロッシーニにも「女王エリザベッタ」という名作がおりますが、これは同じ女王を扱っています。 女王は恋が意のままにならぬと人を殺しさえします。古典派ロッシーニでは女王の格調が維持されていますが、ロマン派ドニゼッティになると情念が作品にこもるの... ...続きを見る

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2007/08/20 14:38
イタリア・オペラ史(119)「連隊の娘」パリ転居
悲しい思いや不誠実に出会うと、そこから消えてしまいたくなるのは誰も同じでしょう。ドニゼッティは妻子の死に加え、親しい歌手ヌリのために書いたオペラの検閲と不許可、さらにはナポリとミラノの音楽院の学長就任への不誠実な対応など、嫌になる出来事が重なって、1838年10月9日ナポリの家をそのままにして、船で、「パリへ散歩」(彼の言葉)にでてしまいます。パリとはと思いますが、大分前から熱心な誘いを受けていたし、ネリというフランス語の教師がいた野を思うと不自然ではありません。 パリでの第一作が「連隊の娘」... ...続きを見る

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2007/08/07 21:23
イタリア・オペラ史(117)「ピーア・デ・トロメイ」
1260年、中世イタリア・トスカーナの悲しい小さな話です。フィレンツェの南、美しい都市シェーナでおきた話。党派間の争いに巻き込まれた貞淑な妻の悲劇。 ...続きを見る

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2007/08/05 22:37
イタリア・オペラ史(116)狂乱の代表「ランメルモールのルチア」
ネットの衛星写真を穴のあくほど見つめる。スコットランドの南東、イングランドと国境近くにコックバーンズパスという都市がある。そこから西南西に50キロ、ランマームーア 丘陵が続く。キャスル・パーク・ゴルフ・コースの見えるあたり、その南に広がる台地が、ランメルムアー丘陵だろう。昔もキャスル・ガーデンという名があった。しかし写真にキャスルは見あたらない。 列車でロンドンから東海岸沿いに走ると、うんざりするほど続く草原はこの当たりで岩山となり、木が生えてくる。うっそうとした森林というほどではない。 こ... ...続きを見る

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2007/08/02 18:15
イタリア・オペラ史(115)「マリン・ファリエーロ」(総統の革命)
ローマの1000年王国は有名ですが、ヴェネチアも500から1900年まで共和国を築きます。その半ば1355年の実話で、総統が貴族社会の腐敗を嘆き、革命を意図するが裏切られ、処刑される史実です。バイロン(1828年作)の戯曲をデラヴィーニェが翻案し、オペラの台本としたのは最終的にルッフィーニです。 ...続きを見る

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2007/07/29 22:59
イタリア・オペラ史(114)女王の断首刑「マリーア・ストゥアルダ」
  ナポリ サンカルロ歌劇場 イングランドとスコットランドは地続きです。今はスコットランドの首都エジンバラとロンドンは特急でつながっています。しかし二つの国は民族的にも違うから、一緒になるには長い年月が必要でした。それにイングランドは昔ローマに占領され、文明が高いとの自負があります。15〜16世紀は争いの最中でした。このオペラはその頃のはなしで、二人の女王の争いを描いています。 「舞台は1587年のイギリス。イギリス王エリザベッタはフランス王からの結婚申し込みに悩む。幽閉しているスコッ... ...続きを見る

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2007/07/26 09:41
イタリア・オペラ史(113)妖艶な后「ルクレチア・ボルジア」
ボルジアは法王の一族です。父アレクサンドル6世は一世を風靡した大法王でした。彼が人妻ヴァノッァと恋をし、産んだ4人の子供の3番目がルクレチア1480年生です。ヴァノッサの子供は皆政争の具となりました。 ルクレチアは13歳のとき、ナポリと関係があるペーザロ伯爵スフォルツァと結婚します。華やかな宴とは裏腹に、花嫁の生活は前日までとかわらず、世に「白い結婚」と呼ばれます。結婚の必要がなくなったとき、二人は別れさせられます。ルクレチア16歳の年で、「ルクレチアとの結婚は、夫の不能力によって実際には遂行... ...続きを見る

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2007/07/22 16:10
イタリア・オペラ史(112)「愛の妙薬」(ドニゼッティの惚れ薬)
バスク地方の話し。恋を誘う媚薬の話は沢山ありますが、これほど微笑ましいオペラはないし、作中に出てくる「トリスタンとイゾルデ」も媚薬の話です.。当時ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は未だ出来ていません。ドニゼッティは誰にもかけない優れたブッファを書く才能をもっているらしく、晩年にも「ドン・パスクワーレ」を書いています。 ...続きを見る

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2007/07/18 21:28
イタリア・オペラ(111)「アンナ・ボレーナ」(ドニゼッティ)
ガエダーノ・ドニゼッティ(1797〜1848)はイタリア北部のベルガモで11月29日に生まれました。正しくいうと、そこは当時オーストリア領でした。彼が生まれた年、ベルガモ共和国が3月〜7月にはあったのですが、その前はヴェネチア国、それ以後はチザルピーナ共和国となり、オーストリアの支配下にあったのです。騒然たる社会の貧しい家庭にガエダーノは生まれ、貧しい暮らし、、穴倉の生活と比喩されますが、そんなところに大天才が生まれました。その不思議さを私は思います。音楽は素質といわれ、素質は遺伝と考えられがち... ...続きを見る

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2007/07/14 11:08
イタリア・オペラ史(110)「清教徒」
「清教徒」はイギリスを思わせる名前。17世紀に議会政治が危機に瀕したとき、王党派に対抗した議会派が清教徒でした。だからこのオペラが宗教的或いは政治的かというと、殆んど関係はありません。「夢遊病の女」のように狂乱を売り物にするオペラです。政治的にはいい加減。 本来は専制的政治で議会を無視して政治を進める王に対し、強烈な反対をする議会派が王の権利を制約していく、激烈な対立があったのですが。政治に距離をおきたいベッリーニがまとも取り上げる筈もありません。 ...続きを見る

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2007/07/11 20:46
イタリア・オペラ(109)べッリーニの「ロメオとジュリエット」
本当の題名は「カプレーティ家とモンテッキ家」。シェクスピアの「ロメオとジュリエット」は原作がバンデロのかいた小説とされていますが、これはダ・ポルトの小説「ロメオとジュリエット」に由来しているそうです。だから違う話であって当然です。前に「オテロ」の話しにでましたが、当時イタリアはシェクスピアーに日本程の知名度がなかったから、同名異話がよくあります。 ...続きを見る

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2007/07/07 09:49
イタリア・オペラ(108)「夢遊病の女」(ベッリーニ作)
若い美人が意識を失ってさすらう、という姿は魅力的ではありませんか。このオペラでは野原で夜を明かしたり、婚約しているのに、他の男性の館のベットに入りこんでしまう夢遊女。幽霊が出るという噂は彼女が正体と分かって、そのため起こる混乱がオペラの主題です。ハッピーエンドになるからブッファのようにもとれますが・・・・。曲はショパンの夜想曲に例えられるほど、繊細です。 ...続きを見る

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2007/07/04 09:39
イタリア・オペラ(107)傑作、「ノルマ」(ベッリーニ)
巫女がオペラの主役に登場してくるのは、余りなかったことでしょう。古代の話しでは神話とか英雄が普通でした。巫女はヨーロッパの主流ではない、ケルト人を連想させます。神秘の世界です。べりリーニはオペラの中に非日常的な世界を入れました。それは深い森から生まれたドイツのロマン派と似た世界と私は思います。 ...続きを見る

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2007/06/30 09:54
イタリア・オペラ(106)[ロッシーニのためのミサ曲」
&gt;ロッシーニは彼の天才と人柄の良さで多くの人に尊敬されていました。彼の死は大変遅くきました。1868年(76歳)でした。 「ロッシーニのことを知らせてくださって感謝しています。彼とはそれほど親しかったわけではありませんが、私もまた、この偉大な芸術家の死を残念に思っています。私は弔辞の全てに目を通しました。ペランのものが最上で、トーマスのが最低です。評価が間違っているうえに、余りにも狭いのです。芸術の境界はもっとゆるやかなものです。いや境界などありませんね。小さな歌謡でも、インスピレーショ... ...続きを見る

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2007/06/23 08:52
イタリア・オペラ(105)ロッシーニ,自演のオペラ
ロッシーニはモーツアルトの死の翌年1792年に生まれ、1868年に死にます。オペラをやめたのは結果として1829年(37歳)でした。彼はそれで隠居と考えたかもしれませんが、人生としてみると、以後の方が波乱万丈で、彼の晩年は自演のオペラのようです。 1830 年イタリア座の仕事はありましたが、契約相手のシャルル10世が七月革命で失脚し、彼との約束がパーになりそうになった。そこで新しい皇帝ルイ・フィリップを相手どって訴訟。 1836年裁判で年金を確保してから、彼は年金生活に入りますが、そこで目立... ...続きを見る

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2007/06/20 09:04
イタリア・オペラ(104 )「ウイリアム・テル」
小学校の運動会の徒競走で、昔は必ずかかった「行進曲」はウイリアムテルの序曲です。序曲は「夜明け」「嵐」「牧歌」「スイス独立軍の行進」(上記行進曲)です。これらがオペラから全くとられていないのも興味があります。3時間半(208分)もかかる名曲です。 話しはスイスの独立に絡む話しで、テルが子供の頭にリンゴを載せ、弓で射落とすよう悪代官に命じられるのがクライマックスです。原作はシラーの「ウイルヘルム・テル(1804)」です。イタリア語は「グリエルモ・テル」。話しを読んでいると、如何にもスイス独立の志... ...続きを見る

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2007/06/18 14:07
イタリア・オペラ史(103 )改作ブッファ「オリー伯爵」
しゃれているとはこういう「オリー伯爵」のようなオペラのことをいうのでしょう。ロッシーニの一番有名なオペラ「セビリアの理髪師」と比べて何んとしゃれていることでしょう。音楽がしゃれているし、筋も垢抜けしています。 「1200年のころのフランス、十字軍という当時流行りの宗教運動、聖地イエルサレムをイスラムから奪い返す運動が盛んで、男どもはみんな故郷を離れる。実際は必ずしも戦争に行くだけでなく、途中で出会うスリルを楽しむこともある。こうなると、故郷に残される女たちは男のいない、亭主のいない村で暮らすこ... ...続きを見る

