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zoom RSS フローレスの「ウイリアムテル」と「ルチア」(2)

<<   作成日時 : 2018/04/05 10:04   >>

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リセウでオペラを見られず、私はこの年になってしまったのは残念だ。
ロッシーニには古典派の余韻が感じられ、ドニゼッテイにはロマンの匂いが出てくる作品で、いずれも3時間余の大作だったから、二つ並べて聞く価値が十分ある真夏の娯楽といえる。フローレスという名人テナーの扱いはフロ-レスの役も前者では時代を代表するような暴動の首謀者でがテルの脇役だし、後者では、時代を代表すロマンだが、ルチアの脇役だった。本格的公演では役不足だが。

ルチアはモシュクだった。ルチアにはマリア・カラスのイメージが付きまとうが、太目のモシュクでもこの大役を十分こなしていた。ルチアはカラスの当たり役だから、「細目の役にピッタリなのにと」思って、今度LPをかけてみたら、声が太目で鋭いのに驚いた。そこで手元にあるDVDを改めて聞きなおしてみて新発見をした。デビア、ポンファデルリ、セッラだったが、太目のデビアにモシュクに近い魅力を感じた。それでカラスの魅力を考えなしてしまった。彼女の魅力は細目の体に注目しがちだが、声は格別に太く、鋭い。そこでこの役に期待されるのは何かを考えてしまい、たどり着いたのは「太目の鋭い声」だということだった。これはモッホ、デビアにあう。ポンファデッリはルチアに合っていない。細い声はダメだ。鋭くなくても太目の方がいい。モッホ、デビアはいいのだろう。そういう意味で細身だが鋭く太いデセイのCDを探したら、あった。これは予想外にいい。カラスよりのびがいいが、十分ルチアである。
ここでドニゼッテイの音楽について、改めて考えこんだ。彼はロッシーニと違って、そこには古典派は影も形もない。新しいタイプの音楽だが、後のヴェルディ、プッチーニと違いロマン派ではない。彼が求めたのは何だったろう。その答えはカラスにありそうにおもう。太く、鋭い音。それは古典にもロマン派にもない。カラスの声の音には格別の格調を感じるのは私だけだろうか。声の音の格調の美。それがドニゼッテイだったのではなかったか。
それはフローレスのテナーにも通じるものを私は感じる、とおもうのは過ぎたことかもしれないが。
彼のルチアを聞いて考えこんでしまった。
『アンナ・ボレーナ」を是非聞いてみたい。

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