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zoom RSS 3自我:クラシック音楽

<<   作成日時 : 2018/05/13 04:27   >>

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3自我:クラシック音楽



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旧制高校の一年のとき友はみんなクラシックの音楽会へ行ったが、私は臍を曲げていかなかった。
それが大学一年の頃だと思う。8畳の部屋に横になり、枕元に小さなラジオをおいてかけていたら、何ともいえぬ音楽が聞こえてきて、胸にしみこんできた。何時までも、音が消えていかなかった。何ごとかと思い、演奏者ヨーゼフシゲテイの名だけ覚えた。後日しらべたら、モーツアルトのヴァイオリン・協奏曲第4だった。そしたシゲテイの音楽が格別のものだとしった。
事態は大変化した。
クラシックがこんな感動を与えることを初めてしった。涙がながれてとまらなかった。この感動を誰か、言葉になおしていないか、数冊の本を探した。この事件は多分昭和25年(1950年)頃の出来事で、私が大学に入って間もない頃である。その後間もない昭和27年3月にシゲテイは来日しているが、金がなかったせいか、行かなかったが、その演奏を多くの評論家が取り上げたので、憶えている。堀内敬三だの牛山充という大家が書いた評論を読んだが私がラジオで聞いたシゲテイの演奏の本質に触れるものはなかった。その中で読売新聞に出た、当時無名だった吉田秀和氏のものに唯一強い感銘を受けて、切り抜きを取ってあったが、残念だが今は手元にない。後日1967年(昭和42年)に、新潮社から単行本として出た「現代の演奏」が手元に有るが、その巻頭近くの「意味深い演奏とは」の章のT項はp37からp52までを、吉田氏はシゲテイ論にあてている。私はこの小論に強い衝撃をうけた。その一部を引用させていただくと
「私が彼の演奏から学んだものは〈意味の深い演奏、深い意義のある演奏とは何か〉かということであり、彼がその後私の演奏判断の基準の大きな柱になったのである。これはー俗に言われているように、そして私もしばらくの間、誤解していたようにー〈知的な演奏〉といってしまってはいけない。それでは狭すぎるし、大事な点をききおとしたことになる。」
私はこの文と読売新聞の評に深い感銘をうけた。その角度に注意して聞いたところ、「音楽というもの」にどんな力があるか教えられた。以後ステレオ装置を何度も買いかえ、繰り返し演奏会に行くという、自分の生涯に深い影響を受け、今も、88歳になっても、音楽を聴くことが、人生の最高の楽しみになっている。
なおシゲテイには「絃に寄せて」という自伝があり、愛読している。
シゲテイはsp時代からの演奏家で、Lpも多い。上記モーツアルトの第四ヴァイオリン協奏曲は1934年の録音で元来はspで録音されたらしいが、私が聞いたのはLPに直したものらだろう。私はLpとしてもっている。一番新しいのは1954年の録音でこれはLpである。彼の死(1973年)後メンブラン社から10CDコレクションとして発売されているが、音は存外よく楽しめる。上記モーツアルトの第四V協も含まれている。


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