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2007/06/08 11:35
イタリア・オペラ(102)フランス風オペラ「コリントの攻城」
フランスのオペラはイタリアとは違うし、社会的地位もイタリアのオペラほどではありませんでしたが、何せパリは当時文化の中心で、ロッシーニはそこのオペラを仕切っていましたから、フランス人にオペラの素晴らしさを普及しようと意気ごんだのは当然でしょう。最初の「ランスへの旅」はシャルル10世戴冠式目当てのいわば際物、次の「コリントの攻城」が本格的な作品です。 「コリントの攻城」は新作ではなく少し前の「マホメット2世」(小文イタリアオペラ(99))の改作ですが、全く新しいオペラのように感じられます。序曲から... ...続きを見る

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2007/06/08 09:34
イタリア・オペラ(101)「ランスへの旅」
これはフランスのロッシーニ作品の最初のもの,1825年パリ初演、フランス語で書かれたオペラブッフォで、「戴冠式を見に行こう」というコマーシャル・ソングのようなものです。ロッシーニもその心算だったから、上演が終わると、解体して、半分くらいは次のオペラ「オリー伯爵」に使ったほどですから長年年無視されてきましたが、最近楽譜の完全復元がなってみたら、オペラとして傑作で上演されるようになりました。来年1月にはゲルギエフが東京でのキーロフオペラ公演でやります。 ...続きを見る

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2007/06/06 09:11
イタリア・オペラ史(100)3大セリア「セミラーミデ」
偶然だが、この名作が拙文イタリア・オペラの100回目にあたるのを嬉しく思います。「ホッペアの戴冠」(モンテベルディ)「オテロ」(ヴェルディ)それに「セミラーミデ」がイタリア・オペラ史で三大セリアという人が多いからです。 「セミラーミデ」は1822年から23年にかけて作曲されたもので初演はヴェネチアのフェニーチェ座です(1823年2月)。セミラーミデは妖艶な女王の名で、この役をコルブランが歌いました。コルブラン嬢は、ナポリの劇場支配人バルパイヤの恋人でしたが、ロッシーニがナポリで活躍を始めると、... ...続きを見る

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2007/06/02 15:09
イタリア・オペラ史(99)「マホメット2世」
1820年の作で、英雄的メロドラマと、ロッシーニは呼んでいます。ロッシーニは同じオペラを改作し、1826年パリで、「コリントの攻城」の名で発表していますが、私の見たDVDは1820年作のものを手直ししたものです。 「コリントに近いネグロポンテのヴェニスの植民地にあるパオロ・エリッセの城内で、作戦会議が開かれ、マホメット2世の攻撃への対策を立てているが、隊長カルボを中心とする徹底抗戦派の意見が大勢をしめる。会議後カルボは城主エリッソに娘パミーラとの結婚を求め、了解をうる。父は娘にその旨を強く伝え... ...続きを見る

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2007/05/30 18:38
イタリア・オペラ(98)死をかけた証言が光る「ビアンカとファリエーロ」
前作「湖上の美人」が1819年10月14日にナポリのサン・カルロ劇場で初演され、当日は散々やじり飛ばされ(翌日は好評)、ロッシーニは逃げ出すようにミラノに向かいました。ミラノではこのオペラの初演が待っていたからです。初演は12月26日にスカラ座です。 「ピアンカとファリエーロ」は「ドラマ」と、ロッシーニは名づけています。 ヴェネチア(ヴェニス)17世紀の出来事で、シェクスピアー劇の翻案とされてます。 「二人は恋人です。ビアンカ(ソプラノ)が家柄がいい。この一族は相続の問題で親戚同士がいがみ... ...続きを見る

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2007/05/26 10:10
イタリア・オペラ史(97)ロマンス「湖上の美人」
オペラの舞台はスコットランドです。スコットランドはイングランドと陸続きです。イングランドはローマ時代、ハドリアヌスの砦までローマ領だったので、その北にあるスコットランドは未開の地として残されたと普通思われています。現在のスコットランドとイングランドの国境はこの砦跡よりもう少し北にあります。前作のオペラ「エリザベッタ、イギリスの女王」では彼女の敵はスコットランドの女王マリー・スチュアルダでした。イギリス人でなくとも、当時のヨーロッパ人のイメージは、スコットランドは、神秘の国、野蛮が支配する国です。... ...続きを見る

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2007/05/23 10:09
イタリア・オペラ史(96)ギリシャ悲劇「エルミオーネ」
ナポリ時代のロッシーニの頭はどうなっていたか、異常に多様な時代の原作を選択しています。前回の「モゼ」が紀元前15世紀の話とされているのに、前々回の「アルミーダ」が紀元後11世紀の話、今回の「エルミオーネ」はギリシャ時代、ローマ以前の話だから、紀元前5世紀の話です。(初演は1819年)。これらを彼はドラマと呼んでも、オペラとしてはセリアに入る、硬いです。それにナポリへくる数年前のボローニア時代に書いた、ブッファは彼の作品から殆んど消えてしまいました。興行主のバルバイアのの意向だったとは思えません。... ...続きを見る

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2007/05/19 09:27
イタリア・オペラ(95)海に道を作る「エジプトのモゼ」(モゼとファラオ)
神聖悲劇とロッシーニが呼んでいる「エジプトのモゼ」。1818年ナポリのサンカルロ劇場で上演されました。彼は未婚の26歳です。ロッシーニには珍しく宗教がオペラの題材になっています。お客は多分面白くなかったでしょう。1919年に手が加えられ、パリで上演されて少し評判を回復しました。それが大改良され「モゼ」または「モゼとファラオン」の名で1927年パリで再演され、やっと歴史に残る名作になりました。私が見たDVDはこれです。壮大なグランド・オペラになっています。 ...続きを見る

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2007/05/16 10:31
イタリア・オペラ史(94)オペラ「アルミーダ」では魔法使いがでる
ロッシーニはナポリのために年2つのオペラを書く契約をし、[オテロ」を1916年の12月にナポリのフォンド劇場で上演しました。 前前回紹介したのは「シンデレラ」(1917年1月、ローマ)、前回は「泥棒かささぎ」(同年5月ミラノ)でした。彼はローマからミラノへと旅をしました。ナポリのサン・カルロ劇場が1916年2月火事でやけ、復興が1917年1月だったせいでしょう。 さてそう契約を無視もできないから、ロッシーニはナポリでの仕事にもどらねばなりません。出来た作品は奇妙なものです。魔法使いがでるオペ... ...続きを見る

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2007/05/12 09:57
イタリア・オペラ史(93)傑作「泥棒かささぎ」は実話
このロッシーニの曲は序曲が大変有名、コンサートで、この次がベートーヴェンのコンチェルトがやられることが多いのでで、昔から聞いていましたが、オペラは見しかも内容が本当とは。今度文を書くために調べて初めて分かったのです。「匙一つで絞首刑になった」と言う話がネタ。台本ではハッピーエンドですが。 「格別に色々な楽器が出てくる序曲で、オペラの主役はニネッタ、彼女には恋人ジャネッタがいる。ジャンネッタは除隊してきて、二人は幸福の絶頂にある。ところがジャネッタの両親は時々、銀のスプーンが無くなるのをいぶかっ... ...続きを見る

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2007/05/09 09:14
イタリア・オペラ史(91)ロッシーニの「オテロ」(改稿)
ヴェルデイのオペラが有名になる前は、「オテロ」というとロッシーニの「オテロ」を指したそうです。もっとも有名なのはシェクスピアーの[オテロ」です。 ...続きを見る

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2007/05/06 08:57
イタリア・オペラ史(92)ロッシーニは「シンデレラ」
[シンデレラ」は「冗談のメロドラマ(朗読劇)」と名がついています。前作「オテロ」は「ドラマ」と名づけていますが。こういう違いはロッシーニの製作上の気持ちを表しているように私は思いますが、普通殆んど気にされていません。ブッファとセリアに分けてしまうだけです。シンデレラ劇は有名な話のオペラ版です。 「イタリア語でチェレンチトラと呼ばれる灰かぶり娘は継父と異母姉によって虐め抜かれています。母が彼女を連れて子持ちの父に入籍そして遺産を残して死んだためです。遺産は父が横領しています。そこへ王子の結婚話が... ...続きを見る

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2007/05/03 09:33
イタリア・オペラ史(90)「セビリアの理髪師」と「新聞」
興行師パルパイヤとの約束で、ナポリ用のオペラを二つかかなければなりません。出来たのは1816用として[新聞」と[オテロ」でした。しかし皮肉なことに今も彼の名を不滅にしているのはローマのアルジェンチーナ劇場のために書いた「セビリアの理髪師」です。彼は1816 年2月20日にローマで初演しました。先輩で生きていたパイジェルロと同じ題材ですから、彼は色々と気を使ってパイジェルロ派の反感を買わないよう努力しました。例えば題名は「アルマビーバ伯爵・・・・無用の用心」としたのです。初日こそ、色々な邪魔も入っ... ...続きを見る

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2007/04/28 21:51
イタリア・オペラ史(89)エリザベッタ、イングランド女王
フランス革命は1789年でしたが、ナポレオンがイタリア遠征をしたのは第一回がジョアキーノ6歳(1797年)のときで、これが田舎町ぺーザロの平和を乱し、フランス軍に協力した父が後日教皇政府復活でボローニアに転居を余儀なくされます。8歳のジョアキーノは後を追います。似た事態がナポレオン体制の復活した1815年に起きます。フランス軍がボローニアに侵攻し、イタリアの独立と統一を主張すると、同地の愛国者たちはジョアキーノに「独立賛歌」の作曲を依頼、彼の作曲した「起てイタリア、今や時満てり」は熱狂的な喝采を... ...続きを見る

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2007/04/25 20:49
イタリア・オペラ史(88)イタリアのトルコ人
ロッシーニがどんな人柄か。作品がとてもユニークだから私には興味があります。彼は特に特定の台本作家と組んで仕事をしたわけでもない。その時その時の要求に応じたらしい。それでも彼の好みは作品のストーリーに反映していると私は思います。「アルジェのイタリア女」はヴェネチアからの注文で作り、イタリア女のしたたかさを音にのせていますが、今度はミラノからの注文で、ヴェネチアとは反対の話という要求で、似た倦怠期のイタリア女のしたい放題が男どもの連携プレイーが阻止される話をコミカルに描いています。題は「イタリアのト... ...続きを見る

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2007/04/21 20:44
イタリア・オペラ史(87)アルジェのイタリア女
傑作「タンクレーディ」を出したら、そのベネチアから次の作品が注文がきた。売れっ子ロッシーニの出発です。出来たオペラは「アルジェのイタリア女」。僅か3ヶ月後の初演です。 やはり、ロッシーニの本領はオペラ・ブッファにあるのでしょう。これが大変な当たりとなり、次のオペラ「イタリアのトルコ人」を生みます。 「アルジェのイタリア女」の話はこうです。囚われた恋人リンドーロを探しにアルジェに来たイタリア女イザベッラは船が難破したため、太守ムスタッファに捕まってしまう。ムスタッファはひと目みて彼女に惚れてし... ...続きを見る

