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zoom RSS ワグナー11;パルシファルとアムフォルタスとクンドリ

<<   作成日時 : 2018/01/10 10:23   >>

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この不可解なオペラに再挑戦します.
主人公はパルシファルかと思っていましたが、解説によると彼は無垢な若者となっていて、白鳥を射落とした青年と紹介されていてそても主人公とはなりそうにありません。彼が知っているのは母の名がへツエライデということだけ。この楽劇で最も名がでてくるのはグルネマンツ、彼は主役に相応しく、登場は目立つ老騎士。でも筋を追っていると、頻繁に登場するのは劇で引き回し役のせいで、筋の本質での役割の意味はうすい。
アンフォルタス王の方の役割が重いのがドラマが進むにつれてはっきりしてきます。王はグラール城主です。グラールつまり聖杯を祭る城の主です。しかし劇の中で見られるのは傷ついて運ばれていく姿だけで、見かけでの役柄はみえてきません。
最初から目立つのはグラール城の女使者、クンドリ、見るからに優れたわき役で、2幕ではクリングゾ―ル
という魔法使いと対抗する女魔術師。見掛けはドラマの主役級でです。
こうして見ていくとこのドラマの主役は影に隠れ、しゃべらない。不思議なドラマである。キリストの傷から流れ出た、血をうける盃を祭る仕事に生涯をささげるのだから、アンフォルタスの宗教的役割は明確ですが、舞台では説明がない。キリストの処刑で一役かったことぐらいしかわかりません。
前回「聖杯」の話で触れたが、「共苦を通じて救済」という概念と聖杯の教えが深く関わっていますから、アンフォルタスはそれを信じている、と思いたくなります。それに関係して聖杯の話は「共苦を通じての救済」という考えが前提になるので、よく言われる言葉として、二つの概念があります。清きものたちの共同体が悪しき力により、外からかく乱される、という世間一般の概念を否定することで、「共苦を通じての救済」の考えがはじまります。つまり世間的な常識の否定がないとこの救済の概念は生まれない。ここでいう世間的常識は「清き者たちの共同体が悪者の企みに脅かされているという図式を徹底的に疑うことに始めなければならない。

ここで思いつくのはこのオペラで尊重されている馬鹿パルジファルの登場が前記世間的常識の否定を暗示しているのではないかと、私は思ってしまいます。アンフォルタスの救済のために馬鹿の代表パルシファルが大事な役をしているのではないか、と私は考えてしまう。パルシファルとアンフォルタスがこの楽劇の主役であるのが分かってきます。
上の二人を結び付けるんのがクンドリ。彼女はアンフォルタスとパアルシファルに二人と性的な関係をもち、そのことが話し全体で重い役割を果たしているのがだんだんわかって来ます。つまり楽劇「ファルスタル」はクンドリを中心にすすむように私にはおもえます。









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