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zoom RSS 死者との対話(17)玉虫佐知夫元東大教授との惜別

<<   作成日時 : 2017/12/24 02:27   >>

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玉虫左知夫君を偲んで
       善本知孝(知人・東大名誉教授)

玉虫、先に逝ってしまったね。寂しい。
君と会ったのは昭和25年(1950)だったから今年(2017)までの交誼は67年間になる。その間殆ど絶えなかった。お互い、勤勉ではない方だから、よく続いたもんだよ。
馴れ初めは東大教養学部理科1類1年の時だった。同じクラスだった。石川、内田、入来と同グループだったが、彼らは全員他界している。今貴兄もかれらの世界へ行ってしまった。
理科一類は非生物系の研究を希望する学生が入る部門だったが、石川、内田は理学、工学系に進み、理科一類に相応しい分野で職をえたが、入来は医学科、玉虫は教養学科、善本は林学科と本来の理一とは違った分野に進んで、そこで職をえた。この5人グループは今思えば異端児集団ということになる。
玉虫と私は同じ東京大学の世界に入ったし、私がご家族との知遇も得たので、進学後の世界は違っても、交誼が続いた。ご両親に可愛がってもいただいた。玉虫のドイツ留学の話を母上からお聞きしたは今でも覚えている。彼の留守中も玉虫家との連絡は途絶えなかったので、彼が10台の女性と仲良く成った話もきいていた。その女性が現レナータ夫人だったのだ。レナータ夫人と始めてお会いしたのは、結婚お披露目の宴だったが、その後新居でも何回かお会いしたが,記憶は定かではない。お互い無精だから、ご子息二人の誕生もある程度成長されてから知らされたが、後日立派な会社への就職への事実さえさり気なく彼は教えてくれたに過ぎない。彼は照れ屋でもあったのだ。幾ら仲良くても、家庭は「大人の交友とは無関係」という立場だったのだろう。研究も同じ大学にいなが「分野が違うから無関係」という立場だったのだろう。彼は業績を教えろという私の要求に数枚のパンフをくれたにすぎない。「異国より・浅間の見える土地より」という「文集」はくれたが。

それなのに67年間も交誼が続いたのはどうしてだろう。二人が比較的何度も会ったのは60歳台の前半だっただろうか。何故そうだったのか。それは二人が専門的忙しさから解放されたからか。今思うに人生を考えなおす時期が来たからではなかったか。これが学生時代についで長い時間の議論だったと思う。思うに、彼と私を結び付けたのは、「人生という謎をとくのにお互いが必要だった」からではなかったか。そう思わないか、玉虫!
玉虫、お前は先にいった。これからは私一人で、人生を考えなければならない。もうちょっと長く生きていて欲しかったよ。
鬼界でお前も一人で頑張れよ!

2017年12月23日(告別の言葉)

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