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2007/04/19 14:30
イタリア・オペラ史(86)タンクレーディ
イタリア・オペラが1600年フェニーチェでギリシャ悲劇の復活を夢見たグループ・カメラータの研究から発展したのは何度も触れました。200年たったロッシーニの時代にも、その夢は現実の問題でした。ファルサ(笑劇)だけを作った作曲家なら、今も音楽祭など開いてもらえないでしょう。モーツアルトが死の年、オペラ・セリア「ティートの慈悲」を書いたように、それから20年たった1813年、ロッシーニもセリア「タンクレーディ」を書きました。ヴェネチアからの依頼です。 原作はタッソーとヴォルテールの作品です。ファルサ... ...続きを見る

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2007/04/14 09:18
イタリア・オペラ史(85)絹のはしご
ジョアキーノ・ロッシーニは貧乏な家庭の子でしたから、早くからお金を稼ぐのを憶えました。いい音楽への素養を師マラルビから得たもののお金の必要があったのです。モーツアルトは父がやってくれたことを、ジョアッキーノは自分でやった、このことが彼の作品に強い影響を与えたと思っていいでしょう。つまり大衆受けが作品には必要でした。 両親とも家庭を留守にしての仕事が多かったのですが、彼は8歳(1800年)でボローニアに転居して、家族と暮らす喜びを味わいます。しかし1802年には又父の故郷、ルーゴに移り、歌手とし... ...続きを見る

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2007/04/08 07:47
イタリア・オペラ史(83)死の年のオペラ
死が近づくと、作風が変るのは普通です。ベートーヴェンの後期と呼ばれている弦楽四重奏曲、シューベルトの晩年のピアノソナタが良い例ですし、愛好家は特に晩年ということで愛します。私もその1人です。オペラ作曲家ではヴェルデイが長い中断のあと、最晩年に「オテロ」と「ファルスタッフ」を書きます。これらがそれまでの、[椿姫」や「ドンカカルロ」と大変違った作風で、私はなかなかなじめません。モーツアルトの二つのオペラ「魔笛」と「皇帝ティートスの慈悲」も晩年です。この二つは他のオペラと比べ評価や解釈が分かれています... ...続きを見る

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2007/04/07 10:29
イタリア・オペラ史(84)モーッアルトとロッシーニ
ロッシーニはモーツアルトが死んだ次の年1792年に生まれた天才でです。モーツアルトの像はどれもどれも魅力がうすく、音楽のイメージを落しますが、ロッシーニは似顔絵の似合う人です。2重顎で、出っ腹、誰も憎目ない容貌です。音楽もそっくりで、楽観的、人間味が感じられる作品を得意とします。このロッシーニ、日本では存外しられていませんが、大天才です。オペラに関心を持つ人なら、絶対忘れられません。本ブログの(35)から(45)にかけてロッシーニの話を書きましたが、書きたいことがまだあり、少し継ぎ足します。 ... ...続きを見る

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2007/04/07 10:28
イタリア・オペラ史(82)皇帝ティートは慈悲深かったか
私は幸い、昨年のザルツブルグ音楽祭で「皇帝ティートの慈悲」を聞くことができました。大指揮者アーノンクールの表情がみえ、彼が疲れていくのを感じ、はらはらしながらみていました。最後は今一と思いながらも、名演奏に酔いしれ、拍手を終えて外にでたときの、爽やかな感動は生涯の思い出になることでしょう。それはギリシャ悲劇を見たあとのようでした。 演出はクセイ、この二人は2003年にこの曲をザルツブルグでやっていますから、「フィガロの結婚」ほど話題に上りませんでしたが、昨年の2大名演(いずれもアーノンクール指... ...続きを見る

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2007/04/04 17:06
イタリア・オペラ史(81)皇帝ティートが与えた慈悲
この皇帝テイートスには同じ顔を人民に示したい、そんな傾向があります。慈悲深いというイメージを世間に維持したいのです。無理をします。そんな傾向が1人よがりと結びつくと話は複雑になります。「皇帝ティート」はこれをドラマ化しオペラです。台本は50年前にメタスタージオが書いたもので、真面目なオペラ(オペラ・セリア)です。 先ず筋を述べます。ティートは独身の皇帝で、蛮族の愛人があります。前皇帝の娘、主役の1人ヴィテリアは自分が皇后候補の筆頭と思っているだけに、この愛人を憎みます。皇帝は立場上蛮族の娘を... ...続きを見る

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2007/04/01 19:11
イタリア・オペラ史(80)「魔笛」での善玉と悪玉の交代
前回「魔笛」の筋を簡単に書いたとき、自分で変に思いました。前半では夜の女王は娘を奪われる、気の毒な役をしているのに、後半には悪役にされています。一つのオペラで、こんな変化がどうして起きたのだろうと。そもそもは王子に原因があるようです。 蛇で気を失う王子だから、女王の娘を助けにいったのに、反対に説得され、敵に入ってしまうのも無理じゃないかもしれません。でもこれじゃギャグにしかならないではありませんか。 余りにも有名で人気のあるオペラだから、普通は子供もみられる御伽話として扱われています。そして... ...続きを見る

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2007/03/29 23:35
イタリア・オペラ史(79)魔法の笛
モーツアルト最晩年のオペラは二つあります。魔法の笛(魔笛)はその一つ、これはブッファではなく、歌芝居で、ドイツ伝統のオペラです。 気の弱い王子タミーノが夜の女王の娘パミーナに絵姿で一目惚れし、救出を依頼され、敵地に乗り込むのですが、逆に篭絡され、娘とともに異教徒(キリスト教に対し)になってしまうというお話です。 王子が先ず会うのは3人の美女。大蛇に襲われていたところを助けられます。次がパパゲーノ。これは鳥刺しで生計を立てる、自然児という想定です。王子の家来になります。王子は良家の子息、パパゲ... ...続きを見る

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2007/03/25 22:08
イタリア・オペラ史(78)「女はみんなこうしたもの」は皇帝のアイデア?
「コジ・ファン・トッテ」が出来たのは1789年、何んとフランス革命の年です。全く屈託のない明るいオペラがこの年にできました。ここでは下層階級の反抗は話題になっていません。中味には「愛」という偉大な感情が悪ふざけの対象になっていますし、王の戦争がすぐ取りやめになったり、医師の仕事も嘲られています。タ・ポンテとモーツアルトにかかっては、すべての因習と混乱が喜劇の対象になってしまいます。しかし音楽は底抜けに明るいのです。 この作曲を依頼したのは皇帝ヨーゼフ2世ではないか、という話があります。彼は大ハ... ...続きを見る

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2007/03/22 11:38
イタリア・オペラ史(77)「女はみんなこうしたもの」
領主の初夜権「フィガロの結婚」、男性の飽くなき欲望「ドン・ジョバンニ」に対し、次のダ・ポンテとの共作は「コシ・ファン・トッテ(女はみんなこうしたもの)」、ここでは女性に共通にみられる、愛の普遍化が巧妙に扱われています。女の浮気というのは男の言い分。「貞淑でない」とは社会通念に反することでしょうが、女性には愛を特定の相手に限るだけでなく、普遍化する要求があるのは否めないようです。これを非道徳と断定し、オペラ「コシ」は20世紀に入るまで演奏されなかったようです。 「コジ・フアン・トゥッテ」の原作は... ...続きを見る

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2007/03/18 10:34
イタリア・オペラ史(76)ドンジョバンニは歌えない
ドン・ジョバンニは殆んど舞台にいますから、さぞかし歌っていると想像していました。印象的な歌には「手に手をとって」というツエルリーナを誘惑する魅惑的な2重唱があります。またエルビーラの召使いを誘惑するため、マンドリンを片手に歌うのもあるけれど、アリアというには簡単すぎます。少し長い「シャンパンの歌」という物凄く早口な歌がツエルリーナを誘惑するためのパーテイの最初にあります。歌らしいのはこれくらい、このオペラでは主役は歌わないんです。ではこのオペラは何で魅力的なのでしょうか。 わけはオペラを作るき... ...続きを見る

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2007/03/13 09:48
イタリア・オペラ史(75)ドン・ジョバンニとレポレロはホモ
騎士と従者といえば、厳然とした身分差がありました。オペラに出てくるドンジョバンニとレポレロにも上下関係があります。それなのに去年のザルツブルグの舞台では上下関係が感じられませんでした。両者は対等。演出のせいだと思います。これは今回初めての体験ではなく、ヴィデオでもみたことがあります。新しい解釈のせいでしょう。このことを少し考えます。 レポレという単語はウサギの意味があるそうです。従者にレポレロの名をつけたのは、ダ・ポンテとモーツアルト組です。その前にドン・ジョバンニを扱ったドラマでは、オペラを... ...続きを見る

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2007/03/09 20:50
イタリア・オペラ史(74)フィガロの演出と台本
(祝祭大劇場の舞台)(フィガロは改修なった小劇場ーモーツアルト劇場で上演された。) 「フィガロの結婚」が2月25日にハイビジョンで放映されました。ザルツブルグ音楽祭06のものです。違和感を感じられた方も多かったでしょうが、これが今のザルツブルグです。フィガロの結婚」では幕あきの舞台に見るのはベットが入るかどうかフィガロが測っているのが普通です。この舞台ではその気配が全くありませんでした。知らない人は何をしているかわからない筈です。おまけに日本人は会話を理解できないか、こんな演出ではチンプンカン... ...続きを見る

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2007/03/05 09:10
イタリア・オペラ史 (73)フィガロの結婚ー見ないと一生の損となるオペラ
オペラ史で燦然と輝く名作。これを知らない人は人として生まれた幸せを一つ損したと 私は思います。 「狂った一日」という副題がありますが、一日の出来事。主役が誰か分からないほど大事な役が7〜8人に割り振られています。普通の解説ではフィガロと結婚相手のスザンナ、それに結婚前に処女をいただこうとする、領主のアルマビーバ伯爵、これを知って悲しむ夫人のロジーナ、彼らに絡む妖精のようなケルビーノ。この5人。 結局夜には結婚式が挙げられ、スザンナの操は守られ、伯爵は夫人とよりをもどします。普通はフィガロが... ...続きを見る

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2007/03/03 12:04
イタリア・オペラ史(72)モーツアルトの結婚
天才だって結婚となると凡人と同じ。目が見えなくなるから、親ははらはら。当人はウイーン・デビューが順調だから、のっていたのだろう。 1781年4月に大嫌いな大司教と決別、丁度その頃、マンハイムで知り合いになったウエーバー家の娘たちとウィーンで再会する。ウェーバー家は父を失ったばかりだから、彼の義侠心も刺激された。手紙をみると、彼が妻となるコンスタンツエを選んだ経緯がわかる。これが悪妻だったというのはお決まりのストーリーだが、色々知るとそれほどじゃなかったかと私は思っている。 1781年12月1... ...続きを見る

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2007/02/28 12:52
イタリア・オペラ史(71)次のオペラ(後宮からの誘拐)はトルコ風
1780年頃トルコ風は、大変ヴイーンで流行ったそうです。パリ旅行のころにモーツアルトは既にトルコを話題にしたオペラ「ザイーデ」を作ろうと下書きをしていました。これは未完。彼がこれを下地に本格的にオペラ「後宮よりの誘拐」を書いたのはウィーンでした。「イドメネオ」のミュンヘン上演は1月29日、ヴィーンへの出発は3月12日です。 このオペラは序曲からトルコ風です。大変賑やかにスタートします。弦の合奏とチンパニー、シンバル、笛、トライアングルとが交互に現れ、メロデイが、リズムを強調する楽器の騒音でけさ... ...続きを見る

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2007/02/25 08:09
イタリア・オペラ史(70)モーツアルトの恋
今,日本人ツアーでザルツブルグからミュンヘンへいくバスはおおい。ザルツブルグにも国際空港はあるけれど、便数が少ないから、日本へはミュンヘン空港がよく使われていいる。バスで1時間半ほど。ザルツブルグからウィーンは飛行機で1時間弱、バスでも5時間程度。これも日本人観光客愛用の道です。 この三つの都市を1780年頃、モーツアルトは往復しました。この頃の作品はケッヘル番号(kで示す)でいうと300前後の傑作群にあたります。(トルコ行進曲はk331) モーツアルトは1777年有名なマンハイム・パリ旅行... ...続きを見る

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2007/02/21 21:01
イタリア・オペラ史(69)モーツアルトの「イドメネオ」
モーツアルトがオペラのイタリア語にどんな接し方をしたのか、面白い例があります。「イドメネオ」という傑作セリアでの話しです。 筋は簡単で、トロイ戦争、話は有名で、大きな木馬が城門の外に置かれていたのを、トロイの人が好奇心から城の中に運び入れ、中に隠れていたギリシャ勇士が踊りでて中から城門をあけ、軍隊を内部にいれた、オデッセイで有名なトロイ戦争に関係したオペラです。 トロイに勝ったギリシャの将軍の1人がイドメネオ。彼は帰国の途中、海神ネプチューンの怒りを買い、助かりたいため、ネプチューンに頼み、... ...続きを見る

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2007/02/18 10:01
イタリア・オペラ(68)モーツアルトの母国語は?
私が今不思議に思っているのはモーツアルトのイタリア語のオペラがイタリアで人気がなかったことだ。当然注目されていいオペラセリア2曲、「テイトの慈悲」や「イドメネオ」が駄目、独欧で人気のドンジョバンニ」「フィガロの結婚」もイタリアでは駄目。それが不思議で、何とか説明をつけたい。 オペラの原型は何度も話にでた。言葉に感情がこもるなどで変形して歌になる。筋を説明するために、レシタチーボと呼ばれる語りはのこるが。こうして出来た歌だけで、劇を作ったのがイタリア・オペラだ。言葉はイタリア語かドイツ語かという... ...続きを見る

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2007/02/06 11:31
イタリア・オペラ(67改訂)ドンジョバンニの作者って誰
勿論モーツアルト、イタリア語オペラを書いたが彼はザルツブルグ人である。イタリア人ではないし、オーストリア人でもない。彼が生きていた時代、ザルツブルグは独立国だった。国という言葉はないが、法王の直轄領地。オーストリアの盟主、ハプスブルグ家も手が出せない強国だった。特産物である岩塩の取引を使って、国は金持ちになった。城壁とザルツアッハ川に囲まれた土地が敵の侵略を防いだ。行ってみれば小さな小さな国である(ザルツはドイツ語の塩) 彼の言葉はザルツブルグ語。大きく言えばドイツ語だったろう。彼のイタリア語... ...続きを見る

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2007/02/02 21:28
イタリア・オペラ(66)ドン・ジョバンニは死後も上演されたか
モーツアルトは父の教えで、イタリア語でオペラを書く訓練をした。当時流行り始めた、オペラ・ブッフォという分野で傑作を書いたし、伝統的な真面目なオペラ、セリアも書いた。 彼はさぞかしイタリアで名声をはくしただろうと想像するが、それは大違い、イタリアオペラを代表するセリアは7曲書いているが、今イタリアを代表するスカラ座で演奏されたのは「ミトリダーテ」「ルチオ・シルラ」だけ、以後のオペラはイタリアでは無視された。「イドメネオ」はミュンヘンで、「テイトの慈悲」はフラハで初演された。 3つの大傑作はどう... ...続きを見る

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2007/01/30 17:45
イタリア・オペラ史(65)ドンジョバンニはイタリアオペラと少し違うんじゃない?
イタリア・オペラではセリアではオペラ歌手は舞台で何時もお客に向かってうたっているのが特色だと思う。体がお客に向かっているだけでなく、歌の内容も、お客に理解してもらえるように歌っている。「私は貴方を愛しています。」と歌ってもそのことは「貴方に」だけでなくお客にも訴えることが大事である。だから表現の仕方も少し変える。下手だが、例えば「貴女を1年前に見てから一日も頭から離れたことがありません。」こういったら愛していることと同じだろう。 それがイタリア・オペラというドラマの品性維持に役立っている。古典... ...続きを見る

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2007/01/27 18:32
イタリア・オペラ史(64)ドン・ジョバンニは盗作
伝統的なイタリア・オペラはオペラ・セリア。セリアを書かねば一人前ではない。真面目なオペラ、一定の規則が代々の作曲家の努力で決められ、ギリシャ悲劇の再現へ向けて努力する。オペラ・セリア。この作曲家の仲間に入りたいとモーツアルトも努力した。「イドメネオ」というオペラはその一つ。傑作である。そのあと七年たってから「ドン・ジョバンニ」が出来た。 彼は1776年に「フィガロの結婚」をもってプラハにいった。その成功で、次のオペラをプラハの劇団座長ボンデイーニに頼まれた。殿様が見栄を切って頼むセリアとは成立... ...続きを見る

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2007/01/24 09:50
イタリア・オペラ史(63)「ドンジョバンニ」の人気
ウィーンにブルク劇場というのが当時ありました。そこで1783年以後1791年の死の年までに上演されたモーツアルトの作品がわかっています。一番は「フィガロの結婚」48回、「ドン・ジョバンニ」15回、「コシ・ファン・トッテ」10回、「後宮からの誘拐」7回です。これは予想できる人気です。では他の作曲家を含めモーツアルトの人気はどうか。宮廷劇場での演奏回数は1781〜1791で、パいジェルロ294回、サリエーリ185回、4位チマローザ124回、モーツアルトは105回で7位です。今はモーツアルト以外の作品... ...続きを見る

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2007/01/21 20:45
イタリア・オペラ(62)ドン・ジョバンニ(新種のオペラ)
ロッシーニの前にイタリア・オペラを書いたのはモーツアルト。彼は殆んどのオペラをイタリア語で書きました。彼はザルツブルグ人ですから独欧系です。イタリア語は日常語ではありません。オペラはイタリアで発生し、イタリア語でなければオペラと認められません。18世紀当時、オペラが書けなければ一人前の音楽家と認められませんでしたから、モーツアルトも父の教えで、小さいときから、イタリア語のオペラを書く勉強をしましたし、父もオペラの注文を王侯貴族からとる努力をしたのです。 最初のオペラは15歳のときで、「ポンド王... ...続きを見る

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2007/01/16 20:38
イタリア・オペラ(61)セミラーミデ
ロッシーニのオペラが日本では見難いという話のついでに、オペラの値段の話をしてしまったけれど、オペラは費用が高いから、お客が相当数いないと、上演できない。だから名作でもファン層が薄い日本では見られない、という文化的には情けない状態になっています。何とか安くならないか、DVDについてアイデアまで書いてしまった理由です。 今日紹介しようと思った傑作「セミラーミデ」もイタリア・オペラの歴史では無視できないのに、見られない、私が知っているのは10年ほど前、NHKがメトロポリタン・オペラのをを放映したもの... ...続きを見る

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2007/01/12 10:19
イタリア・オペラ(60)字幕だけのDVD
オペラのDVDは高い。時には3000円ということもあるが、大抵は5000〜6000円、人気のあるのだと7000円〜8000円はつく。輸入版なら2〜3000円やすいが、字幕に日本語は殆んどついていない。英、独、仏、伊、スペイン、チャイナが字幕というのが多い。 イタリア語で歌っているのを英語の字幕で見ていると頭がこんがらかることもあるが、少なくとも今は筋が何処まで進んでいるかはわかるから、字幕がないよりいい。 CDでテキストを見ながら聞いていると、歌っているところと、日本語の訳とが段々合わなくな... ...続きを見る

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2006/12/31 21:38
イタリア・オペラ(59)オペラの品格
ロッシーニのオペラは真面目なんだ。20世紀にはいる頃のオペラだって真面目だ。オペラは真面目なものだ。だけど、真面目さが違う。ロッシーニの時代の真面目さは、イタリアでオペラが始まった1600年頃の真面目さと似ている。これがわかることがイタリア・オペラを楽しむ上でとっても大事だ。20世紀にはいる頃のオペラ、ヴェルデイやプッチーニの真面目さと全く違うから、彼らを基準にすると、ロッシーニのオペラは馬鹿らしく見える。でも一度、真面目さの違いがわかると、オペラを楽しむ範囲が急に広がる。 このことがオペラの... ...続きを見る

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2006/12/27 17:31
イタリア・オペラ(58)最後が変われば悲劇が喜劇に
ロッシーニの真面目なオペラは日本では、見るのが難しい。dvdさえ、手に入り難い情況です。世界でロッシーニの再評価が始まったのは30年も前なのに、日本人の意識はそこまでにないからでしょう。でも一度見れば病みつきになるほど、美しい。 ロッシーニは声の美しさを大事にするし、しかも伝統的なオペラを書いた。格式があるオペラを大事にした人でもあります。dvd屋でみるのはギオーム・テル(ウイリアム・テル)ぐらい。これは例の子供の頭に載せたリンゴを射落とすよう命令された、テルの話ですが、4時間はかかるから、d... ...続きを見る

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2006/12/15 20:49
イタリア・オペラ(57)オペラをみる方法と値段?
オペラは東京なら見に行ける。地方都市だと、i以前は東欧圏のオペラ劇場が行ったし、今はイタリア田舎都市もこれに加わり、市民オペラなどもある。でも大抵は同じような有名曲ばからイタリア・オペラの端にふれたにすぎない。大勢の人を集めるにはそういうことになるのだろう。 東京にいる私はどうしているか、説明する。 お金をかけない方法は他人にテープやdvdを借りるのがいいが、自分だけではどうするか。これもお金をかけない順序だと、NHKBS2を録画すること。毎週土曜の朝0時30分からクラシックの放送がある。大... ...続きを見る

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2006/12/14 10:30
イタリア・オペラ史(56)無益な用心
一昨日ロッシーニの「セビリアの理髪師(無益な用心)」を新国立劇場でみてきた。 続けて読んでくださっている人はくどいと思われるだろうが、またロッシーニに戻る。二カ月も彼の周りに話題が停滞している。活動期が20年ずれているが、モーツアルトも天才ならこの人も天才、シンホニーやソナタではなく、オペラが中心のせいか、日本では軽く見られているから、弁明したい気持になる。 モーツアルトが死んで、ロッシーニがデビュウするまで、20年ある。この20年はフランス革命があり、ナポレオンが皇帝になって、周囲の国に攻... ...続きを見る

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2006/12/12 12:05
イタリア・オペラ史(55)演歌調のオペラ
美声願望3人のうち、ロッシーニは少し違っている。私の好みではロッシーニは別にしたいけど、世の中は3人をまとめる。私がいいたい違いは、簡単にいうと、感情の直接表現をロッシーニは避けることだ。これは伝統的オペラの作り方に従ったやりかたである。露骨な言い方は品性を損なうと伝統オペラでは思っている。感情を歌に込めると極端な場合、演歌調になる。ロッシーニはそうしない。美声といっても純粋美声といいたい。 残りの二人は美声の中に感情がこもる。これはオペラでのロマン派登場だ。 交響曲でも、モーツアルトと比べ... ...続きを見る

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2006/12/09 21:27
イタリア・オペラ史(54)筋があるのがオペラ
ベートーヴェンは1770年誕生、ロッシーニやドニゼッテイ、ベルリーニは1792,97,01年の誕生だ。ベートーヴェンは晩生で、30歳過ぎてから世に出たから早世の彼らと活躍した時期はあまり違わない。彼はオペラを1曲し書かなかったけど、ロッシーニは70曲も書いたが、交響曲は2、ベートーヴェンは9。これら以外の分野でも沢山作曲しているのは4人とも同じ。 この時代、沢山の楽器を使う音楽がはやりだしたから、オペラの伴奏をする管や弦は交響曲の楽器数と余り違わない。ではオペラと交響曲とはどう違うのだろうか。... ...続きを見る

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2006/12/07 20:46
イタリア・オペラ(53)オペラってみんな違うんだ
ここ数回違う作曲家をとりあげた。ロッシーニ、ベルリーニ、ドニゼッテイ。誰だって好き嫌いはある。オペラって大変違いが激しいから、嫌いなのを見ても面白くない。ということは「何処かに好きなのが隠れている」ということにもなる。所詮歌芝居。この領域で大変な努力を人類ははらったから、そういえるのだ。 「オペラ嫌い」なんて食わず嫌いに過ぎない、と私は思う。実は私は40年もクラシックを聞いてきたのに、オペラが好きになったのはこの10年だから、食わず嫌いの代表みたいなもんだ。そこで色々な作曲家の特色を年代順に説... ...続きを見る

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2006/12/05 21:05
イタリア・オペラ史(52)ほれさせ薬ってあるかな
気のない女性に関心をもたせる、これは古今東西、特に男性の願いだし、そんな薬がないかとの夢を皆持つ。片思い患者の妙薬である。薬で恋を誘引するのは、医学では努力していないようだし、媚薬などあるとしても、実態は知らない。オペラではなかなかの課題で、傑作は幾つかあるが、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」それに今話題としているドニゼッテイの「愛の妙薬」が大傑作だ。 女を狂わせ美声の歌を歌わせる天才だった彼が、女の恋心をかきたてる妙薬で傑作を作れたのは場違いだが、「愛の妙薬」というオペラは大傑作だ。 今... ...続きを見る

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2006/12/03 10:34
イタリア・オペラ史(51)狂乱の本命、ドニゼッティ
来年早々ベルガモのドニゼッテイ歌劇場がきて沢山ドニゼッテイを聞かせる。ドニゼッテイは女性を狂わせた作曲家の本命だ。前回まで三回書いたベルリーニとほぼ同時期に活躍した人だが、長生きした。天才は早熟早世とすれば、天才ベルリーニの方が歴史を早く歩んだように私は思う。彼には次のベルデイの影が感じられる。ドニゼッテイは正にこの時代を代表する作曲家といえる。そして狂った女性の歌を聴かせる。 有名なのは「ランメルモールのルチア」狂乱の場である。ルチアは恋人エドガルドと兄の策略で別れさせられる。どういう方法か... ...続きを見る

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2006/12/02 18:03
イタリア・オペラ史(50)美声だけのオペラ(清教徒)
オペラはアリア(歌のこと)をつなげただけではない。レシタチーボ(語り)もあって、状況説明をしていることは何度か書いたけど、時代によってこのバランスが随分違う。ベッリーニのオペラは、モーツアルトやロッシーニに比べ、歌の割合が多いように私は思う(特に「清教徒」)。これは言葉がわからない日本人には聞いていて有利。 どんなオペラも今は字幕つき、喋ったり歌ったりしている内容が洋画のように字でわかる。映像でも歌劇場でも。ただ喋りは早く字幕が変わって読みにくいし、意味がわかっても面白くない。歌はこれに比べ、... ...続きを見る

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2006/11/28 12:27
イタリアオペラ史(49)適性,マリア・カラス
アリア・カラスという、1世紀は風靡しそうな才能が現れたのは不思議でならない。美声というのは天性だけど、自分の声がオペラの歴史の中でどの時代の作品に一番合っているか、そんなことを考えたという方が天才の仕事だと私には思える。 ヨーロッパの歴史は積み重ねだとは言っても、人気は一時期、ほんの一〇年だろう。それが過ぎると忘れられてしまう。大人気作曲家ロッシーニだって、最近200年の間に殆んどの作品が忘れられた。「セビリアの理髪師」だけは200年間世間が忘れなかったそうだが。彼の作品が再評価されたのはここ... ...続きを見る

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2006/11/22 13:59
イタリアオペラ史(48)ドラマらしくなった
ロッシーニまでのオペラだって筋はあった。でも結論はわかっている昔話が多かった(セリア・オペラ)し、たわいのない、身分違いの結婚を扱うなど(オペラ・ブッファ)のコミックだった。ここにも新しい領域があったのを、ベッリーニが気がついた。これは余り言われていないけど、次に登場する大作曲家ヴェルデイのさきがけになる仕事をやった。 「ノルマ」という有名なオペラは見ているとベルデイかと間違う。ドラマらしい筋になっている。詳しくいうと、面倒になるから思い切って省略するが、話はこうだ。神に仕える巫女の長(ノルマ... ...続きを見る

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2006/11/20 18:30
イタリア・オペラ史(47)美声はいいね
ロッシーニの後に現れたベルリーニは困った。だって何処に行ってもロッシーニ、ロッシーニ。人気抜群で、オペラのノリがいい。ロッシーニは引退していても、劇場では生きている。それに打ち勝つ方法が何かないか。当時は未だ摸作中だったが、突破した第一号が前回の「夢遊病の女」(ゾンブレラということもある)だった。ここでは二つキイがあったと私は思う。一つはロマンチック、他は美声。つまり話しの筋をロマンチックにして、見合った声で美しくやろうというわけ。時代はフランス革命を越え、市民階級が夢を見だしていたのだ。前に話... ...続きを見る

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2006/11/18 18:19
喘息(53)バンコックではタンが切れる
今タイのバンコックにいます。体調はよくなかったけど、約束だから子供のところにきました。 タンが切れないのが問題で、東京では、 切ろうとセキがよくでました。そうすると、濃いたんが切れて、息が楽になってはいました。 バンコックにきて丸一日経ちました。目だってセキが減ったのは確かです。朝はタンが喉 にかかっていましたが、咳というほどでもなく、咳払いといったような軽いのをやると、喉が楽になったのです。これはシメタと思ったのは確かです。今は喉は快調です。 タンは喘息の一つとして固まると思っています... ...続きを見る

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2006/11/05 18:38
イタリアオペラ史(46)狂乱の場
面白いものが流行った時期があるもので、オペラ好きでない人が知ったら、馬鹿じゃないと思うだろうけど、まあ好きな人は一度はきいてみる価値があるね。 マリア・カラス(1923〜1977)という超名人がいて今もCDの売り場で女歌手の一番人気、彼女が歌っていたのは1950年台だから、50年も昔、しかもロッシーニのように30台後半でオペラの現役をやめたから、逸話も多くなる。それは別の話。スリムで美人とだけ言っておこう。 彼女の全集はいくつもあるから、私のもっている12枚組みのLPでの話だが、1枚が「狂乱... ...続きを見る

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2006/11/05 18:03
イタリアオペラ史(45)次に何がでた
ロッシーニの生まれは1792年、モーツアルトが死んだのは1791年だが12月5日、その85日あとにロッシーニが生まれ、その次の天才ベルリーニが生まれたのは1801年、彼が名作「夢遊病の女」と「ノルマ」を書いたのは1831年。ロッシーニ最後のオペラ「ウイリアムテル」は1829年作だから、時間の差は誤差のうち。だけど聞いた感じは全く違う。 今日本ではベルリーニの二つの名作は上演されるし、人気絶大だが、「ウイリアム・テル」など上演されないし、序曲が演奏されるだけ。 1834年ロッシーニの勧めで、ベ... ...続きを見る

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2006/11/04 10:00
イタリア・オペラ史(44)37歳で引退
音楽の天才が死ぬのは35歳前後が多い。例えばモーツアルト、シューベルト、彼らほど有名ではないけど、ベルリーニ。それがロッシーニは37歳で作曲をやめてしまったのだから、自分を天才と思って、大事をとったのかな。 そうではないと私は思う。彼はやることがなくなったんだ。天才は己を知っていたんだ。自分はもうはやらなくなる、だから止めようと思った。人気絶頂のときにそう思うのはやはり、天才だと思うけど。 ロッシーニは昔から発展してきたオペラの方法を拡充した。でももうやりようがない。その延長に新しい道はない... ...続きを見る

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2006/11/03 20:48
イタリア・オペラ史(43)マジなオペラもある。
オペラ・ブッフアはふざけたオペラの意味、本来オペラはセリア、真面目なもの。ギリシャ悲劇を再現しようなどという、途方もない夢で始めたのだから。 ロッシーニはふざけたオペラばっかりを書いたかというと、そうでもないんだ。37歳でオペラを書かなくなるんだけど、その数年前からは急に真面目なオペラが多くなる。真面目というのは難しい定義だけど、特色は題材だ。キリストの話とかギリシャ神話とか英雄伝などを扱うとマジになる。それに、つくり方にも約束のようなものがある。筋書きを説明する部分(レシタチーボ)と歌の部分... ...続きを見る

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2006/10/28 21:42
イタリア・オペラ史(42)シンデレラをギャグに
オペラにブッファと呼ぶ喜劇があるのは前にふれたと思うけど、「シンデレラ」だってロッシーニにかかってはギャグになる。 シンデレラには母違いの姉が二人いる。王子の花嫁候補は男爵の娘としてこっちの方が有力だったし、当人たちもその気でいた。父もそれを望んでいた。シンデレラは灰かぶり娘で、普段から差別されている。 ロッシーニが着目したのはここ。この姉を目立たせるために無理をさせる。化粧から、服装まで。これがギャグの対象になってしまう。過剰に意識させると可笑しくなるものだ。 くらべて、シンデレラは控え... ...続きを見る

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2006/10/25 22:50
イタリア・オペラ史(42)オペラのギャグ
劇画のようなオペラを書いた人がいます。オペラの演出をアニメ仕立てにするのは近頃流行の一つですが、それに馴染む作曲家と馴染まぬ作曲家がいます。ヘンデルは大真面目な人なのによくアニメ演出を受けます。ロッシーニはアニメ化しやすい筈なのに面白いのを見たことはありません。 古い映画化オペラで名匠ポネルの「セビリアの理髪師」があるけど、これは見事にアニメ化しています。アルマビーバ伯爵が見初めた彼女ロジーナと接する機会を理髪師フィガロが作って、二人が結ばれる話ですが。 ロッシーニがこれを作る前に、その後の... ...続きを見る

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2006/10/25 09:30
イタリア・オペラ史(41)ロッシーニ音楽祭
イタリアの長靴の中央、フクラハギのカカト側にペーザロがあります。ここはロッシーニが生まれたところです。8歳くらいまでしかいなかったけど、大分昔からロッシーニを利用して村起しをしたので、今ではロッシーニ音楽のメッカになっています。そこでの音楽祭は人気があって、 去年行きましたが切符が手に入りにくいほどです。2週間ほどロッシーニのオペラや室内楽、歌曲などを演奏します。 こういっても日本ではロッシーニがどんなに天才だったか、モーツァルトほどには知られていないから、ピントこないでしょう。でもイタリア... ...続きを見る

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2006/10/17 20:37
イタリア・オペラ史(40)ブレゲンツ音楽祭
ザルツブルグ音楽祭は1920年に始まったそうです。私より年寄りです。モーツァルトだけの音楽祭ではなく、色々な音楽を取り上げ、斬新な角度で披露しています。ヨーロッパの夏は短く、普段は日照が足りない地方ですから、6〜8月屋外で何をやるか、とても大事にします。8月末は日本の秋に相当するし、すぐに冬がきます。 夏の間、空気がよく、日が当たる地方で送りますが、そこに文化的なものがあれば一層結構というわけで、音楽祭が各地でやられると考えたほうが良いくらいです。私もその一人ですが、1週間ほど聞いて回る日本人... ...続きを見る

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2006/10/16 21:16
イタリア・オペラ史(39)今年のザルツブルグ
ザルツブルグ祝祭劇場の紹介をします。演目によっては50万円もチケットに値がついたという。 右が祝祭大劇場、左がフェルゼンライトシューレです。外見はわかりにくいけれど、モーツアルトホールが間にあります。こんな馬小屋のように横に長い音楽会場、オペラハウスはヨーロッパでは希です。どうしてこうなったか、後ろの山が迫っているからです。舞台は山を削ってつくりました。 最初に出来たフェルセンライトシューレは野外劇場だったのです。つい最近屋根ができました。今年は天井が張られたのです。私がみた「テイトの慈悲」... ...続きを見る

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2006/09/20 18:45
イタリア・オペラ史(38)今年のザルツブルグ
これがザルツブルグ音楽祭のホワイエです。つまり、音楽会場へ入る前の待合室です。フェルゼンライト・シューレという3つのうちの一つで、収容人員は1500名程度。それなのにこんなゆったりしたホワイエがあります。ワインを飲んでいる人もいて、みんな日常性から離れるのを心がけでいるようです。これが日本の音楽会と大変違うところです。服装も改まっているのがわかるでしょう。私は背広でしたが、タキシードの人も大勢いました。女性はロングドレスです。オペラは特別ですね。 こんなジェントルマンもオペラが始まると人格... ...続きを見る

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2006/09/13 17:59
イタリア・オペラ史(37)今年のザルツブルグ
今年は彼の生誕250年で、彼の生誕地ザルツブルグは大変な賑わいであった。毎年夏、音楽祭で賑わうか今年は格別で市内にホテルをとるのは至難ときいた。彼が生まれた家はゲトライデ・ガッセにあうるが、そこはいつも新宿並の賑わいだった。私は3日間滞在したが3日とも同じだった。 彼の家は貧しい。下の写真の奥の黄色いビルが彼の家があったところ、これは裏からみているが、今年の雑踏ぶりがわかる。中に入ると使ったピアノというか、それに類したものがおいてある。これで音楽が作れたか、と思う。 ...続きを見る

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2006/09/10 22:51
イタリア・オペラ史(36)
(ロッシーニ料理)ロッシーニが美食家であるのは有名で、彼の考えたレシピが今も残っているそうだ。彼が人生を楽しんだということの証しでもある。人生はベートーヴェンのように運命と戦う一生もあれば、ロッシーニのように楽しむ一生もある。それが音楽の感じに大きく影響するのが普通だ。モーツアルトのように、悲しみながら微笑むなんて常人にはできない。 イタリアで認められ始めた時期はモーツアルトもロッシーニもほぼ似た時期で、1810年代。イタリア人にはモーツアルトが深刻すぎて、受け入れに時間がかかっているうちに、... ...続きを見る

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2006/08/12 18:48
イタリア・オペラ史(35)
(ウイリアムテルの行進曲)小学校の運動会。徒競走が始まるとかかる音楽は50年来二つは同じだろう。一つはオッフェンバックの天国と地獄、もう一つ、トランペットで始まるのがウイリアムテルの行進曲。ウイリアムテルは悪代官の命令で子供の頭の上の林檎を弓で射落とす、正義の味方。これを作ったのがロッシーニ。これから話題とするモーツアルトに匹敵する天才音楽家の作品である。但しこれは真面目なオペラ、1600年のオペラ発見来200年続いた、オペラ・セリアでロッシーニの音楽として、傑作だが世間に知られていない。 有... ...続きを見る

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2006/08/11 12:19
イタリア・オペラ史(34)
(天才はいつも生まれる)モーツアルトが死んで、85日目に次の天才ロッシーニが生まれた。ロッシーニ(1792〜1868)は「セビリアの理髪師」で知られているているが、大変な天才である。去年夏私は生誕地イタリアのペーザロを訪ねたが、そこは彼が8歳前後までいただけであるが、ロッシーニ音楽院があり、1980年からロッシーニ音楽祭が開かれている。彼は郷土の誇りだけでなく、観光の目玉であった。 最初のオペラは18歳で発表、37歳でオペラの筆をおるまで、19年に全39曲も書いて、今も殆んどが演奏されている。... ...続きを見る

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2006/08/08 18:50
イタリア・オペラ史(33)
(ここまでの本文の流れとナポリ)この連載の初めは「AXとツアーのよるイタリアオペラ史」という題名で始めたが、とても無理と知って、名前を「イタリア・オペラ史」と変えた。しかし、基本姿勢は今,日本でAXで見られるオペラを中心に時代別に紹介することにある。いくら有名でも日本で見られないのはちょっと触れるだけにした。 フィレンツエに始まり、ヴェネチア、ナポリを通ってグルックの革命で、オペラは高級だがつまらない芸術になってしまった。モーツアルトの天才がそれを面白くして、しかも今の世でも通じる高級なオペラ... ...続きを見る

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2006/08/07 09:35
イタリアオペラ史(32)
(オペラ・ブッファの創始者)「フィガロの結婚」とか、「ドンジョバンニ」とかいう超有名オペラがあるから、ブッファはモーツアルトが発見したものと思う人も多いが、ここ数回の文でわかったように、競争者もいたから、勿論彼の発見とは言えない。それどころか、彼が生まれた1756年にはブッファは二度目の全盛期を迎えていた。 創始者は更に古く、ペルコレージ(1710〜1736)。天才の早世の一人、モーツアルトより若死にした。 彼のオペラ「恋する兄」は1732年の作、日本でもDVDになっている。筋は二人の姉妹に... ...続きを見る

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2006/08/05 08:58
イタリアオペラ史(31)
(パイジェルロも競争相手だった。)モーツアルト、サリエリと英才が現れた18世紀末、もう一人競合するほどのオペラ作曲家がいた。ジョバンニ・パイジェルロ(1732−1816)。一回り年長だが、モーツアルトより長生きしたし、才能はモーツアルトを脅かした。 面白い統計がある。ウイーン宮廷劇場での上演頻度の高い作曲家と上演数である(1781〜91)。高い順にならべると( )内は上演数、パイシェルロ(294)サリエリ(185)、3,4,5を抜かし、6位モーッアルト(105)で問題にならない。この期間には既... ...続きを見る

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2006/08/04 10:29
イタリアオペラ史(30)
(サリエリ((下)))サリエリのDVDは二つしかみてないし、多分日本語字幕はこれだけでしょう。40近いオペラを完成し、多数の器楽作品を書いているから大作曲家としては2作品だけの紹介は少なすぎる。ヨーロッパでは生誕200年の1950年から復興運動が起こり、2003年現在10作品が上演されている。モーツアルトは全22作品中5〜6がどの劇場の常時上演曲目にもある。 サリエリがウイーンに定住していたためもあって、教育者として著名作曲家を教えている。 先ずベ−トーヴェン、最初彼のピアノ協奏曲第一番、今... ...続きを見る

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2006/08/02 10:55
イタリアオペラ史(29)
(サリエリ〔上〕)彼のことは存外知られていない。ことに日本語では殆んどわからない。最近水谷彰良氏の「サリエーリ」が出版され、詳しくわかるようになった。フランス革命という、世界史でも希な事件に遭遇し、ドイツ・オーストリア音楽が世界の中心となる経過に立ち会った宮廷人である。関心を払うのが当然。この著作から主に引用させていただく。 アントーニオ・サリエリは1750年生まれ、10人兄弟の8番目、油脂商人の家に生まれたが、兄が教会オルガニストだったこと以外に音楽との関わりは薄い。それも父の仕事が12,3... ...続きを見る

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2006/08/01 10:46
イタリアオペラ史(28)
(サリエリのオペラ)今はモーツアルトのお陰でサリエリが復活しているといいます。それでも日本でみられるサリエリのオペラDVDは二つしかしりません。筋がモーツアルトと大分違うので紹介します。 内容が大変真面目なのが変わっているところで、オペラセリア(真面目なオペラ)とオペラブッファとの間を狙ったとされる「タラール」という作品が1780年代に上演されました。もともとはパリで、フランス語をイタリア語に直したのがウイーンで。 台本はモーツアルトの「フィガロの結婚」(1786)を書いたボーマルシェ。「フ... ...続きを見る

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2006/07/30 12:34
イタリアオペラ史(27)
(モーツアルトのサリエリによる毒殺) モーツアルトは1756年、サルエリは1750年の生まれですから、ほぼ同じ世代の人間です。モーツアルトが早死(1791)だものですから、サriリエリが才能を恐れて毒殺したという話が250年経っても映画「アマデウス」になるほどで、二人は密接な関係にありました。 この噂は実はサルエリの晩年(1825)にも流れて、彼が困惑するのですが、少し冷静に考えれば、おかしな話です。モーツアルトは1987年やっと宮廷音楽家となったとき、サルエリはその翌年宮廷楽長になっている... ...続きを見る

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2006/07/29 09:36
イタリアオペラ史(26)
(モーツアルトオペラの結末)モーツアルトオペラでは、結末はハッピーエンド、これはベルデイなどとは違う。多分バロックオペラの仕来たりに従ったからではあるが、大衆がハッピイエンドを好む心理をモーツアルトが利用したことにもある。(大衆尊重は彼が父から教えられたことの一つだ) 筋を追っていて、結論を知っているお客は筋がとてつもない方向に進むのを、黄門さまの印籠のようなものが出て、阻止し、ハッピイエンドになる。誰が黄門さまの役をするか、このことが彼のオペラの質を左右していると私には思える。黄門さま役が余... ...続きを見る

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2006/07/27 09:46
イタリアオペラ史(25)
(モーツアルトの童話オペラ)こんな分類は普通ないが、善玉と悪玉がはっきりしたオペラが二つある。一つは「後宮よりの逃走」他は(魔笛)。両方ともジングシュピールと呼ばれ、歌う芝居、しかもドイツ語で書かれている。評判はよいが、単純な話で子どもに見せても大丈夫だ。 前に紹介したドンジョバンニ、コシ・ファントッテの作者が書いたとは思えない。「後宮よりの逃走」ではイギリスの女性が難破してつかまり、トルコの太守の後宮に入れられる。太守は彼女の意思を尊重して2号さんにはしない。彼女の恋人が遠路はるばるやってき... ...続きを見る

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2006/07/25 21:18
イタリア・オペラ史(24)
(モーツアルトは不道徳家)「ドンジョバンニ」と「コシファントッテ」の紹介をしたが、私の取り上げ方だと、これらのオペラは極めて不道徳である。主題は、類を見ない女たらしと極端に移り気な女の行動である。そんなことは、ベートーヴェンが怒ったというが、音楽が取り上げる主題ではない、という論議があって当然だ。 私が賛美してやまないのは、常識を遥かに超えた女たらしが偉大に感じられるほどに、音楽が上手く出来ていることだ。音楽にはそんな力がある。常識のレベルでは嫌な不道徳家なのだが、ここに登場する女たらしは見る... ...続きを見る

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2006/07/22 21:04
イタリア・オペラ史(23)
(モーツアルトのオペラはまだある)コシ・ファン・トッテ(女はみんなこうしたもの)というオペラは昔不謹慎と思われていたが、今は人気抜群。老哲学者が若者二人に、訓戒する。「恋人を信じすぎないように。」今だったら×一だの元彼だのと言った言葉が流行るから、恋人を信じるのも一過性という認識はある。それでも、恋の最中に、女性が他に恋人を作るというのは、信じられない人が多いだろう。ましてモーツアルト当時は恋は死ぬか生きるかの問題だった。それを諧謔的にモーツアルトは扱って、お客を納得させるのだ。音楽の魔力。 ... ...続きを見る

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2006/07/21 11:59
イタリア・オペラ史(22)
(モーツアルトのオペラ・・・ドンジョバンニ)ザルツブルグはオーストリアだから、彼がイタリア・オペラ史に登場するのは可笑しいと思うだろう。彼のオペラは22あるけど、その殆んどはイタリア語だ。有名なオペラでドイツ語は「魔笛」だけ。だからiイタリア・オペラ史に登場しても不思議ではない。 モーツアルトの活躍は1770年以降、私は1700年から1750年の間の話を書いているつもりで、ヘンデルのことを書いたけど、まあ今年はモーツアルト・イアー。もう少しモーツアルトのオペラの話を続ける。 前回3つのオペラ... ...続きを見る

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2006/07/19 18:37
イタリア・オペラ史(21)
(モーツアルトと女声男役)今年は生誕250年、とかで誕生地ザルツブルグは満員だそうだ。あそこは美しい都市だけど、モーツアルト以外に用事はない。去年は静かだったが、今年行くのは恐ろしい。 モーツアルトがカストラートを使った作品は知らないが、女を男役に使った例は3つ知っている。オペラでの性別無視の典型だから紹介しよう。 1)フィガロの結婚」という喜劇。思春期の男の子ケルビーノに女性を使う。ケルビーノはガールフレンドはいるのに、周囲の年上の女性(女中と伯爵夫人)に憧れ続ける。女性側も可愛い男の子だ... ...続きを見る

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2006/07/18 15:10
イタリア・オペラ史(20)
(シーザー役を女がやる)17世紀から18世紀にかけてが、カストラートの全盛期だった。男役を女がやった。この時代は性別にこだわらなかった。美しい声がきければよい。概して言うと、高い声に美しさを感じたらしい。カストラートは高い声が出せるということで、ソプラノやアルトと同じように尊重された。 少し時代は我々に近づく18世紀の後半にでた、グルックの「オルフェとエウリデイーチェ」ではオルフェはカストラートがやるか、女がやった。今DVDでもそうである。変だと思うし、気持ち悪いけれど、声の美しさが尊重された... ...続きを見る

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2006/07/11 20:51
イタリア・オペラ史(19)
(カストラート)男の子のアソコをきると、生涯子供の声でいるっているのを知っている?彼らが一七世紀から一八世紀のオペラを上演するのに極めて大事だった。今だって子供にヴァイオリンンを持たせるのは似たようなものと思うが、10歳以下の教育を徹底すると、生涯その面では他の追従を許さない人材になる。再び男性の役は果たせない人間となるが、カストラートは当時は高収入でしかも社会的にも尊重されたから、今のヴァイオリニストより、割りがいい仕事にありつけたらしい。 ボーイソプラノで、しかも艶かしい、力強い高音が出せ... ...続きを見る

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2006/07/10 21:36
イタリア・オペラ史(18)
(オペラの題)我々は他の国、例えば韓国や中国と同じ昔話をもっていない。だけど、イタリア、フランス、スペインは共通の祖先ローマやギリシャを持っている。それにドイツだって、基督の話なら仲間に入れてもらえる。だからこれらに関連した昔話なら各国共通。またオペラを見るような当時の教養人なら、話の内容を知っている。そこで少々歌がわからなくてもこういった話なら筋はわかる。オデッセイ、ローマの皇帝、ギリシャの神様などが繰り返し繰り返し、オペラの題になるっていうわけだ。 これはセリアの話。ブッファになると、身近... ...続きを見る

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2006/07/02 11:59
イタリア・オペラ史(17)
(ふざけたオペラ)1600年に生まれ100年以上続いたオペラは「オペラ・セリア(重厚なオペラ)」という。これが約束ごとが多く窮屈になってきて生まれたのがオペラ・ブッファ(ふざけたオペラ)だ。こう歴史の本は書いてあるけれど、ブッファが生まれたときには、作曲家は自分で(ふざけたオペラ)などという名をつける筈はない。喜劇という名がよく使われた。それに堅苦しい演劇の幕間にオペラをやることもあって幕間劇などとよばれ、これは今でいうブッファである。私は今1750年頃のことを想像しているのだが、この時代は名は... ...続きを見る

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2006/07/01 20:40
イタリアオペラ史(16)
(ブッファの誕生)「フィガロの結婚」とか「セビリアの理髪師」というオペラは有名である。モーツアルトやロッシーニのオペラでよく知られているのは大抵オペラブッファだ。どうしてこうなったのか。これはナポリ派が筋の説明と歌を分けろと主張したことと関係している。そうならば従来のギリシャ神話や伝説だけが話題で、筋がみんなが知っているものだけだったのに限る必要がなくなる。説明を丁寧にすれば、新しい話だってわかってもらえる、と当時の人は考えたのだろう。今も見られる「奥様女中」というオペラは女中が独身の旦那を上手... ...続きを見る

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2006/06/20 20:46
イタリア・オペラ史(15)
(歌劇の分裂)ナポリ派のオペラ作家は筋を述べる部分(レシタチーボと呼ぶ)を歌にしようとしたけれど、極端に過ぎてしまい、オペラ全般が歌合戦のようになってしまった。一八世紀始め、二つのことが起こった。 一つはグルックの改革と言われているもので、筋を述べるところと、歌のところを区別しようという在来の考えの再検討である。 グルックには「オルフェオ」という昔ながらの題材のオペラがある。演出は時代時代で変わるので、一概にはいえないが、ロイヤル・オペラでやった、クプファーのものでは、〈何故私の顔を見てくれ... ...続きを見る

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2006/06/17 18:53
イタリア・オペラ史(14)
ナポリで、メタスタージオの台本でオペラを作る動きはとどまるところを知らなかった。アレクサンドル・スカルラッテイが中心人物だったし、彼の作品は尊敬に値する優れたものであったらしい。しかしナポリ派と呼ばれるオペラは境もないほど、多くの作品を生んだせいか、彼の名が取り立ててもてはやされることもなかったのだろう。私も歴史を調べるまで知らなかった。ナポリ人は例えば、ヘンデルやグルックなど他の土地で有名になった大作曲家もナポリ派と思っているようだ。モンテヴェルデイのような、抒情的な詩の朗読のような、日本人に... ...続きを見る

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2006/06/04 12:15
イタリア・オペラ史(13)
ヴィバルデイの名は有名だ。「四季」で知れ渡っている。1685年頃の誕生で、同じ頃バッハ、ヘンデルと音楽三巨人が生まれている。ナポリではオペラの革新運動が起こっていた。バッハ一人オペラと離れた一生を歩んだが、ヘンデルはオペラで名をあげた。日本では「晴れるや」で有名とはいうものの、生涯を通じてのオペラ大作曲家である。ヴィバルディも同じで、優れた器楽作曲家であるとともにオペラの大作曲家であった。DVDにも(狂王オランテイア)というのがある。作ったのは1727年である。 不幸なことに、ヴィバルデイの全... ...続きを見る

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2006/05/31 20:39
イタリア・オペラ史(12)
またヴェニスに話がもどる。「ジャソーネ」を書いたカヴァッリに続いたスターはチェスティである。前「歌劇は過激」(2)で書いた。彼は今思うと狂っているように長大、華麗なオペラを書いたイタリアの作曲家であるが、殆んど一生をウイーンで過ごした。(1623〜1669) 多作で生涯で150曲以上のオペラを書き、宮廷バロックという分野で名をはせた。つまり戴冠式とか皇帝の誕生日とかいう、宮廷での祝日に、宮廷の権威を誇示するため、新たなオペラを彼は作った。 1966年皇帝レオポールド1世とスペインの皇女マルガリ... ...続きを見る

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2006/05/29 10:28
イタリア・オペラ史(11)
ナポリの話はヴェニスの話と平行してしなければ、オペラの歴史はわかりにくい。1回だけナポリの話をする。 王様がナポリでオペラ民営化の口火をきったが、その功はアレキサンドル・スカルラッテイをローマからナポリに定着させたことにもある。A・スカルラッテイは日本では無名、子供のドメニコの方がチェンバロの有名曲を沢山つくっているので著名である。親父は生涯オペラ作曲家で120曲も書いている。CDで聞くしかないが、「グロリンダ」は力強さと優雅さが調和した傑作である。どんな感じかは歌だけなら名ソプラノ、チェチリ... ...続きを見る

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2006/05/26 19:34
イタリア・オペラ史(10)
ナポリはイタリアの中では田舎です。だからオペラの流行も大分遅れました。市民オペラの誕生は1700年に近いころです。でも王様が限られた人相手にやったのはその50年前頃からです。丁度ヴェニスの市民オペラが隆盛だったころですね。やったのはヴェニスで流行ったもので、カヴァルリの「ジャソーネ」も入っていました。 王様はナポリにも市民劇場を作ろうと考え、劇団員を宮廷に入れたり、劇場で上演したりして、ナポリ・オペラの基礎が出来ていったようです。このことはオペラの歴史には大変重要な事件で、フィレンツエのカメラ... ...続きを見る

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2006/05/24 10:35
イタリア・オペラ史(9)
最初、ギリシャ悲劇を再興するとする高貴な考えで出発したオペラ制作ですが、ヴェネチアでの極端な普及は弊害を生みました。オペラ劇場が社交の場と化したのです。今でもオペラは社交の場でもありますが、私の体験では上演中は極めて静かで、交響曲の演奏中と変りません。ただ、イタリア・オペラでは上手な歌には盛んな拍手、掛け声が許されていますが。でも社交は幕間の30分のお喋りが中心、それにドレス・アップして、知人と挨拶をするなどという楽しみも社交です。 ところが17世紀末のヴェネチア・オペラ劇場では、主役の歌手が... ...続きを見る

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2006/05/21 22:55
イタリアオペラ史(8)
モンテヴェルデイの一番弟子はカヴァッルリ。彼の作品は親方以上に売れたという。特に「ジャソーネ」と言う作品は各地で20回も上演された。当時は親方の「ホッペアの戴冠」より人気があったそうだ。DVDはないが、CDはある。結構重厚な響きがする。 この頃のオペラの筋は意味のない話が多い。「ジャソーネ」はギリシャ神話を題材にしているが、筋を面白くするため、変えてしまう。ジャソーネは金の羊毛をもつ羊狩に旅立つが、オペラは途中で出会う、恋の三角関係の進展が中心となってしまう。例の「オルフェとエウレデイーチェ」... ...続きを見る

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2006/05/18 20:44
オペラは過激(歌劇)(3)
ヴェネチアに民営のオペラ劇場ができたのは、オペラ史で述べたけど、その後の発展が過激である。17世紀の最後の20年間6つの歌劇場があったという。当時のヴェネチアの人口は 12〜13万というから、日本の地方の県庁所在地程度である。松本市でオペラ座が一つ出来そうになったとき、もめたと聞いたが、当時のヴェネチアと比べると、恥ずかしくなる。 オペラが民営化されたのは1637年、それから1700年までの間に述べ17の劇場で388曲の新作オペラが上演されたそうだ。年間平均6曲である。馬鹿げていないか。こん... ...続きを見る

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2006/05/17 21:05
イタリアオペラ史(7)
1600年に始まったイタリアオペラ、発生地フィレンツエでは名作は出ず、ベニスで傑作が出た。モンテベルデイという巨人のせいだが、彼も次の名作は1640年の頃、この間に彼はマントヴァからヴェニスに転居、転職している。前は殿様に仕えていたのが、今度は寺院の楽長。まあ当時いやベートーヴェンの頃までこの二つしか音楽家に定職はなかったから当然だ。転居後書いた「ポッペアの戴冠」というのが歌劇3大傑作の一つと言われるほどの名作である。ポッペアというのは皇帝ネロの愛妾。美人で濃艶な人妻だった。ネロが誘惑するプロセ... ...続きを見る

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2006/05/15 12:08
イタリアオペラ史(6)
もっとオペラの発見に相応しいオペラはないか。オペラ史(2)で書いたように、オペラはギリシャの音楽を発見することが目的だった。それに相応しい荘厳さ、格調の高さがあるオペラがみられないか。相応しい名作が今もみられる。それはフィレンツエの作曲家ではなく、ヴェニスに関係がある人で、モンテベエルデイ。1600年から数年たたずに「オルフェウスとエフレデイーチェ」という名作が出て、今もDVDでみれる。この場合は顔をみたオルフェウスは天国から迎えにきた父と一緒に地上を離れる。つまり浮世は住みにくいから天国へ行く... ...続きを見る

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2006/05/12 20:45
イタリアオペラ史(5)
フィレンツエで1600年に作られた最初のオペラは今ビデオでみれるか、というとどうも自信がない。類似のものがレーザーデイスクではでていた。「メジチ家の大狂宴」と言う題名だった。天から神様が降りてきてメジチ家の大公とフランスの姫君の結婚を祝福するという話である。余りにも華やかで、これは1589年に行われた宴の再生とは思えないほどである。今でこそ画像化ができようが当時はどうだったか。でもオペラは権威のデモンストレーションに使われたのだから、こんなだったろう。1600年の最初のオペラはギリシャ神話の「エ... ...続きを見る

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2006/05/11 20:44
オペラは過激(歌劇)(2)
一つのオペラを2日にわたってやった、ってホントです。どんな劇だって4時間も見ればくたびれる。だから8時間のオペラは2日かかるわけ。 17世紀のウイーンでのできごと。皇帝レオポルド1世とスペインの王女マルガレータの結婚を記念して行われました。「黄金の林檎」という題で作曲家ハチェスティ、話はギリシャ神話からとったもの、パリスという王子がビーナスなど3人の美女から一人を選ぶという簡単な筋。これを49人の歌手が馬や花火を使って8時間かけてやった。まあ、オペラは過激で、こんなことがホントにあったのです。 ...続きを見る

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2006/04/16 20:40
オペラは過激(歌劇)(1)
オペラを見たいと思わない?宝塚ではない本物を! 日本にもオペラ団は有名なのが二つあった。≪藤原歌劇団)二期会歌劇団)。三つ目が出来たのが10年前(国立劇場歌劇団)。東京ではどれかが、大抵やってる。値段は2万円以下、1万円でも見れる。外国のは6万円もするのがあるけどね。 マイクは使わないから、歌手は2千人ぐらいの人に聞かせなければならない。聞こえるだけでは駄目で魅力的な声を聞かせなければ駄目。魅力的な声には艶がひつよう。ここに本物の魅力があるんだ。マイクを通すと魅力が薄れる。 本物のオペラが... ...続きを見る

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2006/04/15 11:02
イタリアオペラ史4
(4)オーパスは詩です。だからオペラは詩をつなぎあわせたものです。ただ、ギリシャでは詩をよむとき、歌うように読みました。だから、オペラで詩に節をつけて作るのが決まりでした。そうすれば出来上がったものはギリシャ時代の作品のように豪壮、雄大なものになる、そうバルデイは信じたのです。信じるのは恐ろしい。信じたことを遣れば、目的が達せられる。 それから400年たったから、結果は今わかっています。彼らが考えたのとは違った結果がえられました。 みなさん椿姫というのを知ってますね。あれはオペラですが、豪壮... ...続きを見る

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2006/04/08 16:06
イタリアオペラ史(3)
貴族っていうのを知ってますか。そのときの権力をつくるのに功績のあった家族です。日本にも、戦争にまけるまでありました。公爵,侯爵、子爵、男爵などです。バルディの研究会には大勢の優秀な音楽家が集まりました。討議を重ね、オペラを作ると、ギリシャ音楽に近づけるという結論になりました。 オペラとは何か。オペラは複数です。当時はみなラテン語を使ったから、ラテン語の複数です。単数はオーパス。単数を集めると複数ですね。だからオペラはオーパスを集めたものです。 オーパスとは何かこれが次の問題ですね。 ...続きを見る

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2006/04/07 12:27
イタリア・オペラ史(2)
(2)オペラ探検隊はフィレンツェに着陸しました。フィレンツェってしってますか?長靴の真ん中にあります。16世紀末、「神から人へ」というルネッサンス運動が燃え盛っています。ギリシャに帰ろうというのが共通のテーマです。クラシック音楽も神が人のためやってくれたことをあらわすのが目的で、200年も続いています。 パルディという貴族がいました。当時は神のために音楽をつくるのが普通でしたが、彼は仲間カメラータを集めて、神より、ギリシャの音楽を発見するための勉強会を開いていました。発見がどんなものだった... ...続きを見る

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2006/04/07 12:14
ツアーとAVで楽しむイタリア・オペラ史(1)
オペラが何時始まったか、知っていますか。これから少しずつ紹介しましょう。私だって本を読んで知ったのだから、それをまとめて整理するのは当然です。でもそれでは面白くないから、私の意見を入れます。意見はどこから生まれるか。オペラを見たり、聞いたりした体験と、オペラが生まれたイタリアを歩いて感じたことが意見発生のみなもとです。さあぽちぽち、はじめます。 ...続きを見る

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2006/04/05 21:49

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